短編小説『無人販売所頼み』

 田島たじまには、定期的に火を通した卵を口にしたくなる嗜好があった。
それで、中華料理はさほど好きでもないのに、炒飯だけは週に一度必ず食べる。
多い週では、二、三回炒飯を食べることもあった。

 土曜日の昼時、炒飯を食べたくて仕方なくなった。
台所に入り、冷蔵庫を確認した。
生卵が切れている。
しまった、と思った。
先週末に街まで買い出しに行った時に卵を一パック買ったが、その分を週の半ばで使い切ってしまったのを忘れていた。

 今週は、月曜日に煮卵をつくったのだ。
醤油とみりんで程よく味が染み込んだ煮卵六個、一週間かけてじわじわと食べるつもりが、水曜日には食べきっていた。
煮卵で使いきらなかった残りの卵も、木曜日と金曜日で全部食べた。
この土曜日まで、もたなかった。

 炒飯どうしよう、と田島は思った。
卵を買いにいくしかない。
だが、田島の住まいがある集落と街とを結ぶ路線バスは、往復で朝と晩のそれぞれ二便しかない。
昼前に街へ出かけようと思っても手段がないのだった。
近所の家ではマイカーを持っている世帯もあるが、田島は違う。
在宅勤務の個人事業者で、頻繁に街に出る必要もない。
そして田島は乗り物の運転を苦手にしているので、よほど必要に迫られない限り、わざわざ自家用車を購入しようとも思わなかった。
週に一度の買い出しは、路線バス利用で間に合っている。
次の買い出し予定日までに備蓄の卵が切れる、というのはそうそうあることではなく、初めての緊急事態であると言えた。

 この時間から街へ出ることはかなわない。
しかし、近所に生卵が手に入る場所があったはずだ。
田島は身軽な部屋着のまま、財布だけ持って家を後にした。
背景に小高い山を控えた丘の上にある田島宅の玄関先から、目の前に広がる田畑の中を通用路が伸びている。
山間のくぼ地になる集落で、田畑の中に住宅が点在していた。
農家が多いが、田島のように無人の住宅を借りて住む、移住者も中にはいるらしい。
近所づきあいを断っている田島には、どこの家が元々からの農家でどこが移住者なのか、内訳を知る由は無かった。

 田島宅から続く通用路が途中で広がり、広場のような平地になった。
この広場まで、村の外から二車線の県道が乗り入れている。
広場に面して村の集会場と簡易郵便局、そして派出所の建物が棟続きで立っていた。
この広場に面してバス停もある。
昼時の現在、広場に人の姿は無い。
簡易郵便局は地元の農家が兼業で営んでいて、朝早くと夕方に一時間ずつ営業するだけなのだ。
路線バスの運行時間とほぼ重なる時間帯だった。
その時間以外には、郵便局は無人で、出入り口は施錠されている。
派出所には巡査がいるらしいが、広場から見えるガラス戸向こうの窓口は、いつも無人だ。
奥に事務室か何かあって、巡査は普段はそこに詰めているらしい。
悪いことをするわけではないが、常時巡査が広場に目を光らせているわけではないことが、人見知りの激しい田島にはありがたかった。

 田島は広場を通り抜けて、県道を歩き始めた。
簡単な買い物ができる雑貨店すらない集落なのだが、いくつかの農家は、所有する畑の脇に簡易な販売所を設けている例があった。
朝早くの農作業で取れた作物を販売所の棚に並べて、その日一日無人で販売するのだ。
自家消費用に小規模な農業をやっている高齢の農家が、自家消費しきれない分を近所へのおすそ分けの感覚で安く売っているわけだった。
いろいろと不便だがそれなりに人口のある集落であり、近所で野菜類を買う需要が結構あるのかもしれない。
田島が今求めているのは生卵だが、実は無人販売所で鶏卵を売る農家もあるのだ。

