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二十九歳の日記(3/12-3/24)

三月十二日
 休憩時間中になんとなく日下部に電話をかけた。もういっぱいみんなと関わりながら生きていこう、というモードらしく、「いやまぁ別に用ないんやけど」と、近況について話し合う。癒される。救われる。「どんどん色んな人に電話かけまくろうと思ってんだ〜」と言うと、「ねえ俺それの何番目?」と日下部らしい答えが返ってきておもろい。
 帰宅、『味方の証明』を少し書き、すぐに寝る。

三月十三日
 早起き。あんま寝てないけど意外とさっぱり。段ボールをまとめて捨てに行く。雨が降っていた。ゴミ捨て場にそれらを置き、歩く。良い雨だ、と思う。
 働き終えて、西上くんに電話をかける。「いや別に用とかないんやけど〜」と言い、少し喋る。しかしやはり、電話は勇気が要るなぁ、と思う。もっとガンガンかけたい気持ちはあるが、やっぱり落合・日下部・西上・コタローらへんにしかいきなりの電話はかけられない。結局ビビる。
 今野書店に入る。本を眺めていたら、なぜかドストエフスキーが無性に読みたくなる。何がどう関連してか、「SF読みたい」とか「ミステリー読みたい」とか「佐伯一麦読みたい」とか、そういう具体的な欲望が現れる。カツ丼食いたい、に近い。家に帰ったら途中で止まったままの『死の家の記録』があるからそれを読めばいいわけだが、違う。今すぐ読みたい。この帰りの電車でどうしても読みたい。Amazonに「ドストエフスキー」と入力する。カラマーゾフは読んでるからパス。罪と罰はなんとなく知ってるし、持ってるし、罪と罰の気分じゃない。『地下室の手記』とか『死の家の記録』みたいな方のドストエフスキーを読みたい。なんという限定的な欲望だろう。欲望って経験の追従とかその延長線上を望む行為だからやったことのない何かに対しては望みづらそう。『白痴』が良さそう。『白痴』を探すために荻窪のあゆみブックスに入る。ない。諦めてそそくさと帰る。帰宅するなりすぐに『死の家の記録』を読む。おもろい。

三月十四日
 何も覚えてない。

三月十五日
 休みだったわけだが、ぼんやりとした休日になってしまった。だらだらとギターを弾いて、だらだらとApexをやり、『味方の証明』の原稿の前で何も書けずにぼーっと白紙を眺める。小説を読むモードに最近全然入れないな、と思いながら椅子の上にだらっと座る。一昨日ドストエフスキーをあんなに強烈に望んでいたのにそのことをもう忘れている。彼は阿呆なのである。阿呆なので「あ〜、もう、全然読めないよ〜」とか思っていた。部屋中の本を漁る。たくさんの本に触る。割とそれでもう満足。

三月十六日
 夜、西荻から初台に移動。中央線から京王新線に乗り換える、という動きを意外とやったことがなく、少し戸惑う。京王線に行くちょいとした地下道、三十メートルほどの通路には都内の美術館の今やってる展示のポスターがいっぱい貼ってあって、何か気になる展示はないかしっかりチェックしながら歩いた。なぜここの通路に美術館の広告がたくさん打ち出されているのを知っているのかというと、かつて下高井戸に住んでいたからだった。家にネズミが出たので今の家に引っ越した。美術館に行きたい。しかし気になる展示はなかった。クリスチャン・ボルタンスキーの展示は最高だったな、とよく思い出す。
 初台に着き、久しぶりにあの鳩がたくさんいる公園に入る。コーンで囲われた区域がある。なんだ? と近付いてみると、それは切り株だった。え、と思う。あのでっかい木が切られている。コーンが三十本ぐらい置かれていた。切り株を見ると、如何にこの木が太かったのがわかる。寂しい。雨の日には彼の下で凌いだ。タバコを吸いながら何度ももたれかかった。体重を預けた。そうやって助けてもらった日々があった。
 働き終え、新宿で丸ノ内線に乗り換えようと通路を歩く。ここはホームレスの人たちがたくさん寝ていて、なんか好きな通路だ。階段の横で、サラリーマンが女の人に向かって土下座をしていた。女の人は腕を組んだまま無言で睨む。その横では警察官がおばあちゃんに何かを聞いている。カオス。いいカオスだ、と思いながら改札を通る。

