浅草のミニラ

浅草に、ミニラと呼ばれる老娼婦がいた。

浅草に住み始めたころ、東京の下町はとても楽しく、その頃の主人はまだまだ元気で、二人でよく浅草を歩き回った。主人だって浅草っ子ではないのだけど、私よりはいろいろ詳しく、いっぱしのガイド気取りで、その姿はとても愛おしかった。

寄席に行こうよ、ここに良いバーがあるよ、もんじゃ焼き食べたことある?美味しいお店知ってるよ。
点在するジャズバーへ行けば彼はいつもご機嫌で、またあの頃に戻りたいと毎日思う。

そんな浅草探検をしている時に、とても小柄な浮浪者の女性とすれ違った。
年の頃は70を超え、その姿は異形の者に見えた。

彼に、今すごい人いたねと尋ねたら、あの女性は売春を生業としている浮浪者で、浅草ではミニラと呼ばれる有名人なんだよとこともなげに答えた。
ゴジラの息子ミニラそっくりの年老いた娼婦。
驚いた私がお財布から1万円出して手渡そうとしたら、主人は、その態度は尊大で不遜なものだと止めた。
彼女にだってプライドがある。受け取るだろうけれど、若い女性から憐みの感情で渡された1万円は、彼女を傷つけると。
それでも、私は、ミニラと呼ばれる女性にお金を渡した。
どんなに傷つけようが、今晩、彼女が体を売らずに過ごせれることの方が、よほどいい。
主人は偽善を嫌う人だと分かっていたが、彼女に何か美味しいものを食べてほしかった。

ある日、浅草の地元の小さなバーで飲んでいたら、ミニラの話題になった。
僕が高校生の頃、ミニラに声をかけるという罰ゲームがあったよという中年の男性。
ミニラの、ネットで出回っている、ホテルで年老いた裸体を晒す写真を見せてくる客もいた。
悪趣味の極み。
私には、何十年も浅草のアーケード街を住処とし、身体を売り生き続けるミニラの方がよほど尊く感じられた。
地元の人に言わせれば、厄介者だったのは分かる。
でも、それほどまでに貶めなくてもいいと気分を害した私は、一緒に飲んでいた主人に、明らかに不機嫌そうな態度でそろそろ帰ろうよと伝えると、そうだね、帰ろうかと応じてくれた。

その帰り道、主人は君は世間の厳しさを分かっていないと、訥々と語り始めた。医者を長年やっていると、浮浪者だって運ばれてくる。その対処がどれほど大変なものなのか君には想像もつかないだろう。
彼ら彼女らは、人生の厳しさから逃げに逃げ続け辿り着いた場所にいる人たちなんだよと。

主人はとてもやさしい人だった。
でも、その主人になぜか反発を感じた。

私は主人に大きな声で反論した。

私だって、将来、ミニラになる可能性がある!と。

主人は、君がミニラになる可能性が100%ないから言える言葉だよと、諭すように静かに答えた。

それから1年後ぐらいに、ミニラが亡くなったという噂が浅草中に駆け巡った。

私は、彼女が浅草のミニラと呼ばれだす前に、誕生を祝福され、美味しいご飯を食べ、愛し愛される人がいたことを望む。

厳しい人生だったことは想像出来るが、彼女の人生に少しでも幸せを感じるときがあったはずだよねと亡くなった主人に伝えたい。

きっと、君の考えはいつも甘いと怒られるだろうけれど。














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