● わたしの躁鬱病の原因


皆さん、ストレスが原因の精神病になった方ってわりと早い段階で、その原因に気づくんだろうか。そりゃ大事にしていたものが無くなった、亡くなった、とかなら、かなりわかりやすいからわかるかもしれない。仕事で自分がミスをして毎回毎回怒られていたら気づけるかもしれない。
私はわからなかった。お医者さんも、躁鬱病と診断はしてくれたけど、原因については言及してくれなかった。お薬を出してもらって、また来院して、軽く会話をして、ではまたお薬出しておきますね、の繰返しだった。
頭がぼーっとする毎日だったけど、少し考えてみた。これはこのままで治らないのでは、と。風邪やインフルエンザなんかは身体に入ってきた菌やウイルスたちが少し悪さをしているんだろうから、薬の力を借りたり、自分の身体の免疫機能になんとかしてもらえばいいいかもしれない。けれど、心の病は確実に何か原因がある。そしてその原因を取り除かないと治らないな、と考えた。
しかし私の日常を思い返しても、全然原因が見つからない。仕事は肉体的には少し辛かったけど、仕事の内容は大好きだし、同僚には恵まれているし、家に帰れば大好きな旦那さんがいた。その時でお付き合いの期間を含めて10年を超える、気心知れた仲だったし、お互い良い距離感で過ごしていたし、仲良しだった。わたしはその時はそう思っていた。

気付いたときには、わたしは夜になるとしょっちゅう泣いていた。原因は旦那さんだった。

原因はふたつあるとわたしは思っている。

ひとつは、夫婦生活に必要な大事な話し合いをしてくれない、ということ。付き合い始めの頃から、旦那さんはわたしの決めたことに文句言わずに従ってくれる、あとからついてくるタイプの人間だった。わたしも若い頃はなんでも自分で決めたかったので、そんな旦那さんとの関係が心地よかった。バランスの取れたカップルだったと思う。しかし、夫婦生活を続けるにあたり、わたしと旦那さんは同じ職業だったのもあり、その仕事で独立するならば二人で将来設計をしなければならない。そんな話をポツポツと結婚2、3年目からしたと思う。しかし、そういう話をすると完全に黙ってしまうのだ。女性と違って男性は思ったことをすぐ口にしない人が多いのでそれは考慮していたつもりだ。10分、15分の沈黙はザラだ。途中たまに、しっかりまとめなくてもいいから、思ったことがあれば教えて?と伝えてみた。しかし無言なのだ。私が最初に質問してから随分経っていたので、わたしの質問、わかる?と問いかけると、「なにが?」と言われてしまった。ただでさえ相手に気を遣いながら1時間も耐えていて、そんなことを言われてしまたので、わたしは心が折れてしまった。しかもこの質問をしてから、旦那さんの顔が何故かずっと不機嫌なのだ。わたしは高圧的に聞いた覚えもないし、別に難しいことも聞いていない。どういうライフプランでいるのか、考えていることを教えてほしかっただけなのだ。旦那さんを長時間黙らせてしまったこと、不機嫌そうな顔にさせてしまったことに、気づかないうちにわたしは少しずつ自分を責めてしまっていたのだ。
この旦那さんの頭の中を知る作業は7、8年続いたと思う。まずは口頭で。次にメールで。紙に。ゲームと称して、マインドマップのように単語で引き出そうともした。でも無理だった。
離婚を切り出す少し前に、もう本当に限界だったわたしは、箇条書きに紙に書いた質問を旦那さんに渡した。「この質問に答えてほしい。答えてくれる?」と。そうしたら、「いいよ」と答えてくれた。そのままにするといつになっても答えが返ってこないのを知っていたわたしは、「いつまでに書いてくれる?」と投げかけた。「じゃあこの日までに。」と1ヶ月後の日にちを指定してきたので、「じゃあその期日の日をノートに書いておいてね」とその場で書いてもらった。「わたし、ほんとうにもう限界だから絶対書いてね」と伝えた。必ず書いてくれると信じていた。しかし、その期日の半分を過ぎても、その紙には1文字も彼の字は追加されていなかった。悲しい気持ちにはなったが、期日の日を待った。やはり、その日がきてもわたしに旦那さんの文字で埋まった紙が返ってくることはなかった。わたしはあまりにもショックだった。けれどその期日の1週間後に、「ねぇ、お願いしてたものの期日、過ぎちゃったね。書いてないの?」と尋ねた。紙が白紙なのはチェック済みなので知っていた。「書いてくれないの?」と力なく問うと、「書くよ!」というので、「じゃあいつまでに?」と問うと「1ヶ月後までに」と返ってきた。わたしは悲しくなった。もう何年もかけてお願いして、最後の最後で、わたしも本当にキツいからもうそろそろ無理だよ、と伝え、お願いしたものが期限を過ぎても返ってこず、さらには一切の誠意を見せることなく、また同じ期間を要する、と。絶望的な気持ちだった。結果1ヶ月後に書いてあったけど、ただの箇条書きだったその紙をわたしはまともに読むことができなかった。心が折れていた。



もうひとつは、毎日疲れて帰ってきた旦那さんが、ご飯を食べるとリビングのソファで寝てしまうのだ。一緒に寝るはずのにベッドに来てくれない。最初のうちは疲れているから仕方ないと思って何も言わなかった。けれど、それが毎日になった。さすがにわたしは寂しくなって、「昨日もソファで寝ちゃったね。けど一緒に寝たいから、ご飯食べたらお風呂にすぐ入ってね」と旦那さんが帰宅したらすぐに伝えた。そうすると、「ごめんね、また寝ちゃった。今日はすぐお風呂入るから一緒に寝よ!」と言ってかわいい顔で笑うのだ。わたしは、「わあい!」と言って、お互い寝るまで違う部屋で過ごしていた。わたしもひとりの時間が大事だし、相手にも必要だと思っていたのでそうしていた。ただ、お手洗いや水分補給のため席を立つ時は旦那さんのところに行って、ぎゅーっと抱きついてからまた自室に戻っていた。しかし、気がつくと今日も寝ているのだ。わたしは、起きて、とは言えなかった。疲れているんだからしかたないな、と自分を納得させて寝室に行く。でもほんとは一緒に寝たい。寂しかった。毎日、今日は一緒に寝よう?と伝えてしまうのも相手の負担になると思って、10日に一回くらいの頻度で伝えていたと思う。そんな生活が何年も続いていた。もちろんセックスレスの状態だった。
すぐ近くにいるのに一緒に寝てもらえない。1ヶ月に1回くらい一緒に寝ても、すぐにそっぽを向いて寝てしまう。悲しくて悲しくて仕方がなかった。旦那さんが隣にいてもいなくても寂しいわたしの気持ちは消えず、ついに不眠の症状が出始めた。旦那さんが隣にいないときはわんわん泣いた。そんな毎日だった。



今思い返せば、躁鬱病になったのはこんなはっきり原因がわかる。けれど当時のわたしにはわからなかった。旦那さんのこと大好きだったし、向こうもわたしのことが大好きなのは伝わってきていたから。そうやって気づかぬうちにわたしは真綿で首を絞められるように精神をゆっくり蝕まれていた。

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