配信は「伸びなければならない」のか?って疑問の話

どうも赤津きんたろうです!
TwitchやYoutube、ニコニコ生放送でいちリスナーをやっています!
私の記事は、しがない「いちリスナー」から見た、配信のあれこれについて思った限りに書きなぐって自分が気持ちよくなるNoteを書いてます!

そんな中で何か一つでも参考になるものがあればと思い、リスナー視点から見た「伸びない配信」「嫌われるリスナー」というポイントに焦点を絞って書き殴って行きたいと思います!


さてさて、暫く「伸びない配信ってこんな配信」というのを色々と書いてきました。

かくいう私も、これは配信とは違いますがゼロベースでこんなNoteを書いたところで誰にも読まれることもなくデータの海に埋没していくだけで、適当に管を巻いてストレス発散をするだけの代物として考えてたんですが、自分の想像していた以上に反響があってだーいぶ驚いています!

で、NoteはNoteで、私と同じ様に配信で伸びる為の論を書いてるNoteって沢山あるんですよね。
でもまぁ、そういうノートを書いているのは大多数が配信をやってる人ですかね。
まぁそりゃそうか。そうでなければVtuberの強いフォロワーがそのVの事を書いてたりとかなんですが。

自分はと言うと、自分の場合は配信論を色々書いてますが配信はやった事ないし、これからもやる気はサラサラないんですよね。
何故なら、知れば知るほど私みたいな特に取り柄のないオジサンは今からは無理だなって思うからですね(涙)

じゃあなんで未だにこんなNote書いてるのって言うと、人が集まって欲しいならもっと工夫しなきゃいけない事が沢山あるのに、何の工夫もしないで伸びなくて「人がこない」って愚痴ってる様子を時々目にするのが凄くモヤモヤするって気持ちを勝手気ままに管巻いて書いてストレス発散してるてワケなんですが。

なんで私のNoteは完全に自己満足のストレス発散です。
そもそも私が書いてる対象にしてるタイプの人って恐らくはインプットはほぼしないですし、「リスナーだったらそれこそ配信に対する考え方のインプットなんて、酷くムカつくリスナーを見たとか自分がBANされたとかで初めて考える」くらいの代物だと思うので。

配信者向けでも多分、伸びてない人っていうのは基本的にインプットが無い人だと思います。

実際、じゃあ何か伸びる為の工夫を調べたりしました?って聞く機会があったんですけれども「そんな事は一切やってない」と言われました。

まぁでもそりゃそうよ。だって面倒くせぇもん。私だって「このNoteもっとこう書いた方が良いですよ」って言われても「うるせぇ」って返すだけですし(笑)

だからもし私のNoteを読んでくれ!って売りに行ったとしても「俺をバカにしてんのか?」って多分怒られるだけだと思います。
実際、自分が「このNoteの書き方はダメだ、俺のNoteを読んでみてくれ」って誰かに言われても、それは決して読むことなくその場でブロックして終了でしょう。

さてそんな所から始まる今回のNoteなんですが…
自分のNoteを読むとそれでもまぁチョット反省というか、ある事に気が付くんですよね。

「伸びる=大正義」であり「伸びなければ僅かな価値もない」みたいな考え方が大前提になってね??

っていう。
これは他の人のNoteでもチラホラ感じ取れます。
例えばNoteを読んでくとこんな意見はけっこう目にするんですよね。

  • 伸びなければ配信する意味がない

  • 伸びなくて良いって考えは欺瞞だ

  • 人が沢山いるYoutubeでやらないのは逃げだ

実際には、それとは真逆に「いやいや、伸びるとか収益を上げるが全てじゃないでしょ」とか「趣味なんだからストレスになってどうするの」とか色々対になる意見のNoteはしっかりありますけれども、更にそれとは逆にこんな方向にムチャクチャ強い言い方を目にする事があります。

「配信やってるなら伸びなくても良いなんて考え方は欺瞞だ」的な意見まである

つまり「伸びようとしないなら配信する意味がない」みたいな、「他人の活動や考え方を完全に否定する言い方」がチラホラ目に入るんですよね。
だけど、そこまで言い切られてるのを目にすると私のようなしがない逆張りオヂサンは「本当にそうかぁ?」って天邪鬼したくなるものでして。

配信は「何が何でも伸びなきゃいけないのか??」って話。

まぁこれ「別にそこまで言ってねぇよ」ってのはあると思うんですが、ここは聞こえ方の妙。
「別にそこまでではないですが」ってのも「強く大きく」書かないと「イコールそこまで言ってるって聞こえるじゃん??」ってなるのもあるよなぁと思った次第です。
話は内容より聞こえ方、ってぇワケ。
「おまいう」ではございますが(笑)

とにもかくにも、何を大事にし、何の為に配信をするのか、配信から何を得るのか、などなど本当に千差万別な世の中です。
というワケで今回は「配信=伸びなければならない、と考えられてしまうのは何故か」「伸びなければならない理由は何か」を考えていきましょう!