三月十七日
 働き、疲れ果て、風呂に浸かり復活。Apex配信。なぜか俺の配信はいつも「English」というタグがついてしまう。勝手に。そのせいで意味のわからないスパムメッセージをコメントに貼られていつも「Fuck」と叫んでいるが、今日はトマス・スミスという見知らぬアメリカ人が来てくれた。トマス・スミスは英語で「バイオハザードの新しいやつやった?」とか「毎日配信してんの?」とか聞いてくるので、頑張って英語で答えようとするが、何も出てこない。「No! I play Apex only!」までは良かったが、「毎日配信はしてない。三日に一回ぐらい」を英語でどう言えばいいか全くわからない。「あ〜、not everyday! たまに! たまにね! ほぼeveryday!」などと言う。思いっきり日本語だ。「I'm twenty nine years old! I'm Japanese! 生粋のJapanese! I'm writer! screenplay! novel!」などとテキトーに喋る。トマス・スミスは「俺はプロのデザイナーだから、自分の作品をディスコードで送るから見てくれないか?」と言ってきた。ディスコードのアカウントを持ってはいるがそれほど使っていないし、ディスコードに関して自分のアカウントを見ず知らずのトマス・スミスに教えるのがどのぐらいの危険度なのかもわからない。ツイッターぐらいなのか、LINEぐらいなのか。ツイッターぐらいなら教えていいけど、LINEぐらいなら教えたくない。そこで「ディスコード慣れてないんだよね、ごめん」と言いたかったが、次は「慣れてない」を英語でどう言えばいいのかわらない。戦場に降り立っているので調べる時間もない。そこで「あ〜〜〜、I'm Discord cherry boy!」と言った。伝わったんだろうか。ディスコード童貞。そもそもチェリーボーイはカタカナ語みたいな感じでアメリカの人にきちんと伝わるのかもわからない。そこからトマス・スミスは何か失望したのか全く喋らなくなり、どっかに消えた。おもろかった。今調べたら「慣れてない」は「not used to」だった。シンプルだ。使ってない、ってことか。そりゃ出てこない。だって使ってないわけじゃない。使ってはいる。日本語って凄いんやな、と思う。

