徒然ごと 22

閲覧注意
注:今回は、ごく個人的なnoteです。他の人がそうだという話ではありません。
気分が落ち込んでいる方は避けて下さい。



鬱持ちでして、やっぱり死にたいとは思うわけです。
なんで思いとどまっているのかなあ、と考えたという話。
なんだろう、ただの言葉にすると、死んでどうなるの?
という言葉。プライドとか負けん気ではなくて、また、ただの言葉なんだけど
ここで終わることに意味はあるのか?
って。どっちも、感情の色はなくて、そう、思う
うーん。意味は求めているかもしれない。女々しいかもしれない。
不慮の事故で死者が出ると、なんでわたしが代われなかったのかしら。
そう思う。あんなに悲しんでいる人が、いるのに、わたしが代わってあげたのに、
そう思ってしまう。足りないのかしら、何が?と聞かれて答えられないんだけど、
やっぱり女々しいのかな。泣いてくれる人が欲しいのか、どうなんだ。
総合すると悲しんでくれる人がいないから死なないってこと?

泣いてくれる人がいれば死ぬんだろうか?
すごい身勝手だな。悲しんでくれる人が足りないから代わりに死ねない?
おおすごい論理だ。そうだ。ヒトが思う以上に自分で自分を嫌っている気がする。
ああ、だから死にたいんだもんね(´∀`)
なんで死にたいかって自分を嫌いだから、という答えがあっている気がするんだな。

じゃあ、なんで思いとどまれているのか。
なんでだろう。自死するならこのパターンかなっていくつか考えている。あんまり痛くなさそうで、迷惑が少なくて…希望を並べてもしょうがないんだけど。
思い詰まってその道具はああでこうでと考えたり、現場を考えたりはするんだけどまだ実行にはうつしてない。(頭の中でぐちゃぐちゃ考えてるだけだよ)
ふと、何がストップをかけているのかなと。

それが、わたしの自傷行為なんだろうか?
違うという人はたくさんいると思う。公的?な解釈と違うと思うけれど、これはわたしのお話。
ほらほら、これだけ傷ついたよ見て見てって、わたしには思うことがあって、物理的な自傷行為ってほぼしたことがない。でも精神的にはこうやって、自分を追い詰めるのは同じな気がする。ほらほらこれだけいじめたよって。まあ、目に見えることはないんだけれども。話の流れに乗ると、希死念慮の正体ってこうなってしまう。
自分的にもちょっとズレてる気がする。希死念慮は一旦棚上げ。

一般的な話になると、どこかに希望を感じているからってよくいうけれど、わたしにとっては、どこに?何に?ってなってしまう。
自分のパターンだと何だかハッと現実に返って、しまった明日早いんだった寝なくちゃとか、もちろん思い詰めていたのは本当なんだけど、突然現実に浮上して現実の行動を始めてしまう。
そこには希望も何もなくてルーチンのようなそんなようなもので、感情があるとしたら嫌気しかない。ほそーい蜘蛛糸のような希望を見ているんだろうか。それならばここは地獄ということですか
答えが出ないな。

希望といえば、普通というか大変な境遇というわけでもない。3食食べれないほど貧乏とか、実際にこうやってネットに繋がることもできているわけだし、それ以外の何かが自分嫌いにさせているわけだけど、贅沢だろうか…まだいじめぬかないと死ねないと思っているのか。マゾだから死ねない?(゚∀゚)
いや痛いの嫌いなんですけど。

まあ、今回は諦めた。
自分のことだから、わからないこともあるさ。
わかってたがが外れたら死んでしまうのかしら。わからない。
一応、禁忌の観念はないことはない、今わかるのはそれくらいかな。
ちなみに、入院して退院してきました。それでこれかいっていうね(*´∀`*)
珍しく纏まらないようでまとまったところで、〆としましょう。
では、また〜。



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