老夫婦
亡くなった主人の通院に付き添うと、娘さんですか?と100%間違えられた。
歳の差夫婦だったこともあり、主人は元々小柄な人で、どんどん病に侵され衰えていく一方で、私は元々実年齢よりも若く見られる170㎝ある大柄な女性であり、そのギャップから主人の車椅子を押す健康馬鹿の私の足取りは軽快で、誰が見ても娘にしか見えなかったのだろう。
私は、主人の付き添いにいつもお洒落をして行った。
彼自身が50年間勤めあげた医者だったので、病院にそんなお洒落をしていく付き添いはいないんだよと、最初は控えめに文句を言っていた。
女性のファッションのことなど全く興味のない彼は、先ず、私の靴に文句をつけた。
ルブタン、ジミー・チュウ、マノロブラニク、セルジオロッシ…
彼にしてみれば全部同じに見えるけれども、ヒールの高い、靴先の尖がった病院には似つかわしくないと彼が判断する私の素敵な靴のコレクション。
僕の病院に、そんな靴を履いてくる付き添いの人は見たことないよとベテラン医師の彼が言う。
あら?介護される身で、妻の靴に文句を言う夫も私は知らないわよと、イメルダ夫人が言いそうなことを口答えしながら、週3回は病院に通った。
その次は、彼にとってはどうも私のファッションも病院にはふさわしくないと小言を言い始めた。
エルメス、ロロピアーナ、アルマーニ、フェンディ、クロエ、プラダ…
いつもシックじゃない、何か問題でも?と反論すると、ファッションに疎い彼が、「何かが違うんだよ…」と、それ以上の文句は言えなかった。彼には申し訳ないけれど、心の中ではそりゃそうだろうと私は思っていた。
彼は、3つの癌を抱えていたけれども進行は遅く、癌だけなら問題なくあと数年は生きられた。74歳の彼は、80歳ぐらいまでは生きられるかもしれないと、お酒を口にするとおどけた口調で吐露することもあった。
けれど、癌では説明のつかない症状が現れ始めた。
結果的には、水頭症という脳に水が溜まる病気だったのだが、その主症状は、歩行困難、尿失禁、認知症の三つだった。診断が遅れたのは、彼自身が老人医療に携わる医者であったために、他の二つは当てはまるのに、認知症だけが当てはまらなかった。
なぜなら、元々地頭が良い上に、既存の認知症テストの答えを知っていて、イレギュラーなテストを与えられても答えを学習していった。
私が担当医師に、「主人は、テストの度に答えを学習しているので認知症とは思えないかもしれませんが、日常生活では間違いなく認知症状が出ています」と訴えると、医師は、学習できるということはすごいことなんですよ、認知症とは言えませんねと診断を下した。
それでも、その後、水頭症の患者を扱う有名な中目黒の病院を紹介され、脊髄から脳の水を抜くシャント治療を受けたら、少し立ち上がれるようになった。
歩けないことで日に日に衰えていく彼が、1日だけ歩けた。
その治療で改善の兆しがみられるということで、ようやく水頭症と判断され、手術を受けられることになった。
下手に賢く生まれると、手術も遅れるわねと皮肉を言いながら、入院に向けて、私がグンゼのセールで新品の下着をアマゾンで注文した商品が届く前に、突然、彼は心不全でこの世からいなくなった。
先日、お薦めされた「エゴイスト」という冗長でつまらない映画を観ていたら、一つだけ共感できる場面があった。
主人公のゲイの男性の、ブランド品で着飾ることは、自分を鼓舞するための「鎧」だという独白のシーン。
私にとって、病院の付き添いの時、ハイブランドの靴や洋服で身なりを整えていたのは、どんどん病み衰えていく惨めな彼を守るための「盾」だった。
待ち受けているのは避けがたい苦痛の末の死である夫には、あんなに素敵な奥さんがいるのだと、ただ彼や周りの人たちに思われたかった。
まさにエゴイスト。
生前の彼は、君のファッションはとてもエレガントで好きだよとよく褒めてくれた。
その彼がいなくなって一年以上が経つが、喪失の悲しみのあまり、私は一ヵ月ごとに一年づつ老いていった。
今の私の姿なら、彼にお似合いの老夫婦に見えることだろう。
彼に惨めな思いをさせまいと誓った盾はもう必要が無くなった。
彼がこの世を去った3月のあの寒い日以来、洋服は一着も買っていない。
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