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自分の中にない思考に触れること

自分の中にない思考に触れるのが好きだと言っている人がいた。私も『そうかも』と思った。



最近面白いと思ったのは春とヒコーキのぐんぴぃと食べ物の趣味が全然合わなかったこと。過大評価されている食べ物として梅干し、生ハム、梨、馬肉なんかを挙げていた。

そんなわけないだろ!!!!!

と言う気持ちでいっぱいである。
私は最後の晩餐には大きい梅干しがのったご飯が食べたいし、好きな食べ物を訊かれたら生ハムと“答えると決めている”。(生ハムも好きだけど1番好きな食べ物は恥ずかしいので秘密にしている)梨も果物の中では圧倒的に上位だし、馬肉も大好きなのに。

こんなに趣味合わないことあるんだと思ってびっくりした。めっちゃどうでもいい話だけどぐんぴぃにはぐんぴぃの感想や考えがあってそう言う結論なんだなーと思うと面白い。自分と違う考えが面白いって感じるのってこう言う時だよなーと思う。

もっといい例えがある気もするけど。



これを書いている自分は『人と話すのは苦手だし、別に話さなくていいや、そんなおしゃべりじゃないし』と思っている。これは本当。本当に本当。

だけど『自分おしゃべりだな〜』とか『自分の話ばっかりしちゃったな〜』とか思うこともある。学校やバイトの後にダラダラおしゃべりしたり、長電話したりするのが楽しくて仕方ない時もあった。

どっちも本当に本当なんだと思う。
でも『今自分っておしゃべりじゃないな』と思っているのは楽しいおしゃべりの時間が前より少なくなったからかなーと思う。そんな時間もないし相手もいないし。(ないなら作ればいいのかもしれないけどそこまでの熱量はない)

今話すのが苦手と思うのは職場のでのコミニュケーションが関係していると思う。スムーズな情報交換(短時間で必要な情報を得ることわかりやすく伝えること)と、ちょうどいい世間話(ある程度の自己開示と他者への興味ある振る舞い)が難しいと感じているからだと思う。これはまた別の機会に考えるとして。

誰かと共有・共感できる話はもちろん楽しい。
共感はできなくても理解はできる話、結論は同じだけど過程が違う話も楽しい。自分の中にあるまだ言語化できていなかったことに出会うのも楽しい。違う体験をした人が同じことを考えていると気づくのも楽しい。

でも現実世界でこう言う話をする機会って少なくなった。だからYouTubeとかSNSとか見る時間が増えたんだろうなーと思う。人と会いたいと思うことも減った気がする。

(でもこれは私が独身で人とあまり会わなくていいタイプの人間だからであって周りの人は家族がいてパートナーがいて普段から何気ない話をする相手がいるから私にそう言う話をしてくれなくなっただけなのでは⁈え!まさか!気づいてしまった‥そう言うこと?笑)

現実世界には話してて楽しい人がいなくてもネット上には色んな人がいて楽しい。そうなると現実世界で無理に交友関係を築く必要が無いのかもしれない。もちろん現実世界で直接話すから楽しいこともあるけど。

それに話してて楽しいか楽しく無いかって、相手が悪いっていうより自分に原因がある気がする。自分が悪いってことでもないけど力不足というかなんというか。誰と何を話してても楽しそうな人っているよね。(本当に楽しいかは不明だけど相手は幸せだと思う)自分はそう言う人じゃないってだけだけど。

SNSやインターネットがあるおかげでアウトプットしなくてもコミュニケーションの楽しさを得られる機会が増えたのは私にとってはありがたいことなのかも。

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