「中村屋のボース」を読んで

1 中島岳志さんの「中村屋のボース」をずっと読もうと思っていたが、ようやく手に取ることが出来た。
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b204057.html
 筆致を押さえ、事実に依拠してR・B・ボースの伝記が淡々と書かれているが、言葉のひとつひとつに、この本を書くにあたってボースの足跡を辿った中島さんの身体実感の裏付けがあって、大変な力作だと思った。
 タイトルにある「中村屋」とは新宿東口にあるあの「中村屋」である。肉まんやインドカリーで本稿を読んでおられる方にも馴染みがあるのではないだろうか。
 私も大学時代、当時仲の良かった女性と映画の帰りに「中村屋」に行って、2階のレストランでインドカリーを食べた記憶がある。
 今では「中村屋」のインドカリーはレトルトでスーパーやコンビニでも買えるが、その時の私は小麦粉でとろみをつけた欧風カレーしか知らず、インドカレーの美味しさに驚いた。
 それ以来20代前半の頃はカレーが食べたくなったら、独りで昼間に「中村屋」の4階に行って、食べ放題のカレーを堪能し、周囲の客から怪訝な顔をされたのも今となっては良い思い出である。

2 「中村屋」でインドカリーを食べてからカレーの美味しさに目覚めた私は、銀座の「ナイルレストラン」にも行ってみたが、メニュー表を見て迷っていると先代のナイルさんから「じゃあ、ムルギーランチね」と注文を決められ、サーブされたら「混ぜて混ぜて」と急かされて、「せっかくの美味しいカレーをゆっくり食べさせてくれよ・・・」と苦笑した記憶も本書を読んで蘇って来た。
 「中村屋のボース」の引き写しになるが、「中村屋」のインドカリーは20世紀前半のインド独立運動の闘士R・B・ボースが日本に亡命中に伝えたモノである。
https://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/founder/people/p_014.html
 本書を読むまで、「中村屋のボース」ことR・B・ボースとインド国民軍を率いたチャンドラ・ボースを同一人物だと勘違いしていたが、「ナイルレストラン」を戦後日本に開設したA・M・ナイルもインド独立運動の闘士だと本書のおかげで知ることが出来た。
https://www.ginza-nair.com/
 今ではインド各地の地域色反映した様々なインド料理店が日本にあるが、カレー一つでインドだけではなく日本の近現代史にまで思いを馳せる事が出来るのは「中村屋」と「ナイルレストラン」くらいだろう。

3 R・B・ボースが独立運動の過程でインドを追われ、日本に亡命した経緯は本書に詳しいが、個人的に興味を引いたのは、R・B・ボースがインドの宗主国であった大英帝国から独立するために、同じ帝国主義国家である大日本帝国を利用せざるを得なかったというボースの抱えたジレンマに関する記述である。
 ボース自身、亡命後の日本で度々大日本帝国の帝国主義的傾向を批判してるが、結果的に彼がインド国民軍の人々から日本の傀儡だと思われたという事実をとっても、ボースの心労は大変なものだったろうと思う。
 先の大戦に対する評価は人それぞれだが、少なくともそれが日本と英米(蘭)という帝国主義国家同士の戦争でしかなかったという事は押さえておく必要があると思う。戦前のアジア主義については、中島さんの著作に詳しいが、頭山満にしろ大川周明にしろ一昔前まではほとんど忘れ去られた存在だったように思う。
 おそらくは戦後、アジア主義については戦争の記憶と共に無意識に日本社会が封印してしまったのではないかと思う。
 だが、中島さんもあとがきで述べているように「中村屋」のインドカリーがある限り、ボースもそして戦前戦中のアジア主義者の人々も完全に忘却される事はあるまい。日本の近現代史の無意識の封印を解くのは今を生きる我々が自らなさねばならないのだろう。

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