嫌韓論を超えて

1 俗に「嫌韓論」と呼ばれる言説がある。一々取り上げるのもバカバカしいが、何らかの実話のような出来事をネタに「韓国は日本より民度が低い」等と語る類の説話形式と言ってよい。
 ネットのニュースサイトを開くと、ブラウザの画面横(もしくは)下に毎日のように「嫌韓論」記事へのリンクが貼ってある。
 私はそうしたリンクのタイトルを見るだけでゲンナリしてしまうのだが、こうもしつこく毎回リンクが出てくる所を見ると、ネット上ではこうした記事への需要が一定程度あるという事なのだろう。
 ただ、「衣食足りて礼節を知る」という箴言が正しいとすれば、一人当たりのGNPで韓国は既に日本を追い抜いている(注1)時点で、「韓国が日本より民度が低い」とは言えないのではないかと思う。論理的に言えば、「韓国は日本より民度が高い」という仮説も成り立ち得る。

注1)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66790

 私が思うに、「韓国は日本より民度が低い」という言説は、その裏面に「日本は韓国より素晴らしい」という発想を暗に含んでいる。
 こういう「他人を貶めて、自分の自尊心を保つ」という思考をする人は、日本人同士の間でも普通に見受けられるが、こうした思考をする人の特徴として「自分に自信がない」という点が挙げられる。
 考えても見て欲しい。自分に自信があって、日々の生活に迷いが無ければ(そんな人が現実にどれだけいるかは別にして)、一々我が身を他人と引き比べて「自分は他人より優れている」とか「劣っている」とか思ったりはしないだろう。
 「嫌韓論」の言説にも同じ思考様式が見える。「嫌韓論」を支持する人々は、「日本は韓国より素晴らしい」だから、「日本人である私は偉い」とかいう・・・論理的にはかなりの飛躍があるのだが・・・発想で、日々の生活の中では満たされぬ自尊心を満足させているのかもしれない。
 だが、所詮「他人を貶めて、自分の自尊心を保つ」というやり方では、自分の現状は変わらない。もしも、貶める対象の他人が自分より上のポジションに行ってしまえば、そのロジックが成り立たなくなる事は先に述べたとおりである。
 また、天皇家の祖先に(朝鮮半島の)百済王国ゆかりの人がいる事(注2)や、仏教や漢字を始め、今日の我が国の文化的社会的基層をなす文物が朝鮮半島を経由して我が国にもたらされたという歴史的事実があるにも関わらず、考え無しに「嫌韓論」に与するのは、我が国のひいては自分自身のルーツを否定するに等しい行為だと思う。

注2)https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html

2 だが、私はだからと言って、いわゆる「良識派」とされる知識人のように、諸手を挙げて「日韓両国は一衣帯水だから仲良くしましょう」とは思っていない。
 以前内田樹先生が編集された「街場の日韓論」(注3)を読んだ際、元総理大臣が寄稿された文章に、「私が韓国を訪れて嫌な思いをした事は一度もありません。皆親切で私に最大限の好意を示して下さいました」と書いてあった。

注3)https://www.amazon.co.jp/街場の日韓論-犀の教室-内田-樹/dp/4794970404

 その話は事実だろうと思うが、その方が親韓派として彼の国を訪れ、反日的な感情を持つ人々に会わないよう現地のアテンドが事前に調整していれば、それは大歓迎されて当然だろうと思う。
 普通の日本人が一個人として韓国を訪れても、全ての人がその元総理大臣と同じように歓迎されるとは限らないはずである。
 また、「韓国が嫌いだ」という人々には「日韓併合以降先の大戦までの戦争責任についてこれまで何度もお詫びと謝罪をしたのに政権が交代する度に、彼らは手のひら返しをしてくるから、いい加減うんざりだ」という感情論もある。
 こうした感情論は私も首肯できるし、そういう感情を有している人々に日韓友好を理詰めで説いても納得してもらえないだろうと思う。

3 さて、私が「嫌韓論を超えて」というタイトルで本稿を書いた結論を述べると、日韓関係をどう捉えるか?という課題については、韓国政府と我が国の関係と個々の韓国人と我々との関係の二つのレベルを切り分けて考えるべきだ、という事に尽きる。
 私が通っている道場にも韓国からの留学生の若者がいる。もし私が彼の立場に立って考えて見るならば、仮想敵国の日本にやって来て、孤立しがちな状況に身を置きながらも、それでも道場の人々と一生懸命コミュニケートしようと努めているのは大変な苦労があると思う。 
 対人関係一般に帰って考えて見よう。もし初対面の相手がこちらに好意を持って接してくれるのであれば、こちらも好意を持って応対するのが「礼儀」ではないのだろうか?
 「日本」と「韓国」という国と国の関係がどうあれ、まずは日本に居住している「韓国籍の人々」にどのような態度で接するかによって我々の民度が推し量られようというものである。
 国と国との関係を個々人の関係に持ち込むべきではない。歴史に学ぶ前に、まずは当たり前の人づきあいが出来る事の方が大事だと思う。
 

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