北村薫『六の宮の姫君』を読んで
読み終えて最初の一言。「いい時代だなぁ……。」
性能のいいワープロが欲しくてアルバイトを始めるというのがそもそも時代を感じますが、何よりも大学の四年生でこののんびりさです。いいなあ。卒論に一部は転用できるからといってここまで文豪たちの内面を文献をもとにたどっていくのは、いくら国文科の学生でも時間も手間もかかりますから並大抵のことではないようにみえます。私が国文科出身じゃないからかな。
この令和の時代で、学生さんがこのくらい「実生活に役に立たないこと」をやっていたらとてつもなく奇異の目で見られそうだと思いましたよ。そんなことないですかね。もちろん個人的にはこういう学生さんのほうが理想的だし、学生の本分を果たしていると思いますけれどね。卒論やりながら個人的に気になることも並行して研究なんて現代の学生さんじゃなかなか忙しくてできそうにありません。そもそも大学四年生の7月でそろそろ就職活動しなきゃなぁってぼんやり思うというのは……。当時でものんびりさんなんでしょうか?今だと下手したら大学3年の前半で動き出すって聞きますよ。何しに大学行ってるんですか。そもそも大学生活の目的が就職活動用の実績づくりみたいになってるなんて話も聞きますし。目的と手段が入れ替わってるというか。いわゆる「ガクチカ」ですっけ?もうどんどん追い立てられている気がします。タイパだかコスパだかしらんけど。ワープロより何倍も便利なパソコンやスマホ片手に我々現代人は何やってるんだろうなって思うことも多いです。学生さんにはせめて学問をさせてくださいよ……。
ていうか企業が人育てる気なくて完成品を大学に求めてるけど、お門違いだよね。即戦力!がまるで前提のようにされていますが、そんな人間そうホイホイ出てきませんて。就職活動において、就活関連企業は特に罪深いことをしたんだろうなぁなんて思うなどしました。
本筋に関係ない感想のほうが長いのは宜しくないですね。ここまでにします。
品があって穏やかな文体の中で、〈私〉や正ちゃんの学生らしい青い言葉、円紫師匠の円熟した言葉が散りばめられ、私まで学生に戻ったような気分になりました。そして〈私〉のタンテイの道々で文豪たちのヒリヒリしたやり取りが描かれる。芥川の自殺、菊池寛の家族、いろいろ自分にも当て嵌まったりギクリとしてみたり。譲れない思いは誰しもあるよなぁとか。なんだかいろいろ考えました。ついでに自分の学生時代の卒業論文にまつわるいろいろも思い出して冷や汗をかいてみたりもしましたね。図書館に毎日籠ったあの日々が懐かしい。戻りたいかと言われると語尾を濁してしまいますが……。アハハ……。文庫の解説だったと思いますが、卒業論文の書き方を教えるならこの本を読ませるという意見を見かけました。ああ、このなつかしさは確かに卒論を書いていたあの頃の思考、そしてあの頃の私自身へのなつかしさだ。そう確かに思えました。
ところで謎があってそれを論理的に解き明かしていくのは確かにミステリなんですよね。よく考えたらミステリってそういうことですもんね。米澤穂信先生はご著書『米澤屋書店』で「学問はミステリになり得る」と書かれています。そしてミステリでいいのかと揺らいでいた先生に「ミステリを書こう」と決心させたのもこの作品です。それで興味をもって今回手に取ったのですが、改めていいものを読んだなあという感想です。
パソコンが主流でなかった時代に思いを馳せながら他の作品も読んでみようと思いました。
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