三月十八日
 日記には書けないことが増えてきた。
 プールサイドの単独を観に行く。一番後ろの席で観る。おもしろかった。
 星乃珈琲に入る。いつか、ツイッターで「みんなの好きな食べもの教えて下さい」と言ったら「星乃珈琲のラザニアがうまいです」と教えてくれた方がいて、なのでラザニアを頼む。確かにおいしかった。
 電車乗るところまで見送ってほしい、と頼まれて、もちろん、とこちらは元気が出る。彼女を座らせて俺はギリギリまでその前に立っていた。闘っている。この子は一人きりで。強いな、と思いながら「そろそろ行かなんわ」と言う。「無理そうだったらすぐ降りてタクシー乗ってね」と伝えて、俺だけ電車から降りる。窓越しに手を振る。どうか無事に到着してほしい。大声を出すおじさんとかと遭遇しないでほしい。闘っていることをそうやってまず認めてほしい。祈りながらホームを歩いた。「友達を見送るために入ったんで、入場代引いて下さい」と言って、改札を出る。一度振り返る。電車の全体が見える。頼む、と思う。
 プールサイドと木村くんと山家に行く。数年前の一時期、よく来ていた。久しぶりに来た。懐かしい。まだタバコが吸えてびっくりする。たくさん話した。おもしろかった。しきりに俺は「最高の日や」と言った。彼女から「家に着いた」という連絡が来て、よし、と思う。
 色んなことを話したが、ここに書けるのは家族の話ぐらいだろうか。落合は年々家族の呪いのようなものを感じるらしく、それは俺も同じだった。ファーストスラムダンクの中に、宮城家の父ちゃんが亡くなったあとリョータの兄が母ちゃんの頭を撫でるシーンがあるらしく、その母ちゃんの頭を撫でる感じ、俺とぐちやまはわかると思うんだよね、と言われて、うん、無茶苦茶わかる、と応えた。母親とタイマンで暮らしていると、俺が母ちゃんの恋人をやらなきゃいけない時もあるし、対外的に父親をやらないといけない時もあるし、そのまま息子をやる時もある。幼いながらにいくつもの役を背負ってきた。しかしそれは母ちゃんから「そうしてくれ」と頼まれたわけではない。自らそうした。そうする必要があった。母ちゃんの頭を撫でてくれる人がいないんだから、俺が撫でるしかない。「それって近親相姦っぽくて気持ち悪くて全然伝わんないんだよ」みたいなことを落合は言って、確かに、そうなんだろうな、と思った。俺と落合は母ちゃんの彼氏になる瞬間が圧倒的に多い幼少期を過ごした。だからそういう状況になったら普通に母ちゃんの頭を撫でたり、抱きしめたり、多分してきた。覚えてないけど。全然違和感がない。母ちゃんの頭を撫でることに。そりゃ母ちゃんの頭なんか撫でるやろ、抱きしめるやろ、そりゃするやろ、という感じだが、一般的には「そりゃするやろ」ではないらしい。だから俺は愛情の注ぎ方が「肯定する」みたいなやり方しかできないし、「愛されてる」と実感する瞬間もそういう、「母親っぽさ」みたいなところばっかりだ。それを俺はもう辞めたいと思っている。愛情の種類は「肯定」だけじゃないはずだ。もちろん重要な要素なのは間違いないんだけど。今までお付き合いしてきた相手には漏れなく「私はあなたの母親じゃない」と怒られてきた。わかってる。ごめん、と思う。でもわからない。他人と手を繋ぐ時に、自分の弱いところを見せ合って結託しようとするのを辞めたい。自分の強いところで結託できたら、お互いもっと楽しく過ごせたのかもしれない。俺はもう辞めたいと思っている。果たして辞められるだろうか。必要なのは自信だ。大丈夫だと思い続けることだ。フラッシュ暗算ぐらいムズイ。まだ全然大丈夫じゃない。「やっぱり、足りなかったんだよ」と俺は言った。「母ちゃんは一人で二人分の愛情を息子に注ごうとして、そうやってくれたことに凄い感謝はしてるけど、やっぱり一人で出せる火力には限界があったんだよ」と。木村くんがここで「火力」と言って笑った。母ちゃんは父ちゃんもやろうとしていたが、やっぱり父ちゃんは父ちゃんにしかできないのかもしれない。残酷なことだった。でもやろうとしてくれたことにとても感謝している。それだけで充分。というか、その姿勢を見せてくれなかったら、俺はもっと人間から離れていた。あとは自分でやる。
 こうやって母ちゃんのことをつらつらと書いている時点で多分結構変だ。マザーコンプレックスとはまさにこのことだった。
 すっかり真夜中。木村くんと二人でタクシーで帰る。こういう日があるから生きていける。
 帰宅した瞬間シャワーを浴びて、部屋の電気を消し、羽毛布団に滑り込む。落合から「Apexしよう。今から」とLINEが来る。めっちゃ眠いが、今日やらなければならない。今日は、やらないといけない。今日やらなかったらきっと後悔する。今日やるために今までやってきたんじゃなかったの? そうして布団を捲って、立ち上がった。午前三時。
 ブロークンムーンのミラージュ・ア・トロワでの初動ファイトで二部隊を倒し、エターナル・ガーデンに移動した。誰もいない。収縮まで一分ある。ジャンプタワーでパルス際をなぞるようにスタシスアレイに入る。簡単に入れる。ダイヤだとこういうムーブはもう通らない。検問される。しかしゴールドなのでガバガバだった。簡単にスタシスアレイを横切り、プロムナードの手前まで行く。俺たちを含めて残り三部隊。目の前に一部隊。結構当ててくる。家で待機。すると奥から別の部隊が絡んでくれて、俺はL2ボタンとR2ボタンを同時に押す。レイスが「トンネルを開けるわ」と言い、紫色の残像を引きずりながら全力で走る。「漁夫るよ」と言って、前に前に進む。ジブラルタルがドームを出しているのが見えた。その手前までポータルを引く。落合と味方の野良もついてくる。ドームの中でジブラルタルが蘇生していたのでまずそれを落とす。蘇生されたヴァルもすぐに落とす。残り二部隊。俺たちが最初にいた家の方から撃たれる。落合がそのオクタンを割る。今なら移動できる。というか今しかできない。来た道を走って戻り、斜線を通す。オクタンはバッテリーを巻いた直後だった。撃つ。割る。いつの間にかついてきてくれていた落合が更に撃つ。激ロー。詰める。99でオクタンを落とす。左から撃たれる。割られる。焦る。落合が「カバーしてる! カバーしてる!」と言い、その言葉に安心する。味方のシアの方に走る。デスボからアーマーピック。シアの目の前にカタリストがいた。カタリストはシアを撃ち、こっちはフリー。99のワンマガで落とす。「あと一人!」と叫ぶ。落合の前にパスファがいた。落合の方に戻る。二人で撃つ。割る。二人で詰める。落合は右から、俺は左から。二人で撃って、チャンピオンを獲った。最高や〜〜〜と言い合いながら気持ち良くタバコを吸い、寝た。

