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『病院坂の首縊りの家』(横溝正史)を読んで数ヶ月たってからの感想 ほんの少しアガサ・クリスティも添えて

※当然のようにネタバレカーニバルですので未読のかたはお気をつけくださいね。
 今回作品名だけでも触れている作品
  横溝正史
  『病院坂~』『白と黒』『三つ首塔』
  アガサ・クリスティ
  『動く指』『白昼の悪魔』『ナイルに死す』
 
 読んで数ヶ月ってなんだよ、とお思いの方もおありでしょうが、一時は書こうとしたんですがなんかこう、落ち込んじゃってですね。あの、こう、わかるでしょ、あの作品読んだら。で、ようやく最近やっと感想を書く気になってきました。 (なんなら『病院坂~』を読んでから数ヶ月金田一耕助シリーズに食指が伸びなくなりました。『八つ墓村』の感想を書き上げつつクリスティに逃げ、ポアロものを始めから順に読んでました。今『白昼の悪魔』の事件発生時まできました。クリスティの日常会話の描写って凄いですよね。おしゃべりなご婦人の声が聞こえてくるようです。それから『ナイルに死す』なんですが、舞台って基本船上でしたよね、乗り物全般苦手なはずのポアロが何で今回だけは元気なんだろ……豪華客船だから揺れがあんまりなかったのかな……???と疑問を持ちつつ読んだのですが読み落としがあるのでしょうか。それはともかく『ナイルに死す』多様な人間模様もあってめちゃくちゃ面白かったです。コーディリアいい子。いつか感想をちゃんと書きたい。)
 『病院坂~』は読み終えた瞬間から二、三時間何にも手につかなかったんです。暗くって。その日天気も曇りで作品の効果が最大限に発揮されてしまいました。おかげでこの日のやることリストは台無しでした。油断していたんです。金田一耕助シリーズはなんだかんだハッピーエンドだと。(でも今思えば「序詞」の段階で横溝先生は警告してくれていたんですね……。)
 この時点で「金田一耕助ファイル」はほぼ読破してました。これを書いている時点で残りは『三つ首塔』と『白と黒』です。先述の二作品を後回しにした意図は特に無くただ書店で手に入った順なだけです。『病院坂~』をラストにする予定でしたが、先述の二冊がいくらはしごしても書店で見当たらず、金田一欠乏状態から抜け出したくて先に手に入っていたからと軽率に読み始めたんです。ええ、本当に軽率でした。 (ちなみに現在どちらも無事入手し『白と黒』から読んでおります。孤島と団地なら孤島の方が好みなので……。好物は後にまわすタイプです。中傷の手紙が飛び交うと聞いて『動く指』(これはマープルものですね)やんけと思ったらコールタール!?ときたので『動く指』ちゃうやんけとなっております。ミーガンが幸せになって私嬉しかったよ!さっきまでミステリだったのに急に少女漫画始まってびっくりしたよ!現時点で何もわかってないけど京美ちゃんにも幸せになってほしいなと震えながら読んでいるよ!)

