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【好きなもの100個発見伝】#10 The Alfeeが好き

「自分の“好き”を100個思い出すチャレンジ」、記念すべき10個目。
どれだけ時間がかかってもいいから、絶対に100個書き切るチャレンジを初めて2年も経った。驚愕。2年で10%のペースとは、自分が想像していた以上に時間がかかっている。

そもそも「思い出す」としていた時点で、このチャレンジを掲げる前から100個も“好き”があると思っていた自分に、そんな甘くないぞと言いたい。思っている以上に、「これ、好きでぇす!!!」と叫べるものが、あんまりない。まあ普通、とか、好きでも嫌いでもないけど自分の生活の中にあるもの、がほとんどだ。逆をいえば、ほんの2年前まではそれがわかっていなかったという事だし、このチャレンジを始めたことで見えた世界でもある。いやはや、成長だ。

ほんの2年前、私は心が死んでいた。
心地よい/不快、好き/嫌い、といった、心を動かして感じとることができなくなっていた。ちょうど、鼻炎になって鼻が詰まって何も匂いが分からなくなるような感じだったのだが、鼻は詰まるとすぐ分かるのに、心が動かなくなったことには本当に気が付かなかった。ご飯の味がしなくなって、朝起きられなくなって、体も動かなくなって、ベッドに横たわって壁紙のデザインの線を数えていて、気がついた。あれ、私おかしいわ。と。

今こうやって文章にして改めて、いかに自分がおかしくなっていたか、なんで気づかなかったんだ、と思う。でも当時は、自分の能力がないせいで、自分が上司や社会に適応できてないことが悪いからだ、と本気で思っていた。そこから、周りの助けやアドバイスのおかげで、そこから少しづつ抜け出すことができて、自分でも心を動かす練習をしようと決めたのが始まりだ。もし再び心が動きづらくなった時の備えとして、そして、「もとの自分に戻りたい」という気持ちから始めたチャレンジだけれど、2年経った今だから思うが、「もとの自分に戻る」というより、確実に私は変わっていっている。その証拠が、今回の内容、「The Alfeeが好き」という気持ちだ。

私は、生まれてまだ30年経っていない。
音楽の先生をしている父の影響もあってか、この世に生まれて9年目にして人生で最初にハマったアーティスト(?)は、モーツァルトだった。親に初めて買ってもらった音楽のCDは、モーツァルト全集6枚組。よく行くスーパーの入り口でワゴンセールをしていた中から、ひときわ厚みあって存在感を放っていたケースを手に取り、親にお願いしたのを覚えている。隣で演歌コーナーを漁っていた見知らぬおっちゃんに、
「お嬢ちゃん、クラシックなんか聴くん?!えらい渋いなあ!頭ええ子になるんちゃうか〜!」
と言われ、父がハッハッハと気をよくして、そのまま買ってもらえたのだ。
おっちゃん、ナイスアシスト。頭ええ子に育ったかどうかは定かではないが。

そのまま中学校では吹奏楽部に入り、先輩たちや同級生が文化祭やイベントで演奏したがっていたJ-POPには無頓着なティーンエイジャー期に突入。嵐のメドレーを演奏するのに、嵐の曲を一曲も知らなかった私に、50歳を超えたダンディな顧問に嵐のアルバム貸してやろうか?と言われるほどだった。高校受験が見えてくると、英語ってかっこいいぞという安直な気持ちを足がかりに、洋楽しか一切聞かないクソませJKに成り上がった。そこから10年近く、私の中で音楽は基本日本語以外の言語で歌われている曲か、クラシックの二択だった。

洋楽を聴くということは、歌詞を耳にした時、邦楽と比べて少し余分に「想像」が必要になる。そして、自分がまるで海外の映画の中にいるかのような気持ちで聴くのだ。当たり前だが、日本の東京でサラリーマンとして過ごしている人の生活や夢を描いた洋曲は、ほとんどないだろう。そんな中、スピッツやウルフルズに、今見えている世界そのままで感情を震わせてもらえる曲の素晴らしさを教えてもらえた。桜の季節に車で流すスピッツの「春の歌」、東京の満員電車の中でに聴くウルフルズの「ど真ん中」。目の世界と耳の世界が合わさった時、人はこんなに気持ちが動くのかと思った。

そんな、ややシリアスめに音楽と関わってきた遍歴を持つ私が、生まれて初めて、曲以外を入り口にしてアーティストを知ることになる。
それが、The Alfeeだ。

前置きが長すぎたが、まだ好きになって1週間しか経っていない。しかし、もう毎日聴いていて、いろんなライブ映像も見ている。このどハマりっぷりは、人生で初めてだ。そして大変失礼なことに、その出会いは彼らの音楽ではなく、おじさま3人で仲良くカツ丼を作っている動画だった。YouTubeのおすすめで、幼稚園の頃にテレビで見た、あの高見沢さんが玉ねぎを切らずに丸ごとお鍋に入れていて、残り2人がツッコんでいるというサムネイルに釣られたのだった。今よくある、YouTuberが視聴者を釣るためにわざと作っているサムネイルではなく、信じられない光景が、しかもアーティストであるはずのおじさま達がなぜか料理をしている。意味がわからなすぎて動画を見始めたが最後、面白すぎて最後まで一気に見てしまった。

アメリカにきて、娯楽は登録しているYouTubeチャンネルと、VPNに繋いでTverで登録している番組を見るくらいだった私に、衝撃が走った。なんだこの面白い人たちは。高見沢さんはなんとなく知っていたけれど、The Alfeeってこんなおもしろかったんだ…と。そしてコメント欄を見た時に、あるファンの人からのコメントが、さらに私を新しい世界に引っ張ってくれた。「ここに来て初めてThe Alfeeを知った方、どうか鋼鉄の巨人を聴いてみてください。あまりのギャップにぶっ飛びます」

…そして私は、無事、ぶっ飛んだ。

桜井さんの声もベースもかっこいい、坂崎さんのギターの上手さ・器用さ・ハモリが素晴らしい、高見沢さんはずっと変わらない上にこの数々の曲を作っている偉大さ、この奇跡が50年も続いているなんて、などなど。同意しかないファンの方々のコメントを前に、私は新しいコメントをすることができなかった。なぜなら、もう私が思うことは全て、言い尽くされているからだ。

「こんな世界があったなんて」
本当にそう思った。たった30年も生きていない私が、色々知った気になっていた。
ほんの2年前までは、私は「好き」とはっきり言えるものが100個あると思っていた。
つい1週間前まで、こんな世界があるだなんて、知らなかったのに。

まだ私は、この小さな、誰にも影響を与えることのない目標の、ようやく10%達成したところだ。一貫して自分自身について書いているはずなのに、次に私が何を「好き」というかさえ分かっていない。The Alfeeは、私が生まれる前からずっとThe Alfeeだったのに、私はその世界を知らずに生きて、ここまで来た。ということは、今見えているこの景色も、気づいていないだけで、何かのはずみで知らない世界が奥に広がっているかもしれない。

The Alfeeのおかげで、私は今目にしている景色の見え方が変わった。
そして、いつかThe  Alfeeのライブに行くという新しい夢までできた。
どうか、一時帰国の時にライブが被ってほしい、と切に願っている。

2年前の、ベッドの中の自分に教えてあげたい。こんなに私は変わったぞ、と。

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