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不健康で文化的な最低限の生活

 今年の3月に大学を無内定で卒業した。そのあと二週間ほどの無職期間を経て、今は書店に契約社員(パート)として勤めている。しかし契約社員と言っても、朝から昼過ぎまでの短い勤務で、シフトも週4日ときたものだから、収入は大学生のアルバイトにすこし毛が生えたほどである。


 それでも仕事がないよりはずっとマシで、運よく求人が見つかったことにホッとしている。社会から切断されて、家で一人何もしないでいるというのは中々に苦しい。「仕事は辛いけど、仕事がないのはもっと辛い」という箴言は真理かもしれない。それに、大好きな本に囲まれながら、苦手な接客の経験が積めるというのもありがたい。




 そもそも自分が就活に失敗したのは、というより、就活をしなかったのは、“社会人”として働くにあたって、体調面での懸念が大きくあったからだ。神経症による広場恐怖からどうしても電車が苦手で、そうなると朝の通勤列車に乗るのが厳しいから、とにかく半年、あるいは1-2年フリーター(契約社員)として働いて、それから体調の安定したきたところで正社員としての就職を目指そうという算段である。


 だから、その恐怖を克服するためにも、また電車に慣れるためにも、仕事はわざと朝からのシフトに入れてもらっている。といっても、朝のピークの時間帯ではないから、いくぶん車内のスペースには余裕がある。電車も通勤快速や急行ではなく、準急列車や普通列車を選んで乗るようにしている。それでも、その日の体調によっては、たった3、4分の停車区間で息苦しくなることがある。ああ、いつから自分はこんなに大袈裟に、人のいる空間を怖がるようになったんだろうか。


 降車駅に着くと、駅前の雑踏の中で、制服を着た多くの学生の姿が目に映る。数年前は自分もこの中の一員だったのだ。しかし、見知った顔はもうここにはいない。そう思うと途端にきまりが悪くなって、足早にその場を離れて勤務先へと向かう。どこにいても、自分だけが間違っているような気がする。


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 少し早く仕事場につくと、エプロンに着替えて開店前の作業を始める。入荷した雑誌や漫画の梱包を一つずつ開封し、それをジャンルごとに棚へと並べていく。棚番登録、レジ開け、店内清掃を済ませたら、従業員全員で朝礼を行って、お客様を迎える。書店の朝は案外忙しい。


 いらっしゃいませ。ありがとうございました。またどうぞお越しくださいませ。気持ちがよくなる魔法のあいさつ。短い休憩時間には処方された抗不安薬を飲んで、午後の勤務に備える。少し仕事に慣れてきて、昼の薬は飲まなくても大丈夫なときがある。大丈夫じゃないときもある。でも最低限、今はこれでいい。そう言い聞かせて肩の力を抜く。


 お疲れさまでした。お先失礼します。2時ごろに退勤すると、そのままおれは近くの図書館に足を運ぶ。市の中央部にある図書館は蔵書も充実していて大変居心地がいい。この日は探していた『コルシア書店の仲間たち』(須賀敦子,文春文庫)を手にとって、学生運動前夜、1960年代の遠いミラノに思いを馳せる。読書に没頭して、ここではないどこかを夢想していると、救いがたく肥大した自意識の腫れがスーッとひいていくようで、自然と心が落ち着く。


 退館時間になったら本を書棚に戻して、忘れ物のないよう席を振り返り、図書館の自動扉からまた現実の世界へと戻っていく。と同時に、自分はいつまでこんな小ディレッタントのような萎れた生活を続けるのだろうと思う。いや、いつまで続けられるんだろう、と思う。おれには何かを築き上げよう、積み上げようといった上向きの志向がまったく欠落している。マイナスをゼロに戻すだけに苦心するような人間が、これから社会でどうして生きていけようか──。


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 6時半ごろ。帰りもわざと仕事終わりのサラリーマン、部活帰りの学生たちが多い時間に合わせて電車に乗る。段々と、混み合った電車に乗るのも苦ではなくなってきた。周りを見回すと、誰も彼もくたびれた顔をしている。この人たち全員に帰る居場所があり、家があり、それぞれの生活があるのだ。月並みながらそんなことを考えると、すれ違うだけの人生に、なんだか妙に胸のざわつく思いがした。

 そうして電車に揺られながら、車窓の遠景を流れる民家の灯りに目をやると、自分が抱える憂鬱とはまるで無関係に、あっけらかんとした街並みが、今日もただそこにあるだけだった。

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