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「進撃の巨人」をもはや作品として見れない。

※当記事には「進撃の巨人」に関するネタバレが含まれますが、話の根幹に関わるような重大なものはありません。

ネットの掲示板やYoutubeのコメント欄で、英語のスレッドを読むのが好きです。
どうでもいい議論とか、しょーもない応酬が延々と繰り返されている光景が目に入るのをわかっていても、読んでしまいます。
世界言語である英語の議論は、発言の間口が広いので、とにかく色んな人の意見や声が確認できますよね。よく知っているつもりのテーマであっても、自分と全く違う見方をしている人とか、自分の知る社会では常識だったことが実は普遍ではないことに思いがけず気付かされたりして、面白いのです。

特に昔から、自身が親しんでいる漫画やアニメ関係のスレッドはよく見ていました。そんな中、最近と言うほど最近の事でもないですが、ここしばらくの間でも特に印象に残る議論の紛糾に出くわしました。

「進撃の巨人」のラストの是非についてです。
原作の漫画は完結しましたが、アニメはまだです。海外のファンというのは、漫画よりもまずアニメから入る人がほとんどですので、「進撃の巨人」ファン界隈にはラストを知る人と知らない人が混在している現状があります。

漫画の最終回が掲載され、最終巻も無事に刊行された際、日本での反響はおおむね良く、世間には「諌山先生お疲れ様!」といったような温かい雰囲気が満ちていたように記憶しています。でも海外(ここでは英語でネット上のスレッドに参加している人々を指します)での反応は、話の結末に関して「これで良い」とする肯定派と、「こんなオチつけられてやってられっかよ!」と思う否定派に分かれ、炎上と呼んでも良いような加熱ぶりになったようです。
もちろん、ネットという環境では何かを肯定する声よりも、否定する声の方が大きく響くものです。厳密に統計をとることが可能なわけでもないので、世界中の読者の間でどちらの方が優勢なのかまでは分かりません。でも、日本で生きている実感からは遠く及ばない程度には、結末を「否」とする人口が存在するようです。

かく言う私も、それらの反応を見たときは「やはりそうか」と思いました。むしろ日本の世論があれを温かく捉えていることの方に、多少違和感を感じていました。

うーん正直、急いで終わらせた感じは否めなくて、特にちょっと、巨人の末路については急なファンタジー展開でついて行けないところがあるんですよね。でもそれは、あの作品がこれまで現実世界を捉えた描写に卓越していたからだということもあって、そうでなければ別に、漫画なのだから、受け入れられたことなのかもしれません。
あとは、「彼女」を長く束縛していたのが愛だとか、ミカサのことを見ていただとか、やはり最終盤に至っていきなりされたところで腑に落ちない説明は多かったとも思います。でもそれも、本作が今まで大量の伏線回収をあまりに鮮やかにこなしてきたからであって、むしろ序盤で主人公が死んだかと思ったあの時のような驚きをもって受け取るべきだったのかもしれません。

最後の戦いの場面は結構見応えがありましたし、そのために急に"飛べる乗り物"を出現させたのも、まぁ許せるかなと思います。そもそも今までだって、とにかく何が起こってもおかしくない世界観だったじゃないですか。我々は何度、あの漫画の信じられない展開に驚かされてきたと思ってるんですか。回収されてない伏線もいくつかあるけど、全部完全には回収されない方が個人的には好みですよ。それに何より、彼ら自身がそれぞれであの展開を選んだのだから、だから…

……あれ?

…なんでいつの間に、弁護してるんだ?

落ち着いて考え直そうとしたのですが、どうしても最後には言い訳がましい発想に行き着いてしまいます。もちろん、私自身が結末に満足できなかったのは事実だとはいえ、「進撃の巨人」をリスペクトしているのは確かですし、ラストも別に、全否定するほどのものでもなかったと思います。それでも、なぜだろう、批判的に考察する思考が、どうしても途中で阻まれてしまいます。

そこで今度はその理由について思いを巡らせて、ひとしきり考えた挙句、わかったことがあります。

私は、あの作品をもはや作品として見れていないのです。

時間を遡ってみましょう。私が本作に初めて触れたのは、アニメ一期の放送がきっかけでした。当時中学生で、話題にも上っているし読んでみようかと、漫画を立ち読みしたのが最初。後に全巻買い揃えましたが、当時の最新刊は大体「超大型」と「鎧」の正体が暴かれた辺りだったと記憶しています。

それはもう、夢中で読みましたし、アニメも欠かさず見ていました。あの時代に中学生として生きていて、一度あの作品に触れてしまったら、影響を受けずに成長するのなんて不可能です。学校に行けば、椅子から飛び降りつつ両手に携えた箒を振り下ろしている奴等がいますし、廊下をドタバタ走る同級生が「奇行種」と揶揄われたりしています。山手線に乗れば、超大型巨人の巨大なパネルがこちらを覗き込んでいるのが見えました。

それになんと言っても、15歳前後というのは難しい年齢です。自分の周りに儘ならないことが多すぎるし、小さいことを耐え難い苦痛に感じます。それに比べたら、作中で15歳の主人公たちが直面する苦難というのは、平和な世界で生きている私たちには想像するのですら困難ではあます。それでも、いや、だからこそ素直に、心から応援していました。次は何が起きるのだろう、壁の向こうには何があるのだろう、この世界の真実とは何なのだろう。頑張れ人類。頑張れみんな。必ず海にたどり着くんだぞ!