配信は「数字」が強く出るから、ぜんぶ同じくくりで考えられちゃうよねって話

というワケで出落ちで結論。
配信って結局「どれくらい人が居るか」「どれくらい人が来たか」「どれくらいフォローされたか」などなどがとにかく単純な数字で示されちゃうんですよね。
何が違っても、どう違う面白さを提供していても、結局最終的にはその結果は数字で判断されがち。

実際にはどんなリスナーが来ているかは全く違うとしてもです。
そもそも、配信ってチャンネルによってやってる事が全く違うワケじゃないですか。

極まりきったRTA配信と、女性の初見RPG配信って全く別物ですし、どっちかは関心あるけれど、どっちかは全く関心ないよって人は当たり前にいるワケです。

料理店で考えたら「ファミレス」と「専門店」では全く違うワケじゃないですか。だけど、「来客数」とも言うべき「視聴者数」で全て画一的に「差」が示されてしまう。

これが、「配信は伸びなくてはならない」って考えられてしまう原点にして頂点だと思います。

ここって酷い幻惑があるな、バイアスがあるなと私は思ってます。
「どういう人が、どのくらいの時間帯に、どういう経路で来て、どのくらい観ているのか」っていうのがハッキリ出るのであれば良いんですが、そういた情報って殆ど無いんですよね。

ただただ「今◯人観てるよ」って数字しかそこにはない。

なんかYoutubeとかTwitchとかだと、自分のチャンネルのリスナーの来訪傾向みたいなのが見れたりするページがあるらしいですが。

まぁそもそも実際の個人情報なんてインターネットでは登録しませんし。
だから、本当は「そもそものジャンルや属性の違い」で、そのカテゴリのリスナー分母も大きく違ったりするのに全てが一律に数字に纏められ、それを元に物事が考えられてしまう、と。
そうなると。

どれだけ当人が楽しいと思って配信をしていても、ある価値観から見たら「数字」っていう単純な要素一つだけで物悲しいものに見えてしまう。

あるいは大多数の人が自分が配信してみて人が来ない数字が出ないとかってなると、数字っていう単純明快な結果がやたら羨ましいなって思っちゃうのだと思います。

まぁでも数字を出したい、数字を気にしてしまうってのは分かります。
リスナーの自分からしてもお気に入りの配信が、あまり好きじゃないなっていう配信よりも数字出てないのを見るとちょっと寂しい気持ちになりますし。
「この人の方が面白いのに何でだぁ~!」みたいな。
配信者になると、それをダイレクトに受けるワケですし数字に一喜一憂してしまうというのは頷けますね。

だから、そういう論を語っている人って大体、配信やってる人だよなって思います。

実際、伸びる=大正義って思ってる方って「伸びたいという想いがメチャクチャ強い」配信者が多いように思えます。

Noteとか見てて、そんな感じの記事を書いてるんでちょっと他のも読んでみると最近の自分のチャンネルの伸び具合とかを書いてるって人が凄く多いんですよね。
自分のチャンネルの数字を物凄く気にしている。


「伸びなければならない」と思っているのは誰なのかって話

要はこれが配信者なら「貴方はまず伸びたい方なのね」っていう話に落ち着くんじゃないかなって思うんですよね。

一方でリスナーであれば(というか私)「この配信、面白いのに人気ないの何か勿体ないな」と思ってしまってるってだけの話。
私(リスナー)が勝手に思っているだけで、他の人、何ならその配信の配信者の価値観ですらない。

まぁ、「配信者が伸びたいという様子を口にしてて後押ししたいと思ってる」ってケースもあるはあるでしょう。

それで、先の通りにこれが商売なら収益ありきなんで伸びる=大正義でしょう。
稼がにゃいかんので。

しかし配信って恐らくは収益はついでだけれど趣味で配信をやっているって人のほうが大多数なので、配信に対し何に一番価値を見出すかは本当に人それぞれだと思います。

Twitchパートナーに到達できた方で、しかし配信が義務みたいになって楽しく配信が出来なくなってしまったので、アフィリエイト登録を外した、というケースをリスナー生活を通して幾つか目にしてきました。
Youtubeでも疲れてしまったので、スパチャ飛び交う配信だったけれどもスパチャは禁止にした、とか。

