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フィンランドに来て思うこと ~「好き」と「得意」で協働すること~


Moi!

今年の8月よりサンタクロースの住む街、フィンランドのロヴァニエミに留学中のmagaranです。

フィンランドに来てから、早73日目。

身の回りの環境や価値観が変わったことによる軽いidentity crisisも一通り乗り越え、今は比較的安定してきたなと感じています。気温はすでに0℃を下回り、今日は朝から真っ白な雪が降っています。でも不思議。日本にいるときだったら絶対寒いって思う気温なのに、ここでは氷点下35℃になるという前提の下で暮らしていると、「まだ暖かいな~」なんて思ってしまうのです(笑) 人間の思い込み、おそるべし!


大学では、秋学期の後半がスタートしました!

前半は訳も分からぬままとにかく全力で駆け抜けていたので、なかなかnoteの更新ができていなかったのですが、2か月で得た学びや気づきが少しずつ「点」から「線」へなりつつあるので、これからぽつぽつ更新していきたいと思います。「線」から「立体」へと繋げていく道のりはまだまだ遠いですが、どうか私と一緒にゆっくり歩んでいっていただけたら幸いです(*^^*)


さて!私はここフィンランドで教育の勉強をしています。

この2か月間、大学でフィンランドの教育学部生と一緒に授業を受ける傍ら、小学校や幼稚園にも観察実習に行ってきました(まだ絶賛続いています)。

フィンランドの教育機関についても皆さんとシェアしたいことがたくさんあるのですが、今日は手始めに、私がフィンランドで暮らす中で気づいたちょっとした変化ついて書いていきたいと思います!

教育、というより私の話がメインになりますが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

目次:

・幼少期の私の夢
・息をするように、「好き」と「得意」で協働することを学ぶ
・みんなの「夢」にワクワクした発表会
・「違い」が「協働」を生み、「協働」が「価値」を生む
・まず自己をさらす、そして初めて「協働」が生まれる
・まとめ


幼少期の私の夢


なんでいきなり幼少期の話!?と思うかもしれませんが、フィンランドにいるとなぜか自分の人生を俯瞰して見ることが多くなり、「あ!あの頃感じてたことはこういうことだったんだ!」という気づきが頻繁に起こるのです(笑) 私の幼少期の夢は「教育」とは全く無縁のように思えるのですが、これが意外なところで繋がっていたりして。改めて、人生のどのピースが欠けても今の自分はここにいないだろうなぁと感じます。


記念すべき私の将来の夢第一号、保育園から小学校低学年にかけての私の夢は、「絵描きさんになること」でした。

保育園の頃に親に連れられて初めて訪れた上野の「ゴッホ展」。

そこでゴッホの「ひまわり」に感動した幼い私は、家に戻ってすぐ真似して花瓶に生けたひまわりを描きました。

ひまわりを描いただけでは飽き足らず、「画家さんになる!」と毎日毎日絵を描いていたあの頃。もともと設計の仕事をしていた父の隣に座って、一緒に同じものを観察しながら絵を描くのが一番幸せな時間でした。


息をするように、「好き」と「得意」で協働することを学ぶ


時は経ち、小学校中学年の頃。

同じマンションに住んでいた幼馴染と、毎週のように一緒に遊ぶようになります。その子もやっぱり絵を描くのが好きで、そして私よりベラボーに得意でした。私は「この子みたいにうまくなりたい!」という憧れから、休日になるとその子と並んで絵を描くようになります。ちなみにその頃の幼馴染の夢は、「漫画家になること」でした。

その幼馴染は一緒のマンションに住んでいながら小学校が違ったので、一緒に遊べるのは休日のみ。しかし驚くほど気が合って仲良しだったので、平日もお喋りできるように交換ノートをしていました。

その交換ノートの中で、私たちはお互いに漫画を描いて見せ合うようになります。その頃はただ楽しくてやっていたのですが、やはり相手は未来の漫画家。私とは比べ物にならないほどうまい(笑)。かなわんなあと感じることが多かったけれど、しかしその中で、私は自分についてある重大な発見を得るのです。


「私は、ストーリーを考えるのが得意だ!」


絵のうまさ、限られたマスの中でどう人物の動きや表情を表現するか。そういう点では、私はその子にかなわない。

けれど、漫画において全てのベースになる「ストーリー」を考えること。物語を想像すること。それだったら私は得意だし、何よりやっててワクワクする!もともと本を読むのが大好きだったので、それも相まって私はそれから自分で想像した物語を「文章で表現すること」に楽しみを見出していくようになります。