とはいえ、物語を読む行為につきまとう切ないところというのは、どうしても現実世界にいる私たちの方が、登場人物よりも早く老いてしまうことです。私は高校生になり、大学に入学しました。でも「進撃」の彼らは15歳のままです。

ああ遂に、彼らに等身大で共感できる時代は終わってしまった。それでもこの物語の展開は、最後まで見届けねば…そう思っていた時です。

なんとエレンやミカサ、アルミンたちも、私とほぼ同一のペースで成長してくれたのです。15歳の頃から一度時間が飛んで、次の編で出てきた時には20歳前後になっていました。

とても嬉しく感じました。しかも登場人物たちの成長ぶりが、より一層自分を彼らに重ねる要因にもなりました。

この時点で、それまで謎とされていた壁の外の世界の全体像はほぼ明かされており、巨人の正体等、物語の根幹にあたる設定についても多くの情報が開示されています。それは読者にとってだけでなく、作中の人物たちにとっても同じです。彼らはより広い世界を知った上で、人間的に成熟して登場します。

また、それとともに人物同士の関係性や立ち位置も変わってきています。壁の外の世界の真実について知った彼らは、それぞれ異なることを考え、違う道を歩み始めるのです。

かつて「巨人を駆逐する」と息巻いていた主人公の、少年漫画的で猪突猛進型の性格は、それまで人類vs.巨人の二項対立の世界観においては、物語を牽引する原動力になっていました。でも、より広くて複雑な世界の実情を知ってしまったあとは、それが読者にとっても、彼の周りにいる人々にとっても、どんどん卑小で乱暴なものに見えてくるのです。主人公のエレンと、幼馴染でいつも一緒だったミカサ、アルミンの三人をはじめ、人類代表として一枚岩で戦っていた頃には団結していた人々の間には、徐々に心の距離が生まれてきます。相手のことが理解できないことも多くなってきました。

ここまで見て、20歳そこらになった読者の私は、「リアル…」と思った訳です。中学の友人、昔は尊敬していた人、大好きだった歌手、かつては本当に仲が良かった人々。そんなふうに愛着をもって接していた人たちでも、20にもなれば急に疎遠になったり、もうかつてのようには共感できなくなっているのも珍しいことではありません。加えて、もうそのくらいの年齢になれば、10代の自分を振り返ってみて視野の狭さを反省したりだとか、当時は必死で取り組んでいたことであっても、思い出せば恥ずかしいだけだったりすることがあります。「進撃」の主人公たちの変化の中に、成人した自分自身が日常的に思うことや、経験することを重ねました。

そんなこんなで、作中ではそこからすったもんだあって、迎えたのがあのラストです。10年にもわたって一緒の時を過ごし、成長してきた彼らが迎えた物語の結末。そこに如何にして、我々から文句のつけようがあるでしょうか。私だって、もはや彼らを、昔のように素直に、熱烈には応援できなくなっているかもしれない。それでも、自分達の人生をそれぞれが歩む中で、彼ら自身が選んだラストがあれなのです。作者に対しても同じことが言えます。私たちが中学の頃から大学卒業後に至るまで、休まず働き、あの素晴らしい作品を世に送り出し続けてくれた作者。絵柄も連載開始時と終盤では随分変わりました。それをずっと見届けてきたのだから、彼の労力を無碍にするような言い方はしたくないのです。

何が言いたいか。私はあの作品を、もはや作品として見れていません。友達として見ています。

一緒に成長し、反目し、感情を分かち合った友達。キャラクターも、ストーリーも、作者の存在も、あの作品の全部が、人生のピースを紛れもなく構成しているのです。

もちろん作品を擬人化して扱っているとか、そういうことではありません。「進撃の巨人」という概念そのものが、自分にとって限りなく友に近いのです。

そうであれば、なんとなくクリティカルに捉えられない理由もわかります。ちょっとやそっとのことなら、許せてしまうのですから。

もちろん、いつまでも今と同じように考え続けるとは限りません。あと10年もしたら、見方を改めているような気もします。私と同じようにして本作に親しんできた人でも、皆が同じように考えはしないでしょう。

でも、もし私と同じように愛憎入り混じった執着を抱いている人が他にもいるとしたら、それこそがこの作品の実力なのだと思います。紛れもない名作です。

なんかちょっと気持ち悪かったかな。もう今日はこれで失礼します。



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