短編小説『根無しの娘』

 デプエント城内の人々は、浮足立っている。
近いうちに戦が始まる。
デプエント城は、城内に王の宮殿を中心とした王都の周囲を高い城壁で囲んで守っている。
高い城壁の上には守備兵を配し、昼夜を問わず城内外に監視の目を向けている。
城内には畑と牧場とがあり、城兵と民が何年かの籠城を耐える食料の備えもあった。
しかし城外の全ての豪族と集落を敵に回しては、何年籠城できても先がない。
城兵の監視下にも関わらず、家財道具をまとめる者、城外へ逃亡する者が後を絶たない。

 一年前、デプエント王の支配下にあった北東の僻地において「覇王」を自称するマルヘンテという男が、一方的に独立国家を立ち上げた。
覇王マルヘンテは元々はデプエント王の一族の出身で、代々、執政職を担う家柄の者だった。
しかし地方の豪族への処遇を巡って王と対立した結果、マルヘンテは執政職と財産とを没収され、国外追放の憂き目に遭っている。
その後、彼は諸国を放浪した末に北東の地方豪族に迎えられて「覇王」となり独立した。
マルヘンテは、時間をかけて各地の諸豪族をデプエント王から離反させ、自らの傘下に加えていった。
デプエント王国内の各地の豪族全てがマルヘンテに従属し、デプエント城は孤立した。
今から数日前、覇王マルヘンテはデプエント王に宣戦布告した。

 王都の貧民街の路地裏で、犬猫と一緒に野菜くずを漁っていた家出娘のアダが、城兵に捕まった。
アダは汚いぼろをまとった姿のまま、王宮の王の眼前に引き出された。
鋼鉄の鎧に身を固めて玉座に座した王の傍らには槍持ちの少年が控え、王の臨戦態勢を示している。
「逆賊の子アダ」
王はアダに呼びかけた。
華奢なアダの体は、二人の城兵の手で、謁見の間の冷たい床に押し付けられている。
彼女は床から王の顔を見上げる姿勢を強いられていた。
「お前には、王都に潜んで父親の密偵役を務めていた疑いがある」
「そんなわけないだろ。私はおやじとは関係ないよ。だいたい父親と思ったことなんかないんだから」
アダは金切り声で言い返した。
アダは血筋で言えば覇王マルヘンテの娘にあたる。
だが貧民街に住む私娼を母に生まれた子で、マルヘンテから実子と認められたことはなく、父の顔も知らなかった。
「ちゃんと調べておくれよ。私はおやじに会ったこともないんだから無関係だよ」
アダはわめいた。
「そこまで申すなら、もはや調べは無用。お前が逆賊と関わりのないことを示してみよ」
デプエント王は、アダに向かってその後、過酷な命を下した。

 アダには、西方の豪族を討伐しろという王命が下った。
今、彼女はデプエント城の西にある集落に向かっている。
王宮で水浴を強いられ体の汚れを落とした後、身だしなみを整えて王族の旅装を身に着けさせられた。
弓矢と小剣の武具、小柄な牝馬の他はわずかな食糧を与えられた。
随行する付き人は、これもアダの遠縁で、マルヘンテ家に繋がる下級王族の出だという若い男だった。
この男は顔は垢抜けないが、それなりに武術の心得があるようで、体つきはしっかりして身のこなしも軽い。
旅装の上から胴当てを着込み、背中に槍、腰に剣を帯で結わえている。
アダに随行させられるということは、彼も何かのしくじりで王から疎まれ、厄介払いされたのかもしれない。
いざとなったら、この若者を頼るしかない。
「私なんかにどうしろって言うんだろうね」
アダは自分の不安を付き人にぶつけた。
付き人は、アダが乗る牝馬の手綱を引いている。
彼はおとなしく歩き続けながら、曖昧な相槌を返すだけだ。
「会ったことはなくても、父親の名前を出せば西の豪族は私を無碍にできないだろうって。そういう弱みから豪族の懐に入っていって、そいつを暗殺する道筋をつけろってよ」
自分のような貧民街育ちの娘にそんな芸当ができる訳ないだろう、とアダは憤慨している。
「たぶんそうやって、私みたいな親父の隠し子を探し回って見つけては、方々の豪族に送り込んでるに違いないよ。こんなの上手くいくはずないのにさ」
「私ができるだけお助けします」
付き人はたしなみよく慰めた。
「健気だね、あんたは。もう、王さんに気遣うことないのにさ」
デプエント城から離れた荒野で、他に誰もいないのをいいことに、アダは言いたいことを言い続けた。
付き人は馬を引きながら、根気よく聞いている。

 数日の野宿の旅を経て、西の集落に辿り着いた。
西の集落は、その西方で南北に広がる山脈の裾野に、控えめに存在した。
木柵で囲まれた集落の中に十数軒ばかりの小屋が立ち並んでいる。
木柵の外側、集落に隣接して牧場があって、馬と羊、乳牛を育てている。
この集落は牧畜を行い、元々、王都と別に西の山脈の向こうの外国とも産品の交易を行って栄えていた。
今は覇王の傘下に入ったことで、王都とは馬、畜肉、乳製品の交易を断っている。
王都の痛手にひと役買っているわけだった。