ノートにお話を書いては、幼馴染に挿絵を描いてもらう。お互いの「得意」を生かした協働が楽しくて、何より自分の「得意」を生かせているのが嬉しくて。

その後私は小学校5年生で転校することになるのですが、転校先の小学校でも絵の得意な子と協働で絵本作りをしていました。第2回目のnoteでも紹介した時計の1ちゃんの物語は、その友達との協働作品です。


みんなの「夢」にワクワクした発表会


小学校6年生の頃、とってもワクワクした時間を今朝ふと思い出しました。

それは、総合的な学習の時間かなんかでやった、それぞれの「夢」を発表する授業。今思えば職業を調べる授業の一環だったので、めちゃ初期段階のキャリア教育だったのかなぁなんて思います。

自分の就きたい職業と、その職業に就くための方法について本やインターネットで調べる。そしてそれらをA3くらいの画用紙にまとめ、クラス全員の前で発表する。

その時、私は「絵本作家」について調べました。

「絵本作家は絵と文どちらも一人でやる人が一般的だけれど、私は物語を考えるのが好きなので、絵は他の人に任せたい。もし私が将来絵本作家になったら、ぜひ皆さんの子どもに読んであげてください。」みたいなことを、めちゃ緊張しながら発表したなぁと思い出します。今でこそ「心臓に毛が生えてる」とよく言われるようになった私だけれど、子どもの頃は驚くほど引っ込み思案で、「とっても恥ずかしがり屋さんだったね」と卒業アルバムの寄せ書きに隣のクラスの先生から書かれるほどでした、そういえば(笑)。


何よりもワクワクしたのは、クラス一人ひとりの夢の話を聞いた時。

なぜって?

みんな違うんです。

誰一人、同じ夢を語る人がいない。

もう、私のクラスだけで、将来一つの小さな街が成り立ってしまうんじゃないかっていうくらい。

「えー!そしたら、○○ちゃんの作ったテレビを見ながら▢▢ちゃんの焼いたパン食べて、お祝いごとがあったら★★ちゃんのお店で花束作ってもらって…。それから、私にもし子どもが生まれたら○○君に担任の先生になってもらって、もし子どもが病気になったら▢▢君の小児科で診てもらおう!そして私は物語書いて、◇◇ちゃんに絵を描いてもらって、絵本作って。みんなの子どもに読み聞かせしてもらえたらいいなぁ!うん、完璧!!」みたいな妄想を、その日の帰り道に友達と語り合ったのを思い出します。

なんか、私だけじゃなくて、みんながみんなの夢に興奮してたなぁ。普段はしょうもないことばかりやってる男の子も、「おい、医者!怪我したときよろしくな!」みたいなことを医者志望の子に言ってたりして(笑)。

皆の未来にワクワクしながら、このワクワクな未来は絶対実現するんだと信じて疑わない自分がいました。


「違い」が「協働」を生み、「協働」が「価値」を生む


自分の「好き」「得意」で他者に貢献すること。何かを創り上げること。その喜びを、実は私は子どもの頃にすでに感じていたんだ。

それに気づいたのは、本当にここ1週間ほどのことです。


私はフィンランドに来てから、フィンランドの教育や日々の暮らしについてSNSを通じて発信しているのですが、それを続けていく中で、思いがけず色々な方から連絡をいただくようになりました。

現役の小学校の先生、フィンランド留学に興味のある高校生、大学の同期、そして同じような志を持つ教育を学ぶ学生たち。


始めは自分の振り返りのための要素が強かった発信も、色々な方とお話し、思考していく中で

「今この瞬間自分が与えられることは何か?」

という視点で考えるようになりました。

自分が今ここで見聞きしていること、学んでいることに、どんな価値があるのか?私は、自分の学びを、どのように周りに還元していけるのか?