【忘れたくないメモ】
「ほんまにそう思ってる? ほんまにそう思ってるのかよく確認して、って最後まで言ってくれた」

三月十九日
 昨日はビールとレモンサワーを一杯ずつしか飲んでないが、それでも体が重たい。眠っ、と思いながら働きに向かう。
 休憩中に短歌を書く。タイトルは仮で『おんなのこのともたち』になった。ひらがな。トーヤくんと初めてたくさん話してシンプルさが気持ち良かった。人間なんて複雑で当然だから、シンプルのフェーズに居続けるのは実はかなりムズイ。俺とか落合みたいに論理をこねくり回す方が簡単だ。だから昨日のトーヤくんの爽やかさを思い出していた。俺が論理をこねくり回している時のトーヤくんの苦い顔。それを見て笑う俺と落合。幸福な時間だった。
 働き終え、YouTubeで「set me free jeongyeon」と検索する。サムネがかわいすぎてビビる。桂正和先生が描く女の子やん。ダヒョンがセンターで始まる。曲が始まってすぐにくるっと反転すると、ダヒョンの背中にピンマイクとイヤモニのマシーンが二機ついているのが見える。ライブだったら服の中に隠すんだろうけど、テレビ収録だから振り付けとの兼ね合いも考えてダヒョンは背中が映る瞬間がないという判断がされていた。しかしこうやって見るとこんないかついマシーンを二つ背中に貼りつけて踊るのは、なんというか、踊ったことがないからわからないけど、結構集中を削がれそう。俺だったらずっとこいつらが落ちないか気になってダンスに集中できない。テレビ収録だから口パクでいいのにきちんと送信機もついている、とここまで書いて思ったが、もしかしたら送信機はないかもしれない。だとしたら受信が二発? いやそれはないか。だからやっぱり受信と送信で二発だった。二回目のAメロの終わりで一番左にジョンヨンは移動して、サビが終わるとミナとダヒョンの後ろを通りながら真ん中に戻る。その時に足元をちらっと見る。ダヒョンの足を踏まないか気にしているようだった。今自分はカメラに抜かれてないから目線を動かしていい時間、ときっと把握している。プロのそれだ。復帰一発目のI can't stop meを観ていた時に「なんか……怖がってるな……大丈夫か……」と画面越しに思っていたが、あれから時間が経つにつれてどんどん大丈夫な感じになっていってる。人は人の何を見て「不安そうだな」とか「自信満々だな」とかを判断しているのか。動きや表情で伝わる何かは言語と同じレベル、もしくは全然高いレベルのパワーを持っている、というのは何度も感じてきたことだけど、こうやってそれをまた具体的に感じると、初めてそれに気付いた時かのように変わらず嬉しい。最後のサビ前のCメロで扇型のフォーメーションになる。客席側から見て扇の一番右後ろはナヨン、その左前にジョンヨン、その左前にサナ。全員が首を後ろに曲げて上を見ながら手を繋ぐところの直前、ギリギリまでジョンヨンはモモの左肩に触れて間合いを自分に擦り込む。立ち位置上、自分の右前にいるサナの手は周辺視野で見ながら繋げるが、左後ろにいるナヨンの方は全く見えない。しかもナヨンはギリギリまでジョンヨンの右後ろにいる。ナヨンからすると左前に飛び出しながらジョンヨンと手を繋がなきゃいけない。つまりここはお互いの手が完全に見えない。目を閉じて伸ばした先に相手の手があることを信じながら、しかもありそうなところに伸ばさないといけない。どうやって、何を信じるんだろう。ジョンヨンのファンカムは三つあって、最初にアップロードされた動画ではお互いの手が空を切る。これが三月十六日のテレビ収録。繋いだ風の演技で乗り切る。次の日の三月十七日のテレビ収録でも、昨日と同じく手が繋げない。遠い。当たり前だ。何も見えない状態で手を繋げる確率の方が低い。その次の日、三月十八日。というか三日連続でテレビ収録するスケジュール凄いな、とまず思う。今日も昨日おとといと同じく一度空を切るものの、指先の近くを何かが掠めた感覚がお互いにあったのか、それを基準にして相手の手がありそうなところに向かってもう一度挑む。素早く。やり直す。そして掴んだ。その変化に感動する。
 と、今これは帰りの丸ノ内線で書いているが、隣にいる女の人がずっと通話している。「今日ホストと会ってきた。まだ好きだから、答え聞きたくてデートしてきた」と言っている。辞めとけ、と思う。「ケータイ見られたら終わるかな」という言葉も聞こえた。嗚呼、なんかようわからんが非常に大変そうだ。今を稼働させるためのその日凌ぎの慰めが必要な気持ちは大変よくわかるが、自転車操業になってしまうよね。そうすると次は自転車操業をやっていることそのものがしんどくなってくるよね。しかし止まるわけにはいかないよね。見ず知らずの相手だが「もうホストとか、そんなんに会わなくても大丈夫になれたらいいよね」と祈っていた。しかし彼女は電車でも平気で電話しちゃうぐらい元気ではある。だから余計なお世話だった。
 帰宅。『味方の証明』がなんだか停滞しているな、と思う。友達とたくさん会うようになったおかげで新しい別の書きたい話が持ち上がっていて、そっちのプロットを日々iPhoneのメモ帳でちまちま書いていたからだった。