 ここだな、と田島は立ち止まった。
乾燥した穀物の香りが鼻に届いた。
生垣で囲まれた農家の敷地があって、その敷地の中に、ごく普通の一戸建て住宅が立っている。
その住宅の隣に、トタン屋根と銅板で出来た小さな鶏舎があった。
物置小屋を少し大きくした程度の規模で、鶏舎の中で飼っているのも鶏が数羽ぐらいらしい。
田島は遠目に見ているだけだが、その鶏舎の中に鶏の動く気配がする。
穀物の香りは、彼らに与えられた飼料だろう。
田島が用のあるのは、生垣の入り口脇にある、無人販売所だった。
鶏舎と同じくトタン屋根の小屋の中にテーブルがあり、その上に新しい野菜が並べてある。
無人販売所の隣に、自動販売機が設置してあった。
自販機の中はガラス窓の入った八つの部屋に分かれていて、それぞれの部屋の中に鶏卵二つ入りのパックが入っている。
中で卵を冷蔵保存しているのだ。
料金を入れると、この部屋の戸のロックが解除され、卵を持ち帰ることができる。
小ぶりの卵がたった二つで二百円。
採れたばかりで新鮮なのだろうが、安くはない。
仕方ないな、と思いながら田島は料金を自動販売機に投入して卵を二つ入手した。
今日食べる炒飯一杯分には、これでとりあえず間に合う。

 卵を手に入れて田島は思った。
そう言えば、卵はいいとして、ネギも切らしていたかもしれない。
田島がいつもつくるのはシンプルな炒飯で、米と調味料の他は卵とネギしかいらないのだ。
しかしそれだけに、卵とネギという要素だけは不可欠である。

 ネギも売っていないだろうか、と自販機横の販売所の小屋の中をのぞいた。
テーブルの上にはトマト、タマネギ、キュウリがそれぞれザルに入って売られている。
どれもザルにひと山で百円。
安いが、今はネギ以外は間に合っている。

 自販機備え付けのビニール袋に卵のパックを入れて持ち、田島はさらに県道を歩いた。
まだ無人販売所はある。
どこかでネギがあるはずだ。
田島は県道沿いの農家で販売所の設備を見つける度に、取り扱っている品を確認しては歩いた。
どこも不思議とネギが無い。
ネギは年中育つはずなのに、今日は不思議と見つからなかった。

 仕方ないからあの販売所に行こう、と田島は思った。
県道から、畑と畑の間のあぜ道に入って進むと、畑の中の作業小屋に併設されている販売所。
そこではいつでもネギを売っていることを田島は知っている。
なぜかと言うと、その畑を持っている農家は田島の遠縁にあたる家だからだ。
今田島が住んでいる家を借りたのもこの農家の紹介だった。
移住してきた当初は懇意にしておくつもりで無理してよく通ったので、畑で何を育てているかも知っている。
だが移住後数年経って、何があったというわけでもないが、人見知りの強い田島の無理は続かず次第に足が遠のいた。
それで今は、この農家とは疎遠になってしまっている。
たかだが今日一日の炒飯に使うネギ一束のために今さら顔を出して、家の人に出くわしたら、どう不義理を弁明すればいいものやら。

 だがまあ、あの家は畑を複数持っているから、家の人が販売所の近くで農作業をしているとは限らないだろう。

 そう、田島は自分に言い聞かせた。

 周囲の畑に作業者の姿が無いことを確認しながら、田島は腰を落として姿勢を低く、無人販売所まであぜ道を進んでいる。
見る人が見れば、野菜泥棒か小銭泥棒と間違えられても無理はない。
物置小屋と販売所のある場所に近づいても、人の気配は無かった。
販売所の小屋の中には、手作りの木製の棚に、野菜が並んでいる。
みずみずしい艶のあるネギが、ひと束で百円だった。
これは上手くいったぞ、と田島はほくそ笑みながら料金箱に百円硬貨を落とし込んだ。
ネギを抱え上げて、備え付けのビニール袋に。
鶏卵を入れたビニール袋と併せて手に持った。
無人販売所という仕組みは最高だ、と思った。

 家路につく前に、田島は後ろを振り返った。
後ろめたさが残っている。
無人販売にかこつけて、自分が義理を欠いた相手からネギを黙って買い、挨拶も無しに去ろうとしているのだ。
販売所に戻った。

 おじさんおばさん。気持ちです。これでまた一杯やってください。また来ます。

 不義理のお詫びのつもりで、千円紙幣を丸めて料金箱に入れた。

 田島は家に帰って炒飯をつくった。
卵もネギも火を通してはいるが、鮮度がいいせいか、炒飯の中で存在感を増す味わいになっている。
今日はちょっと高くついたが、たまには街でする買い物を減らして、地元の地産品でつくる炒飯もいいものだ。

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