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私はパレスチナにいなかった

2年前の2月、私はパレスチナにいた。

あの地に立つ前、私は大学院で平和学や平和構築について真剣に考え、
色んな国の人達と議論してきた。

今ある戦争たちはどう解決するのか、戦後どのように国は進むのか。
大きすぎるテーマの渦に、頭だけ突っ込んでいた。

高校生の時に留学したパリでテロが起き、
昔歩いた通学路が血で濡れたのをきっかけに、
私は平和について考えるようになった。
SDGsが社会に響くずっと前から、
私は一番最後の16番の「平和と公正」のハトを眺めていた。
しれっと16番は最後でなくなり、17番が増えていたが。

頭から離れない血と黒煙の写真とは裏腹に、
平和を叫ぶSDGsはポップカラーを纏っていた。
無力さと罪悪感で頭がおかしくなりそうだった。


そんな無力さと罪悪感を拭うべく、私は開発コンサルとして働き始めた。
平和構築というキーワードで、奨学金を返しながらご飯を食べていける、
数少ない職種だった。その肩書きと共に、私はパレスチナに立っていた。
70年以上難民として世代を繋いできた人達と、向き合った。

毎日毎日、メールで飛んでくる指示に追われ、
ミスをして、謝り、また指示に追われる。
しんどくても、仕事の向こうには命を尽くしたい相手がいた。

指示に嫌味が混じっていても、頑張れた。
嫌味を直接言われるようになっても、頑張れた。
嫌味が1時間、2時間になっても、頑張ろうと思った。
他にも色々あったけど、頑張ることを心に決めていた。


ある日、頑張れなくなった。
辛くなっている自分が、理解できなかった。
パレスチナに立っているのに、心がいない。
許せなくて、自分を徹底的に攻撃した。
全て、自分が不出来で、努力が足りない結果。
戦争が始まって、自分をもっと責めた。私は、無力だったのだ。


そんな中、私は大学院のある授業のメモを見つけた。

平和学において、平和は五段階あると論じられている。
第一段階は、自分の平和。
第二段階は、自分とあなたの平和。
第三段階は、自分とあなた達の平和。
第四段階は、私たちとあなた達の平和。
第五段階は、みんなの平和。

お腹がめちゃくちゃ空いている人は、相手に優しくできない。
その空腹にすら気づいていない人も、いるかもしれない。
自分の空腹を許せなかった私は、いま自分の平和に向かってもがいている。

あなたの空腹は、世界で起こる戦いの種になる。
あなたの平和と、一度向き合って欲しい。
あなたの平和は、戦地と真っ直ぐ繋がっているから。

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