三月二十日
 最近連絡を取ってなかった友人たちに「久しぶり〜、元気〜?」と送りまくる。みんなかららしさ全開の返事が来てクソ嬉しい。128色入りの色鉛筆。この人は明るい緑色でこの人は艶なしの紺色。他人との連絡にある腰の重さみたいなのに騙されるのやめた。
 落合とスリンキーとApex。落合が楽しそう。二人はゴールドで俺だけプラチナなので、マッチングはプラチナ帯にされるが、意外とやれた。ぶいすぽの話をする。「ぶいすぽの中だと誰が好き?」という質問は便利。その人が他人の何に反応するのかがわかる。説明します。「ぶいすぽ」というのはVtuberの事務所の名前で、FPSゲームに強い女性Vtuberが十七人所属しています。説明は以上です。スリンキーが「うるはさん」と言う。「一緒」と応える。落合は英リサさん。落合っぽいなぁ、と思う。「俺ああいう、サバサバした感じと激甘な感じ交互にやられるの無理なんよね」と言う。この「無理なんよね」は「頭おかしくなるぐらい好きになっちゃう」という意味で、自分で言っておいて「そうなんだ」と納得する。確かにそうかも。母ちゃんの呪いやな。そうやって人のことを好きになるのを辞めたいと思っているところだ。母ちゃんとは「激甘とサバサバの落差が凄い」という存在だった。それにドキドキしてしまうのは、そのパターンの愛情にしか触れてこなかったからだ。他にも色々あるのに。触角が死んでる。撹乱されたい、振り回されたい、という危険な欲求。この話がおもしろすぎて終盤はもうプレイに全く集中していなかった。
 ハッピーデイだったな、というか、自分でハッピーデイになるようにしたな、と思いながら風呂に浸かる。『われら闇より天を見る』を読む。おもろい。久しぶりにミステリーに熱中できそうな予感。頼んだ。

