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私の趣味は、考えること。

「考えることが趣味だな」

言い得て妙だと思った。

今でもこの彼の言葉が、
私の頭をふと過ぎるのである。


音楽で売れるということ

大学時代、授業に補助員と呼ばれる、教授の補佐をする人がいた。

私は音楽を学べる総合大学に通っており、
その補助員さんは大学のOBのジャズベーシストだった。名前を細田さんとしよう。

出会った当時、
私は18歳で、彼は36歳。
彼は、私と一回りも年齢が違った。

初めの印象は、めんどくさい大人。
顔は割と若い顔をしているのに、
話し方や中身は堅物のおじさん。
しかも、なぜかガラケーを使っていた。
新しいものの力を借りたく無いとかなんとか?

それでも、今まで出会った大人とは、
違った面白さや魅力を彼に感じ、
授業中で絡みまくっていたら、
授業外で話すことも多くなった。

「コーヒー奢るから、話付き合ってよ」

それが彼の常套句だった。

大学の話、小説の話、恋愛の話、過去の話。
そして、もちろん音楽の話を沢山した。

まだ外に出てライブもしていなかった時、
ライブの重要性を熱弁された。
私はライブ活動をするのが怖くて、言い訳を並べていたのだが、

「音楽で売れたいなら、ライブは避けては通れない。下手でもいい、自信がなくてもいい、とにかく外に出ろ。外に出て、ライブハウスのスタッフと仲良くなって、人脈を広げて、誰かに気に入ってもらって、またライブに誘ってもらう。音楽で食べたいなら、まずそこからだ」

叱ると言うより、諭してくれた。


彼の言う事は、説得力があった。
だから、とてつもない不安と緊張を抱えながらも、
ネットで調べた、ライブハウスにメールを送った。

そこから、私のライブ活動、音楽活動は始まった。

そうやって、一つ始めてみると、
私の音楽活動は、トントン拍子に進んだ。

たまたま、別の学部の先輩が、
私をプロデュースしたいと言ってくれ、
大学の支援金をもらって、MVを撮った。
そして、 YouTubeのアカウントを作って、載せた。

すると、
新たに、とあるライブハウスからお誘いを貰った。

「MVを拝見させて頂きました。とてもキャッチーで、素敵だったので、ぜひ僕のライブハウスに出てみませんか?」

といった内容だっただろうか。
下北沢の、有名な人もでているライブハウスだった。

こんな初心者の私が出てもいいものかと思ったが、お誘いをもらうのが初めてだった私は二つ返事で承諾した。

オープニングアクトという、
ちょっとした前座みたいな立ち位置だったが、
他の人の演奏やMC、ライブのやり方を見てたくさん学べることがあった。

そうして、
そのライブハウスに出させてもらってから、
他のライブハウスや、イベンターさんからの誘いが増えた。

断ることが苦手な私はどんどん出演した。
私のことに興味を示してくれる人、
興味が全く無い人。
尊敬できる人、できない人。
ライブハウスのスタッフさんや、
他のアーティストさんなど
多くの人に会い、アドバイスをもらったり、話をした。