そういう視点で物事を考えるようになると、もうこれは自分ひとりだけの留学ではなくなってきます。と同時に、「私が学べることは全て学んで持って帰らなくては」という焦りも消えていきました。

というのも、人って一人ひとり、面白いくらいに視点が違うんです。同じものを見つめていても、そこから感じることは100人いれば100通りある。フィンランドに来た時は「私ができることを全て120%の力でやらなければ」と自分を追い込みがちになっていましたが、現実的にそんなの自分が壊れるだけだし、そうする必要もない。どんなに頑張っても私は「私」を越えられないし、一人で完璧になろうなんてしなくていいんです。


先日オランダでTeach For Japanの金澤さんにお会いしたときに、

「自分がやらなくてもあいつがやってくれるって思えるから、自分は自分のやるべきことに集中できるんだ」

と仰っていたのですが、その意味を、今は身を持って実感することができます。

日本の教育について、一生懸命に考えて行動している人たちと知り合えば知り合うほど、私たちは同じ社会の中で同じ目標に向かって頑張っている「同志」なんだって思えるようになる。それに、誰一人同じ人生を歩んだ人はいないのだから、必ず一人ひとりが自然とチームの強みになるんです。

私は私にしかできない部分で、日本の教育に貢献していければいいんだ。

だって、

「あれは○○さんがやってくれるし、それは▢▢さんがやってくれる。だったら、私は★★の部分からそれをサポートしていければいいし、そのために◇◇さんの力を借りよう!うん、完璧!!」

って思えるから。

小学校6年生の時の夢の発表会で感じたことと、何も変わっていないんです(笑)

「協働」は、「違い」から生まれるもの。そして「違い」から生まれる「協働」は、必ず人を幸せにする。協働している一人ひとりも、その協働の成果を受け取る側も。

小6の時点で無意識に分かっていたはずのことを、私は9年の時を越えて今ようやく理解したのでした。


まず自己をさらす、そして初めて「協働」が生まれる


さて、違いから生まれる協働の素晴らしさをようやく実感した私ですが、そもそも「違い」って、なかなか自分では気づきにくいんです。

どんなにユニークな視点を持っている人でも、自分ではそれが当たり前になっているから、自分が周りの社会にとってユニークな存在であることに気付かない。

それに気付くために大事なことは、とにかく自分をさらし、他者と対話することです。

「これを言ったら人からこう思われるんじゃないか?」

という怖さは多かれ少なかれ誰にでもあります。

でも、自分の考えたことや心に浮かんだことを自分の中に閉まっておくままでは、いつまでたっても、自分のユニーク性は自分の中に埋もれたままです。


自分の発信が、人にとってどんな価値があるかなんてわからない。もしかしたら、とんでもなく見当違いのことを言っているのかもしれない。そんな恐怖はいつでもある。けれど、自分の意見が100%非の打ち所のないものになることなんてきっと死ぬまでないし、それなら非の打ち所満載の自分をさらけ出してしてたくさんフィードバックをもらった方が、断然オトクじゃないか?と思うのです。それに、自分が気づいていないだけで他の人からしてみればめっちゃ新しくて面白い視点だった、ってことは案外あります。


今の私は、まだ社会に出たこともない無知で未経験で甘ちゃんのしょうもない一学生。けれど、どんなに不完全でも人と話したり発信したりしていく中で、私は自分一人では知りえなかった自分の価値・ポテンシャルに気付くことができました。


今、周りを見回してみて、すごくポテンシャルにあふれているのに自分でそれに気付いていない人があまりにも多いなあと感じます。

日本の学校教育では「違いに注目する」よりも「統一する」ことに重きが置かれていることもあって、「自己をさらす」ことを苦手とする人が日本の人には多いと感じるけれど、少しずつでも、それぞれのちょうどいいバランスで、発信していく人が増えていけば良いなぁなんて思います。

私も、これから自らの視点を生かした発信を続けていきます。


まとめ


今回は、私がフィンランド留学生活の中で、思いがけず発見した学びについて書いてみました。

まるでジェットコースターのように日々自分の内面が変わっていくのを感じたこの2か月。その一つ一つの心の動きをちゃんと記録しておきたくて始めたインスタ日記だけれど、自分が予想していたより多くの学びが得られました。

留学73日目の今、もうジェットコースター期は乗り越え、気持ち的にも安定した中で、これからの留学生活とその後の人生をゆっくりじっくり考えるフェーズに移りつつあります。

はぁ、それにしても学びが多い。まだまだ甘ちゃんだなって思い知らされる毎日です(笑)でもね、無知の知って、前に進むモチベーションになるよ。まだ自分の知らない世界がこんなにもあったんだ~と思うと、「もっともっと知りたい!」って好奇心がうずきます(笑)


これからは、とうとうフィンランド教育について書いていきたいと思います!幼児教育、小学校教育、小学校教育、英語教育…。フィンランド教育、知れば知るほど面白いです。ぜひぜひ、今後もお読みいただければと思います~

それでは!Heippa!!😊











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