伸びたいと考えている方にはなかなかギリィと歯を食いしばりたくなる話かもしれませんが、こういう部分からも人によって何が大事かは全く違いますね。

小規模配信(5人とか10人前後とか)でも和気あいあいと楽しそうにチャットに返しながらゲームを楽しんでるってチャンネルはいっぱいあって、本当に「楽しんでるなぁ」とオジサンは観ていてホッコリするワケです。

で、そういう小規模配信の方って確かに伸びようと思っている方もいますが「現状のままで」という大前提がある方が多い印象でした。
つまりある日の唐突な大ブレークとか、大きな方向転換をして伸びたいって人は殆ど居ない印象なんです。

だから凄く疑問に思ったんですよね。

伸びなければならない。

「伸びなくても良い」って考え方は前提からおかしい。
配信って人に注目されたいという想いから始めるのが大前提だ。
だから「伸びなくても良い」ってのはその注目されたいって根本的な行動原理と矛盾している。
伸びる事の否定は欺瞞でしかない。

っていう言い方って、他人の考え方までバッサリ否定しに行っちゃってるじゃあないですか。
要は「いや、伸びてないけど十分楽しいですけど」ってなるじゃん?っていう。
それをもに流れ弾が跳びかねない、他人の価値観の否定とも取れる言い方は何で発生するのかって。

ひょっとして「そこまで言う」のは「そういう考え方を否定したくなる何か」があるんじゃないかな、と。

じゃあそれは何?って言うと、大多数の人は配信者だ。

現状に全く満足していない、焦りやもどかしさ、コンプレックスを感じているからではないか

って話になるんですよね。
こういう話って不満や抱えるものがあるから口にする書くワケで(かくいう私もそうです)「上手く行ってる人ほど何も口にしない」と思うんですよね。

ある意味、私の場合ひたすら管巻いて語るのが趣旨ですが、そもそも管巻きたい心理って勝手に「勿体ないなー」ってモヤっとしてる事とか「こういうリスナーウザいなー」って思う心理を吐き出したいからですし。

「伸びなくても良いって考え方は欺瞞だ」っていう他者の価値観まで否定する考え方は、「逆にコンプレックスをそこに抱えてるんじゃないか」って話

人間って、コンプレックスを抱えるとそれはかなり否定したくなるらしいんですよね。
「そう強く言ってる人こそ、そうであるという事を耐え難く感じるのでは」という感じ。

ただ、これも価値観の話なので。

伸びたいと願う、伸びようとすることそれ自体に何ら悪はない。そりゃ結果が出た方が面白いでしょうし。

この事については下でも書きますが「伸びる=楽しい」の図式もハッキリとあるんですよね。逆に「伸びない&人こない=つまんない」の図式もある。

だけど、伸びなくていいって考え方をわざわざ否定する必要はないよなぁ?

と、思った次第なワケです。
これは割と自戒的な言い回しですね。
あくまで伸びたいと思うんだったらやるべき工夫があるでしょうけれど、そうでない人の配信を否定するのは違うかもな、っていう。

まぁ、ただこれも画一化じゃなくて「度合い」がありますが。


「伸びた方が楽しい」も確かにあるって話

さてさて、そんなこんなで自分と違うかもしれない価値観の人の活動に向けて「伸びなければどんな配信も意味がないんだ!」と聞こえる風にまで言っちゃうのは流石にそれは「貴方が伸びる事にコンプレックス抱えてるだけでしょ」って言われ方が返ってきてもしょうがないんじゃない?って言う、いち意見を出すとして。

まぁでも、いちリスナーから観てても「人が来るようになってより楽しそうだ」ってシーンはやっぱり感じます。
配信を始めて、最初のうちは人が来なくて本人からも時たま寂しさが感じられた配信でも3ヶ月、半年と時間が経つにつれ、固定リスナーがついたりきて、楽しい様子が目立ってきたというのはあります。

それに対して、人が来ないのレベルが「同接5人とか10人で頭打ち」ではないケースは多いです。

「配信つけても常に無視聴者、30分~1時間に一度、たまにコメントがあるだけ」というのが本当の「人が来ない配信」である

ってワケです。
しかもその比率は決して低くはありません。

その割合は50%以上、2つに1つの配信がその状態にある。

そこへ来て10人以上リスナーが来ている配信を見て羨ましくなるのは人間心理です。それは配信やってない私でも理解できる話です。

私には経験がないので今ひとつピンとは来ませんが…
誰も人来ない系の配信を観ていて、ボソボソと喋り続けてるんですがいよいよ終わるって時になって「はぁ…今日も誰も来なかったな…」と愚痴って配信を終了するみたいなシーンって結構目にするんですよね。