ただ、問題は、ライブハウスのノルマだった。

そりゃもちろん、ライブハウスにはタダで出れるわけがなく、お客様を何人呼べるかで、赤字にも黒字にもなる厳しい世界だった。

特に私は、”自分を売る”ということに
全くもって、向いていない性格をしていた。
人の目が怖く、自信がない。
人の反応次第で、一喜一憂。

音楽で売れるということは
音楽以外の部分を頑張らなければいけなかった。

当たり前のことを言ってると思う。
当時もわかっていたと思う。

でも、その当たり前を
頭だけでなく、
身をもって体感したのだ。

私にとって
好きなことでお金を稼ぐのって、
全く楽しくなかった。

だけど、夢を諦める人間だと思われたく無いという
変に頑固なところがある私は、
苦しいという思いを内に秘めながら、
音楽活動を続けた。

作詞の変態に、なりたい

とある日、
授業中に細田さんが私に話しかけた。

「曲を作るのが好きなら、面白い曲作ってよ。
2番目の女なんてよくあるから、3番目の女をテーマにするとか」

そのテーマは面白いと思って、その日のうちに

「3rd girl」
という題名の歌詞を書いた。

ポップスの曲を作る授業があったので、
クリシェ進行という
その授業で習ったコード進行を使って
曲を完成させて
そのベーシストの彼もいる前でこの曲を発表した

彼は感心してくれて、その曲をほめてくれた。

その曲をライブハウスでも歌うようになり
皆その曲で私を覚えてくれるようになった。

音楽の中でも、
こうしてストーリーがある曲が
面白いということに気づいた私は
作詞やストーリーを拘ることに決めた。

学校の通学中は本を読みまくり
沢山の文章に、触れて
表現を吸収していった。

もっと色んな経験がしたいと
沢山のことに飛び込んだ。

新しい感情を得ることが
当時の原動力だった。

根っからの恋愛体質

簡単に私の感情が動くのは
恋愛だった。

苦しい気持ちも、楽しい気持ちも
なんだって全て私の歌詞の“ネタ”になる。

だからと言うと聞こえが悪いが、
私は大学時代3人の人と恋をした。
全員同じ大学の人だった。


1人目は所謂バンドマンのボーカルだった。

そう。恋しちゃいけない3Bのうちの一つ
だけど、別によかった
いや、というか、割とやり手だった。
顔は別に良くないのに
愛嬌と、面白さで私の心を掴んだ。

大学1年生の夏。
ほんとに付き合うまでは一瞬だった。

でも、楽しかったと言うよりは、
やっぱり苦しめられた。

彼がほかの女の子の話ばかりするわ
浮気性で連絡も途絶え途絶え。

嫉妬や不安、孤独感に
のたうち回った記憶がある。
そして3ヶ月付き合ってすぐ別れてしまった。


2人目。1個年上のギタリスト。

1人目の人を嫉妬させたいがために
大学1年生の秋。
別れてすぐにこっちの人に乗り換えた。

だから数ヶ月たって1人目の人に
「やり直したい」
と言われた時はもうこっちと付き合ってて
してやったりと思った。

この2人目は、
いい意味でも、悪い意味でも
普通の人だった。

だけど、だからこそ、私を壊した。

彼は外部の大学に友達を多くもっており
内部の友達よりその友達と遊ぶことが多かった。

付き合った当初は、
大学のサークルや授業で会えていたから良かったのだが、学年が上がって
向こうの授業数が減ったりすると
会う頻度が少なくなった。

私は彼氏という存在とは
毎日連絡したいし、会いたいタイプ

しかし、彼は違った。

私が大学2年生になった春、
一人暮らしを始めたのだが、
あまり家に来てくれず、
連絡も1週間返さないこともあった。
その割にTwitterには浮上していて、それを見て、彼の気持ちが全くわからなくなった。

一人暮らしということも相まって
1人が苦手な私は
どんどんどんどん病んで
いわゆるメンヘラになった。

初めて人生で、本気で、
「死にたい」
と思った。

1度壊れたものは脆くなり、
簡単な事で壊れやすくなった。

今までなかったPMSによる
生理前のメンタルの落ち込みが
出るようになってしまったのだ。

生理の10日前頃から酷く落ち込み、
大好きな大学の授業も
欠席してしまうことが増えた。
家から出れなくなってしまった。

生理後の1週間しか
元気でいられない時期が続いたのだ。

もちろん当時は、
ホルモンバランスのせいだと気づけず、
理由も分からずに、
ただ闇の中をもがき、苦しみ
要らない感情ばかりを感じて
廃人のように生きていた。

だからか、分からないが
人がとにかく恋しくなり、
ちょっとした浮気をしたりもした。

そして、彼氏には復讐の如く、
浮気したことを伝え、
別れ話をした。

でも彼は何故か、泣いたのだ。

連絡もせず放っておいて、
消えない傷を私につけて、
それでいて、
よく、泣けたものだ。

その後なんだかんだあって
1度復縁したりしたのだが
やっぱりダメでまた別れた。

細田さんは言う
「彼は子供だよ。なんで付き合ったの?
だったら1番初めの子の方が愛嬌あってまだマシだったね。」

辛辣。

そこから私は大学生らしい
間違いも挟みながら、
大学2年の冬になった。


3人目は、ドラマーだった。

彼とは友達として
一緒に演奏したり
普通に仲が良かった。

かなりセンスのあるドラマーで、
めちゃくちゃモテてた。

そして、同い年の割に
大人というか、しっかりしていて
ちゃんと自分を持っている人だった。

まぁこれも細田さんが言った事なのだが、
彼の人生経験のせいか、
人を見る目はすごかった。
蓋を開けると、大体彼の言うとおりなのだ。

ちなみに私が彼を好きになったころ、
私といつも一緒にいた仲良しの女の子も
彼のことが好きになってしまい
いざこざを生んだ。

私だって彼女を傷つけたい訳じゃなかったけど
私は恋より友達を優先できなかった。
普通に考えれば
恋は終わることが多いけれど
友情は終わることがあんまりないから
友情を取った方がいい事は明確だけれど
私はそこまで大人じゃなかった。

結局、彼を奪い取る形というか
私が彼といい感じになれてしまったので、
しばらくその友達とは距離ができた。

そして、彼と付き合った1年ちょっとは
かなり楽しかった。
私が病んだ時には会いに来てくれて
寂しいなんて微塵も感じさせなかった。

お互いがお互いに自立していたと思う
やりたいことをやれて、幸せだった。

なぜ別れたか。
将来が見れなかったのだ。

私は将来結婚したいという気持ちがある。
だけど、結婚は出来ないと思った。

彼はほんとに軽度の知的障害があり、
ちょっと人とズレているところがあった。
そこも彼の魅力でもあったのだが、
そこまで彼の面倒を見れるかと言ったら、
難しかった。
しかも、経済力もなかった。
あるのはドラムのセンスと人柄の良さ。
もし、私に夢がなかったら、音楽をしていなかったら、別に良かったかもしれない。
だけど、将来一緒になるなら、私を支えてくれる人がいいと思ったのだ。

