にんげんていいな(前と同じこと書いているかもですが大事なことは2d)
どうも、わたしです
私的なあれこれで文章書くのもままならずあれよあれよと年末近く
いかがお過ごしでしょうか
あれこれの詳細は伏せますが笑
人生には転機が大なり小なりありますけど
私の場合「他人」が大きくかかわります
でも大体の方がそうかもしれないですね
自分だけ、なら自分の世界で収束しますし変化する必要もないですから
頑なに「自分はこうだから」って背負ってたものがガラガラと崩れ落ちる様は絶望に近いものがあります
信じてたものや信念が破壊されるので「今まで生きてきた自分」にNOを突きつけてるのですから
自分のパーソナリティに対しても、自分の目と他人の目は違ってて「うえええ」ってなることもしばしばありましたが
結局「人の目」を気にして動く私は私ではなくて印象がだいぶ違うことに気づかされたんですね
結論、「嫌われたくない」って恐れを持つか持たないかでだいぶ違うみたいです
幸か不幸か、持つ方と持たない方の話を聞くことができまして…前者は卑屈、依存、認められたい欲が見えて後者は自分を持ってる、堂々としてる、世界があると見られていました
印象が対極すぎる、ということは人の目を気にしたり合わせすぎたりすると謙遜も嫌味になるし人格も変わってしまうということ(あくまでも私の場合かもですが)
プライドがあれどどこか自信はないというこじらせエブリデイ野郎は他人の態度に左右されがちで少しの拒否で敵認定しがち…
その他人が自分より秀でているとそれはたぶん妬みからくるものであってそこをうまく消化しきれず冷たくされてると感じ取った(言われた、じゃなくて感じ取って自分で思い込んでるってところがポイント)刹那
「あ、自分お払い箱なのかよ」
とチクチク不満を垂れ流す(クソ)
拒否される自分に苛立ちそれを相手に回りくどく攻撃して「ほらやっぱり離れるんでしょ」って着地して
そこはもう保身であって好きとか愛なんてなくて
でも自分の中に相手への愛はあると信じていて(厄介)
思い通りにならない現状に苛立って貶すことで
「私は悪くないのに、受け止めない相手が悪だ」
って言い聞かせて息するように嫌がることけしかけてしまっている
他人中心に「好かれる嫌われる」を考えるから大きくブレて、憎しみの執着を手放してプラマイゼロになるまで時間をかけすぎることになる
それ指摘された時にカーッとなったし、そんなんわかってるけど感情が追いつかないんじゃー!って言っちゃった笑
でも
こんな言い難いこと言ってくれる人って盲目にならずに俯瞰的に見てくれてるからだし、口説くハウツーにありがちな慰めとか同調の言葉で寄り添って好感度をあげるとかじゃなくて気づきを促してくれた最後通牒みたいなもので
そこに「私に嫌われたくない」って思いはなくて逆に「嫌われてもしかたない」って思ってたとあとで言ってたけど、辛辣な言葉でもなんか心に響いてその人への信頼度がぐっと増したんですよね
人と通いあいたい、知ってほしい、知りたい、深めたいって時って実は私がしていた逆だったのかもしれないってなんか目の前がパーッと開けたんです
何と思われようが、ちゃんと自分の気持ちを出す。伝える。ああ言えばよかった、がゼロに近くなるくらいに
そこで嫌われたらそこまでだし、伝え方を考えればいいし、やり直しはその人じゃなくてもできる。したくない、したくないの否定形は何も生まれやしないし終わりもしない
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うまくいかなかった人間関係は極度の劣等感もあったし
他責思考というか「自分が」どうなりたいってビジョンもなく「きっとこういうふうに思ってるに違いない」と決めつけてそのシナリオ描いて自分の気持ちを無視して結末まで演じきって余計な喪失感をひきずって「どうせ私は思考」するを繰り返していたんだな、と。
もったいないとは喪失直後はあったかもしれないけど、ここに気づけるまでに似た人を投入してくれた見えない存在には(その人を含めて)感謝と懺悔しかないです……思い返すと怯えてしまう人には共通点があって、あとはここを回避するのか敢えてぶつかるのか。(心理状態にもよるが)
……ぶつかるべきだ
回避したから同じお試しが来たんだから
ダメージ増量と共に(不思議なことにお試し繰り返すと乗り越えられなかった時のダメージ増量は本当にある)
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人に見られる活動してると好感度はすごく気にはなるけど不快にならない程度に自分コロさない程度にブランディングするって大事ですね
「こんな人だとは思わなかった」に振り回されないようにしないといちいち「グハッ!( ´ཫ` )」てなってたらキリがないし身体ももちませんて
好かれてたらラッキーってこういうことなんですね
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「こう生きてきたから」が崩れた時の敗北感は生まれ変わりの合図
「こんなはずじゃなかった」は経験すべき新しい価値観とそれに対して自分はどう思うのかをとう問うチャンス
「拒否された」は今までのセオリーを深掘り見直すチャンス
上手くいかなかった時こそ「いい波が来た!」「盛り上がってきた!」「こんな経験できてラッキー!」くらい即変換する思考をデフォにする
……ってわかってるけどいざ落ち込むと視野が狭くなって内にこもるから壁に貼っておかなきゃ笑
いいメンターに出会えたおかげで、やーーーっと自分取り戻して生きる希望が見えてきました
自分を好きになる、愛するってことも
ずっとそこ無視してただのトキメキで人を好きになってた(と思い込んでた???)のはホント形でしかなくてただの愛情の枯渇を欲してただけでした
枯渇に愛情が注がれても焼け石に水。なにも満たされることは、無い。自分が満たされてないから。
私のこの不足やメンタル荒れてた時の投げかけをスルーして言わずに見守ってくれた内のひとりは
「何とか自分で気づいてよ」
「あなたならできるから乗り越えてこっち来い」
っていう【敢えて構わないという優しさ】からだったらしく、傍から見たら冷たく無視してるように見えるけど違うんだよってネタバラシしてくれて
「無視に悩んでた時間返せ!」
って思わず言ってしまったけど笑
でも振り返ればそこで最初こそ腐ってたけど段々と自分について考えるようになってったし核にたどり着いたからそれは必要な痛みだったんだなと今は納得しています
周りの大人たちは肩書きはいろいろあれど人間として素敵な人ばかり
自分に集中してるのに周りの人のいいところがいっぱい見えてくるのも不思議な現象です
改めて恵まれてるなぁと感謝のきもち
慢心せず、無駄なく生きるのが恩返しかもです