だから、人が全く来ないってのは凄くしんどい事ではあるんだろうなぁとは思います。
そして、こうも思うんですよね。

配信って、伸びたいの以前に「社会や人と関わりたい」っていう人間の基本的な欲求が原動力になっている

これはあるかもしれません。
このゲーム面白いから知って欲しいとか。
ゲームやるついでに緩く人と関わってみたいとか。

中には本当に記録として配信を利用してるに過ぎないってパターンもあるかもですが、まぁまぁ一方ではそれすらも「記録」を「公開」するワケですから、やはり社会に関わりたいという観点はあるかもとは思います。

だからこそ、人が「全く来ない」というのは社会参加すら成立していない、弾かれてしまっているという感覚に繋がって苦しいかもしれません。
人間は人間社会にハブられてると感じるのはそれだけで苦痛と感じガチな生き物のようなので。

そして配信に関わる時間が長ければ長いほど、より彼我との差、人が集まってきている配信との差、などなどがよりリアルに感じられて苦痛なのかもしれません。

ある程度のコミュニティが出来てくると、社会参加というかコミュニティへの所属…つまりマズローの欲求階層による「社会的欲求」の部分が満たされるのではないかなと思います。
より伸びたいとなると更に上の承認欲求となるのでしょう。

あ、結構こういう話してると「承認欲求とかいうゴミみたいな感情」って論調を目にする事があるんですが……

私は「承認されたい」って欲求が悪いとは何一つ思っていません。それだって人間のとても大事な感情じゃねーかよっていう。

そもそもマズローの欲求階層を見ても、上から二番目なんですよね、承認欲求。
私は承認欲求をバカにしている人ほど何だかんだ承認欲求に振り回されている人の方が多いと思いますし、これと正しく向き合っている人「人から認められたい」という事を受け止められるので「人を認める」ということが上手な人が多い印象があります。
人を認められる人は度量・器量のある人で、そういう人は好かれやすいものです。
だから承認欲求ってメッチャ大事だと思うんですよね~!

行き過ぎた、ネジ曲がった承認欲求に逆に自分が苦しい思いをするとか、そこから引き起こされる行動が他人を害してしまうってなると良くないよねって話なだけじゃないかな、と私は思います。


結局は何処に「折り合い」をつけるかじゃないかって話

さてさて、じゃあ伸びる=正義ではない、しかし伸びた方が楽しいの図式もある、となると何が正解なんだよって話になりますが。

正解なんてそもそも存在しない、その人が何処で「満足」するかの話ではないか

になりますよね。

そもそも伸びる論がこれだけ語られるのって何故か?って言うと、50%のチャンネルが誰にも見向きもされないに近い状態になっちゃうほど、そもそも「伸びる」って難しいって話

なんですよね。

例えば「宝くじの当て方」なんて言っても、ドカンと1億当てるみたいなのはどんなに頑張った所で本当に天文学的数字みたいな確率を引かなきゃいけないワケじゃないですか。
で、配信で一山当てるってのも正直それに近い所あると思うんですよね。
これだけ沢山の人が配信をやってる中で突き抜けて伸びるって凄く難しい。

そこに来て宝くじで1万くらいの当たりを引きたいなって考え方だとまぁ現実的になってくる。

それに近いのかなって私は何となくハタから見てて思いますね!
そんなとんでもない額を当てようなんて考えてない、1万円くらいが当たったらいいなくらいの考え方。

だから、当人が伸びたいと思っているのならこういう工夫があるかもねとか、ここは変えていかないとダメかもね、みたいな話が出来るかもしれません。

そして何処まで伸びたいのかが何処までかって範囲に対して「そう思うならこうじゃないか」って話

なんかねーって思います。

絶対に収益化で登録者数100万人目指すんだぜ同時接続1000人目指すんだぜってなるんだったらそれこそ鬼の様なスパルタで「そもそもやりたい配信なんかやってんじゃねーよウケにウケる配信に徹しろ」みたいになるかもですし。

逆もしかりで「10人安定して来るくらいを目指したいな~」ならそれ向けにユルッと「こうじゃないか」って案を提供するくらいが良いのかもしれませんね。


ってワケで結論としては…

強ェ言い方もほどほどにしねぇとな!

でした。
毒っ気強めNoteを書いてる私ですが、「でも逆に考えたらこうだよな~」ってのも大事にしてかないとなーと言う自戒でした。

でもまぁ今後もこの調子でなんか管巻いて行こうと思います!

ではでは、赤津でした!

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