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恋心は軽くない♪

♪ 愛という字は「真心=文字の真ん中に心」で、
   恋という字は、「下心=文字の一番下に心」。
  情けない男と呼ばれても~・・・

と、サザンの桑田さんが唄ったときは大笑いした。
こんな歌詞をよくお思いついたもんだとね。(* ̄▽ ̄)フフフッ♪

プライベートタイムが、一か所変化している。
NHK大河ドラマ「光る君へ」の時間には、食事を済ませTV画面の前に陣取っている。

※ 私の考えであります。先に伝えます。

ドラマ・映画・・・恋愛が含まれるものは脚本家によって変化すると。
同じストーリーでも、老若男女で大きく変化すると。

「光る君へ」は、主演のひとりを吉高由里子さんが演じることを知って。
連続テレビ小説「花子とアン」で、以前より聞かされていた役者により 自身を忘れ・捨て「その役になりきる」ということを彼女を通して知りました

藤式部(後の紫式部)=まひろ役・・・それも、女性の細やかな心の動きが微妙な表情(眉や目の動き)・仕草で表す様は見事で胸を打ち、欠かさず観ることになりました。

このドラマの見どころは、やはり道長とまひろの心模様でしょう。
道長が結婚し 子をもうけ、しかし・・・思いは「まひろ」にある。
立場上、表に出せない・・・しかし、何かにつけ 互いに・・・

相手へ思いを伝えている。
ココぞ!というときに、行動に出る。

それが爽やかさ・清潔感をもって うまいこと表現されている。
観ていて、心臓が高鳴る方も多いのではないでしょうか。
また、ほろり・・・と涙がでる。

月を観たら、私の心にある人を思います。

Σ(゚Д゚;エーッ! サラッと「まひろ・・・君も月を観て私を思い出してくださいね」と言ってるじゃん。である。(一喜一憂して、突込みまで入れる始末)

道長とまひろ(紫式部)で、恋心は けっして簡単には忘れない・大切な思いであることをしっかり残してくれている。
これが時間・距離には関係のない、見えない絆=糸であると。
大人の恋愛の良い部分をうまく表現されている。

大人になると べた甘いのが苦手であり、だからといって悲恋が良いわけでない。
しかし、何故か恋愛話は どこか両極端(甘辛極端)。
しかし、カラット=歳を重ねると、若い頃の思いも軽く扱われたくはないと思うところがある。
今回の「光る君へ」は、日本人独特の「さりげなさ」を表現する場面やセリフまわし・演技が多い。
その軽く扱われたくない思いを大切に「さりげなさ」で表している。
観ていて、こんな細やかさはやはり必要だな・・・と教えられているくらい。

あなたの過去の、遠い昔の思いも軽いものではないと。

今回の脚本家は、それを昔の絵巻の中で これまた「さりげなく」表現してくれていることに感謝である。
他者にはわからない・伝わらない、気持ちの通じている男女の細やかな心情。
これまた日本人の良さの一つである「さりげなさ」。
これからの展開も楽しみである。

おちついた恋をしている側としても、このドラマにある「さりげない」ワクワクドキドキを大切にしたいと思い、少しでも長く巻き込まれていたいと願っている。(終わらないで~!!と既に思っている。)

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Cohibaのちょっと 一言♪

人とは勝手である。
「源氏物語」なるものに全く興味がなかった。
漫画でも、ど~も美しすぎて読まなかった。
今回の「光る君へ」で、どうしたことか「源氏物語なるもんをひとつ読んでみるか」と思い始めている。
そのくらい今回のドラマは酔わせる。
こんな刺激は、必要である。

それにしても・・・今回の配役は見事で、どちら様も演技が素晴らしい。
本業を忘れさせる方も。どっぷり絵巻物に巻かれてしまっている。
ただ・・・道長役の柄本さんの飄々とした無表情に見えて・・・セリフも
棒読みな感じ(失礼・・・しかし意味あり)なのに、これまた 吉高さん同様 さりげない顔の道具の動き・言葉の静かな変化で心情・心境を想像させる演技には惚れさせます。
もう 一言つけ加えるならば、やはり吉高由里子さんという人自身の実態が消される演技は圧巻で、「この方 演技に入る前に体内を空洞化してるんではないかい?」と。各役どころを「憑依」させているくらい。
ドラマ「花子とアン」「たられば」「光る君へ」、どれも全く別人である。
素晴らしい俳優陣が去りはじめ 寂しく感じているときに今後も楽しみな俳優陣の揃った大河ドラマで嬉しく思います。