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一度は・・・

「結婚する気がない」。

そんな私が「結婚」のことを言われて忘れないことがある。「結婚」に対する考えを変えたかもしれない。

今の職になって、いつの頃からか 数か月に一度 会社へ顔を見せる人物がいた。

姿を見るたびに「(ノ・ω・)ノオオオォォォ-」と 心地良い緊張感が走る。

毎回 社交辞令的な会話の後に・・・必ず 「握手して(握手を求められて」残していく言葉があった。

・ 今じゃなくてもいいから、生きている間に 一度は結婚をしなさいよ。(私が生きている間にしてくれたら いいんだけどね。)

この人物から言われると、何故か重みがあった。嫌な重みではない。言わんとすることが何故か よ~く伝わってきていた。(-ω-;)ウーン 

そんなある日、いつものように「握手をしよう」と。手を握る直前に「幾つになった?」と言われ 答えた次の瞬間、呆然と立ち尽くされたのである。

・ふ~ん そうか。君も、そんな歳になったんだね。そう・・・・。

じっと 私の顔を見つめていた。次の言葉で、私は絶句だった。結婚に対して、今までと全く違った重み、人とは違う重みを結婚に対して持つことになった。今までと違う空気が漂う中で握手しながら 静かに・・・

※ 〇〇ちゃん、私達のお母さんは、君の その歳で亡くなったんだよ。疎開先から帰る途中で妹(祖母のお腹の中)と一緒にね。僕は、亡くなったお母さんと同じ歳の人と握手しているわけだ。君も、そんな歳になったんだね。君の歳までに母は、7人の子供を産んで育てていたんだよ。忘れないでね。私も、母の亡くなった歳から離れてしまったか・・・。(大きな溜息)

その目には、涙がこぼれていた。言葉が出なかった。何も言えなかった。

祖父にそっくりになっていた叔父の言葉は、結婚を違った形で捉えさせてくれた。祖父本人から私は言われたようだった。帰り際の言葉にも重みがあった。

今日は、ありがとう。良い日だった。

映画「阿弥陀堂だより」の田村高廣さんが扮した男性と同じように叔父は静かに他界した。(祖父も叔父も、雰囲気が田村高廣さんに似てました。)

今も時折、その時 立っていた場所に残像として現れる。