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高瀬舟

あらすじ

森鷗外の『高瀬舟』

安楽死を問う小説である。あらすじは以下の通り。

江戸時代、京都の罪人が島流しされるとき、京都を流れる高瀬川を流れる船に乗る。そこでは、罪人のほかにもう一人乗って暇乞いをすることが許されており、たいていは夜通し悔いた話を泣きながらする。この船を動かすものは同心と呼ばれ、忌み嫌われる職業であった。
あるとき、これまで類を見ない罪人が乗ってきた。名は、喜助といった。喜助は、媚び諂うわけでもない様子で礼儀が正しく、船に乗っているとき、「目には微かなかがやきがある。」罪人に似つかわしくない落ち着いた様子に、同心の庄兵衛は気になり、身の上を聞く。喜助は、礼儀正しく答える。大体このような感じである。

島流しを言い渡されたときに、お金をいただいた。牢屋でもただでご飯をいただけた。これほど幸せなことがあるかと。というのも、幼いときに親を失いこれまで満足を知らなかった。稼いだお金は、右から左に流れ、生活するのに必死だった。弟が病気になってからはなおさらである。そんな生活だったから、島での生活はとても楽しみにしている。

庄兵衛は、自分の身分と引き比べてみて、喜助が足ることを知っていると気づく。こんな善良な人間が、弟殺しをしたのか。詳細を聞いてみたくなった。

ある日、いつものように仕事から帰ってくると、弟が苦しそうに突っ伏している。周りが血まみれになっている。慌てて何があったのか聞くと、弟は、「どうせ治らくない病気だ。これ以上、兄さんを苦しませるわけにはいかないから、死のうと思ったのだ。」というようなことを言った。続けて、首を掻っ切って死のうとしたが、死に損ねてしまった。どうか、とどめをさしてくれ、と。弟の目は、戸惑う喜助をなんとも怨めしそうに見ている。いよいよ決心を決めたとき、弟の目がいかにもうれしそうになった。とどめを刺したとき、ちょうど弟の世話をしてもらっていたおばさんが入ってきて、今に至る。

庄兵衛は、この理屈が通り過ぎている話を聴いて、考えた。これが弟殺しなのかと。自分で分からないから、お上の判断に任せようとしたが、それでもなお腑に落ちない。

「次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。」

安楽死という観点と、喜助の人柄から考察したい。

弟殺しなのか

まず、弟を殺めたことは事実である。弟は死にかけていたし、そのままにしたら直に亡くなっただろう。ただ、とどめを刺したのは喜助である。
この場合に、罪となるのかについてだが、現在の日本の法律で行けば、おそらく自殺関連罪の一つ自殺幇助罪(刑法202条)に問われる。「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者」が対象となる。

日本では違法性の認められない自殺を幇助した場合に、違法性が認められるのは、そうしないと都合が悪いからだろう。罪に問わないとなると、自殺幇助に見せかけた殺人が横行して、社会が混乱に陥る。だから、一律に罪とするという、実務的な理由があるのでは。

法律的にはそうかもしれないが、そう単純な話ではない。今目の前に死にかけで苦しんでいる人がいる。その人が殺して欲しいと切に願っている。その人の死ぬという幸せに手を貸すことは、そこまで悪くないような気もする。

しかも、この話では兄のために死のうとしていて兄に殺して欲しいと言っている。人のためにお金を稼いだり、料理を作ったりするのとは大分異なるが、この状況での人助けのためには、これがかろうじて取れる次善策なのではないだろうか。

喜助の性格

喜助は、庄兵衛の見立てによると、足ることを知っている人間である。島流しにあたり、金銭をある程度支給された。それで満足している。島での生活を楽しみにしているようにも見える。愚直で、生真面目な性格だと思われる。おそらく弟思いでもあるのだろう。

そんなまっすぐな性格だからこそ、弟は兄のためを思って死のうとして、兄を信頼して自分の命を預けた。

これは単に結果論ではあるが、喜助は、牢屋にいるとき、衣食住を確保され、島での生活ももらったお金で当面は凌げる。この生活に多少は、満足しているのではないだろうか。

弟を失った苦しみは消えないだろうが、自分の生活が一旦は楽になった。そう考えると、弟の「自殺」により、喜助も救われた部分があるかもしれないし、ないかもしれない。

ただ、最後の「次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。」から、やはり庄兵衛も、喜助も救われていないとも捉えられる。

考えさせられる作品である。


似たようなテーマの作品に、前田哲監督の映画『ロストケア』がある。興味ある方は是非ご覧ください。




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