 アダは、集落の入り口で番兵から身分を問われて明かすと、集落の中心にある豪族の館に通された。
覇王の血縁者とは伝えたものの、敵対する王都からの来訪者とあって、二人の武具類は全て没収された。
アダは豪族の長の居間に通され、付き人は別室へ。
西の集落を治める豪族の長というのは、壮年の男だった。
山向こうの外国の民の血が入っているのか、王都ではあまり見ない精悍な顔立ちをしている。
長と言っても、集落の民と変わらない粗末な衣服の上から、身分を示す小さな宝石の首飾りを身に着けているだけの質素な服装であった。
館の広間の真ん中に小さな円卓と丸椅子が二つ据えられていて、アダは座るようにうながされた。
挨拶を交わした後、長が彼女の対面に座り、二人きりで向き合った。
貴女あなたは覇王の御息女だと伺いました」
挨拶から、長の対応は貴人に対するそれで、丁寧だ。
そうなると、振舞いの教育を受けていないアダは苦しい。
「そうよ。王都で酷い目に遭って逃げてきた。助けておくれ」
自分では丁寧に話しているつもりだが、王都であつらえられた貴族の旅装とずれた、不躾な言い方になっているだろうと予測はつく。
対面する長は一瞬表情を変えたが、すぐ顔色を整え、丁寧な態度を崩さなかった。
「覇王の傘下に参じて以来、交易の安全も守られて恩恵を受けております。御息女の貴女をむげにはいたしません」
自分を見る若い長の視線に、外交的な態度とは別に、好意が含まれているようにアダには思えた。
この男の懐に入り込む糸口かもしれない。

 長の男と肢体を絡ませている間には、アダの頭に何の打算も無かった。
行為を終え、うつつに寝物語を交わした後、長の男は先に眠りに落ちた。
アダは寝台の上で腹ばいになって、隣で眠り込んでいる長の寝顔を覗き込んでいる。
その間に、思案が浮かんできた。
王には豪族を討伐しろと言われていて、今は絶好の機会である。
持参した武具は取り上げられたが、寝台のそばに衣服が脱ぎ捨ててある。
その衣服の中に、王から送られた、暗殺用の刃が仕込まれた髪飾りを隠している。
この髪飾りを素早く手に取って、長の首筋を刺し貫くぐらいは、素人のアダにもたやすくできる。
でも、隣で自分に気を許して眠る男を殺す気持ちになれない。
何とかこの場で彼を殺さず、なおかつ王命への反逆とみなされずに済む道はないか?とアダは考えた。

 数日後、長の館の外にある厩の中で、アダは付き人と合流した。
自分たちの馬の機嫌を伺うという口実をつけて、会っている。
「寝首をかく隙はなかったのですか?」
馬番の者は離れたところにいるので、小声なら密談ができる。
付き人と顔を合わせ、長との経緯を手短に話すなりそう詰問されたので、狼狽した。
「そうしようとは思ったのよ」
「ではなぜ殺さなかったのですか」
「優しく抱かれたばかりで、日和ひよってしまった」
照れながら言うアダの言葉に、付き人はわずかに顔をしかめた。
「王命をお忘れではないでしょうね」
「わかってるけどさ、人を手にかけるなんてやっぱり無理だよ」
「王都に帰るつもりなら、他に手はありません」
付き人は手厳しかった。
「でもあの王都も周囲は敵ばかりで、もう長くはなさそうじゃないか……」
「ではいっそ王命に背いて、貴女のお父上に降りますか」
「嫌だ。私もおかあも捨てた男、おやじだなんて一度も思ったことないよ」
アダは即座に吐き捨てた。
厩の入り口にいる馬番の者が、こちらのやり取りを気にして見ている。
監視しているのかもしれない。
二人は顔を近づけた。
「覇王が北東の豪族に擁立されたように、貴女はここの長と懇意にして、ここに居場所を見つけるのも手かもしれませんね」
付き人は静かな声で言った。
「本気で言ってるの?」
「貴女はここの長を殺すのは嫌。そして仮に殺せたとしても、あの王都は長くはもたない。だとしたら、どうですか。王都向けには、長を倒す機会を狙っている、という体を見せて時間を稼ぐ。そうしながら長に取り入って、いずれはこの西の集落に落ち着くというのも」
付き人の言葉に、アダは考え込んだ。

 一週間滞在した後、アダと付き人は西の集落を発った。
この頃には集落の長はアダをいたく気に入って、彼女を手放すことを渋った。
アダの決意は固い。
「後悔しませんか」
出発前に、主の館の客室で付き人からも問いかけられた。
「長はいい男だけど、私は一生男に仕える質じゃないんだ」
長には、仮にデプエント王から自分たちについて追及があれば、二人共に病死したと伝えてくれるよう頼んだ。

 武具を返却され、王都から乗ってきた牝馬に長から贈られた物資を積み、西方に向かった。
山脈の山間を通る交易路は細くて険しいが、数日かけて隣国に抜けられるという。
アダと付き人の二人は、再び旅路に着いた。
「近いうちに大きな戦になるでしょうから、出来るだけ遠くまで行きたいですね」
馬の手綱を引きながら、付き人は何とはなしに活気を見せている。
先日の晩、アダは初めて彼から身の上話を聞いた。
彼はデプエント王の実の息子だが、王子になれる継承権を持たない庶子だという。
アダと似た境遇の生まれだった。
「国外のどこかには、私たちのための場所があるはずです」
付き人にも、彼なりの野望があるらしい。
彼とずっと旅を続けるのか、いつかは別れることになるのか、今はアダも考えずにいたかった。

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