魔女の檻に

「私は望んでこうなったわけではないから」

 エリヤは黄昏に佇み、呟いた。逆光のせいで黒衣の聖母像に見えた。目を瞑り、瞼に残光を感じているらしい。夕陽が名残惜しいのかも知れない。

 そのうちに、屋根が作る小さな陰の中に戻ってきた。いつもの位置、メイリアルの右隣に。

「わたしもだよ、エリヤ」

 膝を崩し、もたれ掛かってきたエリヤの首筋は白い。むしろ吸血鬼である自分よりも血が通っていないのではないかと思える程、艶かしさに溢れていた。

「わたしも好きでこんな存在になったのではないから」

 城の最上階のバルコニーから、二人で外を眺めていた。夜の訪れとともにメイリアルは出歩くつもりだった。

「私を噛んでいいよ。いつでも」

 歪に血管の浮き出たメイリアルの耳元にエリヤが囁いた。

「私は魔女だから、吸血鬼にはきっとなれない。でもあなたのそばにいつもいたい」

 太陽が沈み、二人だけの暮夜になった。風は変わらずに弱々しく、黒い雲が月を隠したままでいる。

 エリヤは首の覆いを外した。夜の中で彼女の肌はより白さを増していた。数本の血管の小さく脈打つ様がメイリアルの衝動に呼応しているようだった。

「それでいいの? わたしが血を飲めば、あなたはもっと早くに死んでしまうかもしれない」

 服をずらし、胸元を大きく開けて、首から肩までをメイリアルに委ねた。

「このままでも私の方が早くに死ぬから」

 エリヤの口許に笑みが見えた。魔女の微笑……古めかしく、否定的な、禍々しい言葉が浮かんだ。しかし、目の前の魔女には少しもよこしまな情は見られない。

「そうだね」

 香水の香りがメイリアルの髪に移った。花の咲く芳香のあとで僅かな柑橘の果実の匂いが残った。柔らかく、熟した、その香りごと、エリヤを抱き寄せた。

「メイリアル、私とあなたを血が繋いでくれる。私がもし死んでしまってもあなたの中に生き続けたい」

「そんなことを言わないで」

 メイリアルは腕に力を込めて、エリヤを制した。

「あなたは私を救ってくれた。魔女の檻に閉じ込められて処刑される私を」

「お願いだから、もう黙って」

 吸血鬼は赤い涙とともに、魔女に切願した。

「私を檻から出してくれた。生命を助けてくれた。でも……私はあなたのことを閉じ込めてしまったみたい。形のない魔女の檻に」

「わたしたちが今一緒にいる。それだけで充分に幸せなの。だからエリヤ、もうなにも言わないで」

「こわがらないで……。私もいつかは死んでしまう。それも自分では決められない。あなたは永遠にその姿のまま。私は年を重ねていく。どんな魔術も秘薬も、あなたには近付けない。でも、それでも……あなたを独りにはしない」

 メイリアルの腕に包まれ、エリヤは訴え続けていた。魔女の短命を呪い、吸血鬼の永遠を尊び、一切を超越した愛情を込めながら。

「だから、あなたからの死を望むの」

 身体を離し、目を見据え、強い意志のもとにエリヤは乞い願った。こぼれた赤い涙に指を添え、労わるように拭きながら。

 今更のように現れた月が二人の影を伸ばしていた。首筋に口をつけて交錯する二人の遣る瀬無い影を。……

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