ナマケモノフレンズの自己紹介

おはよう諸君。
僕は、父から受け継いだ、みなし相続財産含む遺産を糧にして、ハッピーライフを送っている博士後期課程の文系大学院生です。大学院では、学振(給付奨学金のようなもの)も取れず、その他の給付奨学金も取れずに、いわゆる日本学生支援機構で借りた借金で授業料を払うという極貧ライフを数年間続けていました。そんなある日、生活のすべてを頼っていた父の末期がんが判明した後、父は数か月で抗がん剤治療を受けることもできずに逝ってしまいました。父を失った喪失感、僕たちの生活はどうなってしまうのかという不安感、いろいろなネガティブな感情が心の中をうごめき始めた時、父の生命保険をはじめとする広義の意味での遺産が、僕の手の中に降ってきました。それは、父が文字通り、命がけで最後に稼いだお金、父の生涯獲得年収を最後のラストパートで爆上げさせた命のお金、そう、家族のために父が命を振り絞って稼いだお金が通帳に振り込まれたのです。

人生は、ここで一変しました。極貧大学院生ライフから一転、僕はとつぜん、プチ資産持ちになったのです。今までは半期分の学費を支払う時に奨学金の返済のことを考えながら銀行に振り込んでいたりしたわけですが、今や、学費100年分くらいであれば楽勝で銀行の現預貯金から支払うことができちゃうわけです。大学院での研究のために必要な書籍だって、我慢することなく遠慮なくたくさん買うことができます。ほしい洋服だって、たくさん買うことができます。

ですが、正直なところ困惑しています。極貧大学院生だった頃は、自分が研究者としてのアカデミックポストに就いて、お金をしっかりと稼いで身を立てることを目標にしていました。しかしながら、僕は数十年はのらりくらり生きていくだけのお金を手にしてしまったのです。まさに僕はいま、村上春樹さんによる『国境の南、太陽の西』や『ねじまき鳥クロニクル』に登場する主人公――それなりにお金もあって生活にまったく困ることのない、悪い意味でスノッブな人間になってしまったような心境です。かつて備えていたはずのハングリー精神はもはや僕には残されていません。

僕はこれからどうやって生きていけばいいのでしょうか。

僕はふたたび、研究に情熱を燃やすことができるのでしょうか。僕はふたたび、研究に情熱を燃やすことができるのできるのだろうか。あるいは、そもそも僕が研究に打ち込んでいたのは、生活のためだったのかもしれない。そんな僕の、心の灯を燃やしてくれるものがこれから見つかるのだろうか。

このようにして、問いは続きます。

そして、これは、僕の自己紹介であり、記録、つまりはnoteということになります。どうぞよろしくお願いいします。

ここまでお読みいただきどうもありがとうございました。

Twitter(https://twitter.com/firemezasuinsei)もやってるからフォローしてね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?