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【日記】日記というものについて

こんにちは。Noteを友人がやっているということで初めて見ることにした。いまは大学の図書館、周りを見渡すと熱心に語学を勉強しているもの、本を開くと見せてスマホをいじっている人、授業の予習に奔走している人、各々好きなことやるべきことをしているわけだが、その中に混じってNoteを書き始めているのである私、自分、俺。一人称って難しいよね。

誰かに見られるかもしれない、という羞恥心からなかなか筆が進まない。一人で書いていたWord日記ではあんなに筆が進んでいたのに。
人の目につくかも、ということはかなり人生においてブレーキをかけるようである。だから今Noteを書いて、とりあえずの自分を出してみる。どう思われたってかまわない。のでしょう。
"結論ベース"でいえば、人の目を気にしない方がはるかに自由に生きれるということらしい。昔からよく語られることだが、ここまで頭を悩ませる。自分を含めた人間とはヴァージョンアップしないものである。生暖かい目で見守ってほしい。

昔から言われる自身の文章の長さ。どうにも冗長なのである。
もう少しシームレスに読み進められるようなものをかければいいんだけど。しかし言葉を紡ぐことは好きだ。
自分の思いがこうして形に残り、ふいに誰かの目に留まり、その人の心に触れる(かも)。良ければ記憶に残しておいてね。

思えば昔の人も、日記を教科書に載せられたり、大学の研究者によって詳しく研究されるなど、思ってもみなかったでしょう。
自分だったらそんなん恥ずかしくて死にたくなるよ。自分がテキトーに書いたことが頭のいい人にあれこれ研究されたり高校生中学生にネタにされたりするんでしょ?自分だって高校の時、「枕草子、平安時代版のTwitterやんけ」とか言ってたもん。やば。生き恥とかのレベルじゃなくて死んでも恥なの辛すぎる。自分もいつか教科書にのせられないために、Noteここらへんで書くのやめようかな。

とだらだら書いていると、いつの間にか日は落ち、図書館の窓ガラスを見ると蛍光灯が列をなして光っている。日が落ちるのもこんなに早くなったものか。この暗さに陰鬱さを感じなくもないが、まあ頑張って生きていこう。今日寝れば明日明るい朝がやってくる。気づいたら近くの語学学生も疲れてスマホをいじりだしている。勉強するか。ではここらへんで。

2023.11.15.Wed





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