三月二十一日
 働きに向かう道中、また新しくアップロードされたジョンヨンのファンカムを観る。三月十九日のテレビ収録。四日連続でテレビ収録ばやっとる。どぎゃん暮らし? あの、ジョンヨンとナヨンが手を繋ぐシーンが見たくて早送りする。一発だった。一撃でノールックでお互いの手がぴったり同じ場所に来る。そうか、と思う。四日で完全に間合いを掴んだ。すごい。

三月二十二日
 自慰行為のあとにアレルギーが爆発するという特徴を見つけた。体温が上がったり下がったりするからだろうか。心拍数とかが影響するんだろうか。だから真夜中の羽毛布団の中でくしゃみを連発しながら、いつのまにか寝ていた。

三月二十三日
 雨。洗濯機を回している間、安田茜さんの『結晶質』を読む。大切なことが書かれすぎている。短歌は書くばかりで読むことをほとんどしないので、つい小説みたいにがぶがぶ読んでしまう。ゆっくり読みたい、という気持ちが芽生える。一日一個ぐらいのペースで。洗濯物を部屋干し、皿を洗い、ギターを弾き、家を出る。高円寺に。天下一品を食いたかったが、閉まっていた。木曜定休らしい。回転寿司を食う。駅前にある小さなタバコ屋でセブンスターを買う。南口の喫煙所で吸う。新宿に行って新しい靴を買いたかったが、今すぐにコーヒーを飲みたい気持ちもあったのでぽえむに入る。『われら闇より天を見る』を読む。おもろい。ダッチェスが学校の宿題をやるために、夜少しだけ仮眠してすぐに起きよう、と思うシーン。そこで壮絶さが伝わる。学生時代にそんなこと思ったことない。ダッチェスは母親に「中間があってもいいと思う、そうなりたい」と言う。私のこと好きなのはわかるけど、破滅するほど愛したり、殺すほど嫌ったりとかじゃなくて、中間になりたい、と。十三歳の女の子が辿り着く境地じゃない。だからこそ如何に苛烈な人生を歩んでいるのかがわかる。
 ぽえむを出ると雨が強くなっていた。ルック商店街に入って屋根の下をしばらく歩く。蟹ブックスに入る。『他者の苦痛へのまなざし』を買う。新高円寺まで歩いて薬局に入る。ナザールとティッシュを買って帰る。玄関扉の前に袋が置いてある。靴用の接着剤と良い匂いのするクリームだった。
 落合とスリンキーとApex。
 夜中、テイルウインドの剥がれたソールをやすりにかけて、そこに接着剤をつける。そしてぐっと押す。

三月二十四日
 ヤマト運輸が押したインターホンの音で起きる。だけど玄関まで行く気になれない。置いといていいけどな〜、と思うが、置き配指定ができなくて対面受け取りになっていた。結局出られなかった。もう一眠りして、起き、再配達依頼のページにアクセスすると備考欄があった。気付くのが遅かった。「玄関の前に置いといて大丈夫です」というようなことを書いて送る。しばらく換気扇の下でタバコを吸ってぼーっとしていると電話がかかってくる。「取られちゃっても責任取れないんですけど大丈夫ですか?」とのことだった。ヤマト運輸は置き配に関してかなり消極的、という特徴を掴んだ。トラブルが多発しているんだろう。大変そうだ。こういう細かいライフハックの積み重ねが重要だ。
 新しい小説は『すたっくいんまいへっど』というタイトルで、帰路、それを書く。中央線に乗ると、酔っ払った外国人四人組が扉の近くで立ったまま大きな声で何か喋っている。楽しそうだ。その隣の座席ではメイド服を着た女の人二人組が必死に化粧をしている。俺の好きな中央線、という感じ。
 帰宅して、『すたっくいんまいへっど』をiPhoneのメモ帳からiMacに転送。ワードにぶちこんで続きを書く。女の子全員かわいい、最高、みたいな話なので、その書き方にいつもより注意を払う。そうするとやはりわからなくなってくる。シンプルに「そのネイルかわいくていいね」みたいなことを相手に伝えるのがどのぐらいのキモさなのか。関係性による。言い方による。人による。それは当然だが、「素敵ですね」みたいなことを相手に伝えなくても思うだけでもうアウトな気もしてくる。それも込みで主人公に言わせよう、と思う。それで解決する。小説書くのおもろい。かなりおもろい。

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