だから、別れた。

こうして、恋愛が全てではないけれど
言葉にできない感情をたくさん得て、
それをどうにか表現として形に残せるよう努めてきた。

結果、音楽に活かせたこともあったし、
全然むしろ逆にダメになってしまったこともあった。
これも人生の経験のひとつとして、
今の私をつくる、愛すべき過去である。

この苦しみは、誰にもわからない。

大学3年生になった頃だろうか
細田さんとはあまり関われない期間が続いた。

彼が奥さんと離婚調停になったのだ。

彼は休みがちになり、現れたかと思ったら
端っこで絶望的な表情を浮かべていた。

沢山恋愛して、沢山失敗して
それだって、まだ私は未熟で
彼の半分しか生きていないわけで、
当たり前に彼の苦しみは分からなかった。

離婚なんて、どれくらいの人間が経験するんだろう。しかも、子供がいる状態で。
2人で描いた人生設計の中に、離婚なんて文字は無かったはずなのだ。

やっぱり音楽人って、
普通の人生おくれないんだなぁなんて思って。
それがまた、曲や、演奏の味になるもんだから皮肉なもんだな。
なんて思いながら、
私は自分の苦しみを思い出した。

少し時は戻るが、大学2年生の夏。
校内でオーディションが行われた。
有名な事務所の人が審査員としてくるそのオーディションで、私は予選で3位に入り、学園祭でパフォーマンスをすることになった。

まだまだ自分の中の譲れないものが確立してない
不安定な時期の中、そこに出た。
曲は大学生になったばかりの時に作った曲で出たため、曲と自分の感情の間にかなりの乖離があり、あまり歌いたくないと思っていた。
しかし、後には引けないため、無理をした。
パフォーマンスなんて、無理をするものなのだ。
誰かの前に立つということはそういうものだと、ライブの経験を経て知っていたため、そこは乗りきったし、バンドサポートのメンバーが、いいヤツらだった為、演奏は割と楽しかった。

ただ、あくまでもこれはオーディション。
審査員がいて、オーディエンスもそうやって聴く。
だからか分からないが、1位、2位通過の他のアーティスト(学部の後輩)との差が目に見えた。
彼らの方が人脈があって、審査員に気にいられているのなんて、歴然。

分かっちゃうよ、分かりたくなくても。
私の音楽が、バカバカしいってこと。
チープだってこと。
他のアーティストがやってる事の方が、難しいコード使って、パソコン使って、真新しくてかっこよく聞こえて。

結果はもちろんそのまま3位だし、事務所から声がかかることなんて無かった。

学園祭の終わり、1人教室の隅っこで泣いた。

この苦しみは、私だけのもの。
決して忘れない、大切な苦しみなの。

あなたが語る、人生。

「人間、大人になるにつれて、知ってることが増えて、新しい経験、感情を知ることの方が少なくなる。いい意味でも悪い意味でも落ち着いてくる。」

細田さんは言う。

当時の私にとって、起こることは新しいことばかりで、常にわくわくしてて、彼の言うことがなんだか寂しく感じた。

大人になりたいなんて思ってたけど、子供でいたいななんて思ったりした。
なんにでも感動できて、それでいて、鈍感で、嫌なものに気づかないで過ごすの。

それでも、当時に比べたら少し大人になった私は、彼の言っていた事が分かってきた。
問題が起きても対処法が何となくわかる。
焦って生きている割に、焦らない方法も実は知っているのだ。

しかし、まだまだ、世界は広い。
新しい感動を、感情を、経験を、知りたい。
常に挑戦していたいと思う。

「お前は根明だからな」
なんて声が聞こえてきそうだ。

彼は私に大切な事のヒントをだして
全て教える、導くではなく
私自身が自分で学べるような後押しをしてくれた。正直、大学のどの教授よりも
小学、中学、高校のどの先生よりも
彼が1番私を育てたと言っても過言ではない。

カナダに来てもう9ヶ月も経つ。
彼は元気にやっているのだろうか。

LINEで連絡してしまえば、簡単なのだろうが、
今は、違う様な気がする。

だから、ここで、こうして
独り言のように呟いているのだ。

私は今、あなたの目にどう映りますか。
音楽にプライドと誇りをもって続けているあなたと、活動を休止して、音楽から逃げてしまった私。

当時とは、目指すものが変わってしまったけれど、
まだ、私を誇りに思ってくれますか。

あなたのおかげで
音楽が大好きにもなって、嫌いにもなって
本質とまではいかないかもしれないけれど
私の中での、音楽での答えを見つけたいと
思えるようになったのです。

だから、友達でも、先生でも、恋人でもない
特別な存在のあなたを度々思い出すのです。

次会った時、お酒でも一緒に飲んで
人生についてまた、話してくれますか。

そして、
「まだ考えることが趣味だな」
と言って、笑ってくれますか。

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