 というわけで、本題に移ります。(※この先アガサ・クリスティーには触れる余裕がありません。ご了承くださいませ。)まず、これはミステリを読む際にはほんとによくないんですけど読書してるとついパラパラっと先を見ちゃうんですよね。そしてパラパラっとめくったときに「山上良介氏のアジト」って単語が目に入って、ネタバレの自爆をしてしまった!と怯えながら読み進め(個人的には)さほど大筋のネタバレで無かったのが最終盤になってやっとわかりようやくそこで安心したのを憶えています。それこそアングリー・パイレーツの面々の名前が出たときに「山上」と名字の付く人がいたら終わりだと思いながら読んだものです。あと下巻の人物相関図も追加がなかったかとビビりながら確認してました。今度は気をつけよう。(でもきっと多分またやらかす。)
 さて、冒頭から姻戚関係がごちゃごちゃしていて横溝ワールドっぽくなってきた、気を付けないとひどい気分に陥るぞと警戒していたら猛蔵という『八つ墓村』の要蔵の気配を感じる輩が現れたので覚悟していたら思ったより大したことなかったので一安心していたんです。と同時になんとなく違和感がありました。こんな脂ぎった男が出てきてこの程度で終わるはずがないと。そしたら案の定最終盤も最終盤になって、てめえ!!!!やっぱり!!やっぱり出てきやがったか貴様ァ!!!って気持ちになりました。伏線回収だ!!!嬉しくない!!!(小説の読み手としては嬉しい!でも登場人物に感情移入すると全く嬉しくない!)「金田一耕助ファイル」では罪のない女が犠牲になるパターンが多くてそれが大変つらいです。悪女が自業自得で殺されるのはわかりますしそりゃそうなるわと思うんですが、そうでない人が暴力でもって思いのままにされるのは非常にグロテスクに感じますね……。
 ビンちゃん小雪ちゃんの母であるお冬さんが肝心の弥生さんと会えなかったのは不運としか言えなくてそのすれ違いがもとでその後のさまざまな悲劇を生んだわけで。安っぽい表現をするなら運命のいたずらなんですね。なんかもう、うぬぬ……としか言えない。琢也氏が会わせなかったのは由香利と小雪ちゃんがそっくりすぎて弥生さんがどう受け止めるかが怖かったんだろうなと思うわけです。ただ、罵倒するだけして追い返した万里子については気持ちもわからんでもないけれど(令和のこの時代ならむしろ慰謝料云々の話にまでもつれ込んでも全く違和感はない)当時の時代感覚で考えれば、名家なんだしもう少しうまいやり方があるだろうに配慮というか思慮深さってもんがないなと。底が浅いというか。まあその程度の器だったと考えればそれまでなんですけれどね。こういう件の影響を最小限に抑えるのも家を差配する人には必要なことだろうに感情に任せて追い立てたせいであとあとが物凄くこじれちゃったわけですよね。弥生さんがここにいてくれたらと悔やまれてなりません。
 それにしても成城の先生が本編に出てきたときは意外でした。基本的に語り手の立場からは出てこないと思っていたので。ずっとおどろおどろしい雰囲気に張り詰めていたところでナサケナイ雰囲気で先生がご登場なすって思わずほっこりしてしまいました。成城の先生めちゃくちゃかわいいと思っちゃいました。唯一の癒し、もうずっと出ててほしい(辛いから)。
 上巻で誘拐は発生したものの思いのほか殺人が起こらず、でもずっと不穏なままで一体これから何が起こるのか……と思っていたところに生首風鈴。度肝を抜かれました。そうはならんやろ。写真屋さんたちもそんな写真撮ってないで通報なさいよ。いや、見上げた職業魂だとも思いましたけれどもね。息子さんも一発で更生したしね。そしてTwitterで見かけた金田一耕助コスプレイベントでの「風鈴」ってこれのことかい!ってなりましたよ!!!いろいろびっくりしたよ!!!どんなトリックが使われた結果こんなことになったのかと思いながら読み進めましたが、生首風鈴関連のこれはもうトリックとかじゃなくてもう、なんというか「事情」です。「何か特別な事情があるなら話してください」ってときに適応される「特別な事情」ですよあんなん。ビンちゃんもお母さんと同じく人選を誤った結果なんですよね……。誘拐だけで済ましておけばよかったのになんであんな「結婚式」なんてことをしてしまったんでしょう。たしかに大切な妹が日陰の身な上に日の当たる地位にいる小娘は驕慢だしそいつに妹が罵倒され平手打ちされたのはそりゃ許し難いだろうし怒りに震えるだろうけれどこればかりは擁護できませんよ。結局大切な小雪ちゃんにあんなむごくて辛い運命を負わせてしまったんですから。ビンちゃんは家族思いで優しい優秀な才能ある人物で、環境さえ整っていればと悔やまれてなりません。その後の入れ替わりやなりすましについては小雪ちゃんも弥生さんもたいした女優ですよね。弥生さんなんて一連の事件後すぐに金田一先生と対話もしてるんですよ。もう怖いよ。火事場の馬鹿力ってのはあるだろうけれど、すさまじい胆力。
 それから滋氏について。冒頭に出てきたときはなんだこの甘ちゃん坊主はと嫌悪感があったものですが、下巻になってそれなりに立派になっていて歳月って人を成長さすんだなと思いながら読んでおりました。人を疑うことを知らない純粋な彼の存在が壮絶な体験をした小雪ちゃんの精神的なケアにつながっていたんだろうなあと思います。「由香利」がだんだん変わっていくのをまさか入れ替わったとは夢にも思わず(そりゃそうだわ)純粋に信じていたのにね。確かに殺人を犯してはしまいましたが、彼も被害者ですよね。善人であり優しい夫であり父だった人が、一通の悪意ある手紙で一変してしまうのが辛かった。疑ったこともなかったよね、びっくりだよね。悔しかったよね。小雪ちゃんのテープ(多分時間にするとめちゃくちゃ長い)を何度も聞いて涙を流していたのが辛かった。ろくな動機もないくせに兵頭がいらんことしなかったらこんなことには!しかも兵頭は最後の最後まで卑怯者だし。人間の愚かさ欲の深さに悲しくなってきますよ。
 この作品、鉄也君たち若者世代にはちらっと希望の光が見えるんですけれども(保護者になってくれるおじいちゃまがいて本当によかった。いずれ日本に帰ってきたときにはきっと佐川さんもなにかしら後ろ盾になってくれるはず。「俺はきみが可愛かったんだ」っていうあの一連のセリフはなぜか心打たれた。)他はもうすべて辛いんですよね。こんなん体験したらそりゃ金田一耕助先生も国外に出奔するわ!メランコリーじゃおさまらんわ!結局人間って群れてると揉めるしだからといって独りでは生きていけないし、なんだこのめんどくさい生き物。事件を解決してめでたしめでたし!で終了するわけじゃないですもんね。そこを乗り越えて人は生きていかないといけないわけで。するとその先にまた何か起こったり解決したはずの事件が思わぬ形で火種になったり……。金田一耕助が感じたであろうメランコリックな感情は賽の河原のような感じなのかもしれません。人間の愚かさにつくづく嫌気がさしたというか。
 なんだか手塚治虫の『火の鳥』読んでるときと同じような気分になってきました。(たまたまですが昨日久々に『火の鳥(望郷編)』を読んだんです。)もしかしてこれ横溝版『火の鳥(病院坂~編)』なんですか?私は何を言っているんだ。金田一先生がアメリカで本当の意味での「静養」ができていたことを願います。


おまけ
 それにしても皆総出で金田一耕助消息不明に慌ててるなか成城の先生だけ「それじゃ、耕ちゃん、旅行のスケールがだんだん大きくなってきたかな」って事の重大さをちょっとよくわかってなかったのがまたかわいかったです。やっぱり唯一の癒し。
 

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