見出し画像

ドルトムントの話、ブンデスの話

セレッソ大阪が7月24日にドイツ・ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントというチームと対戦することが公式発表された。

多くのセレサポにとって、ドルトムントといえば「かつて香川真司が所属していたチーム」という認識かと思う。今回対戦が実現したのも、香川真司が発端の縁なのかもしれない。

僕にとってドルトムントは、真司が加入した2010年から追いかけ始めて、気が付いたら真司がいなくなっても応援を続けていたという、いわゆる推しチームの一つ。今となってはセレッソの次に好きなサッカークラブだ。

ドルトムントを見るうちにブンデスリーガ全体の事もなんとなく分かるようになっていって、今でもプレミアやラ・リーガを見る時間よりブンデスリーガを見る時間の方が圧倒的に多い。変わった趣味をしていることは自覚している。

日本のサッカーファンに人気なのは圧倒的にイングランド・プレミアリーグ。
次に人気なのがスペインのラ・リーガ、その中でもレアルとバルサ。
ブンデスリーガの人気度はその次…いや正直に言うとその次ですらない、もっと下だろう。バイエルン・ミュンヘンだけが、プレミアやラ・リーガと張り合えるほどの知名度かもしれないが、バイエルン以外のクラブの事はあまり知らないという方も多いのではないかと思う。

別にこれを否定するつもりも、言い争うつもりも全くない。人気や知名度で後塵を拝しているのは事実だろう。

だからこそ、僕は今回のドルトムント来日をポジティブに、貴重な機会と捉えたくて、これを機にセレサポでブンデスにはあまり興味ないなって方に少しでもブンデスの魅力…というかブンデスはこんなリーグだよっていうのを伝えられたらなと思い、書いていこうと思い立った。急に思い立ったので完全な見切り発車だ。

でも僕はまだ現地でブンデスリーガの試合を見たことがないので、偉そうなことは言えない。別に自分の力で魅力を広めたいとかそんな大げさなことは言えないので、あくまでも雑談として、ブンデスってざっとこんなリーグで、色んなチームがあって、ドルトムントってのはこんな感じだよっていうくらいに聞いていただけたら嬉しい。

ボルシア・ドルトムント

簡単に概要

まず今回は、せっかく対戦相手になったのでボルシア・ドルトムントってどんなクラブ?っていうのを簡単に書いていきたい。

創設は1909年。ヨーロッパのクラブらしく歴史は古い。
本拠地はノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムント。かつて鉄鋼業で栄えた街らしい。
ホームスタジアムはジグナル・イドゥナ・パルク。8万人収容で、あの黄色い壁のようなゴール裏は有名かと思う。

日本人は「ドルトムント」と呼ぶが、現地の人は「BVB(ベー・ファウ・ベー)」と呼んでいるらしい。確かに中継を見ていると、サポーターが「ベーファウベー♪」と歌っている様子が聞こえてくる。

ちなみにBVBというのは「Ballspielverein Borussia」(意:ボルシアの球技クラブ)の略。ボルシアって言うのはかつてプロイセン王国が存在した地域という意味らしい。プロイセンというと世界史の授業で聞いたことがある単語だろう。

昔のドルトムントの事はよく知らないので長々と書いても仕方ないが、1998年にはミヒャエル・スキッべ現サンフレッチェ広島監督が率いていてたらしい。当時のクラブ史上最年少監督だとか。そう考えたら、こんなすごい人を連れてきたサンフレッチェが強いのも納得だ。

1990年代から強豪として欧州の舞台で活躍したドルトムントだったが、2000年代に入ると経営危機に瀕してしまう。2005年頃にはいつクラブが潰れてもおかしくないくらいの大赤字だったそうだ。

これを、ハンス・ヨアキム・ヴァッケという人が中心になって建て直す。ちなみにヴァッケは今もなおドルトムントのCEOだ。試合中、スタンドで観戦している様子がよくテレビに映る。今季でCEOを退任するという噂が流れているが、この方なくして今のドルトムントはない。

2008年にはユルゲン・クロップ現リバプール監督を招聘。財政難に陥った反省を糧に、この頃から若手発掘クラブという方向でクラブ作りを進めていく。

僕のような、香川真司在籍あたりのタイミングでドルトムントを見始めた人は、ドルトムントといえば「クロップによるゲーゲンプレッシング」「若手発掘」というイメージがあると思うが、それは2000年代後半頃から作られてきたもののようだ。

ドルトムントにとって、大きなダービーマッチは2つ。
1つはシャルケ04とのルール・ダービー(またの名をレヴィア・ダービー)だ。
この両クラブの本拠地は約20kmしか離れていない。ちなみにヨドコウ桜スタジアムとパナソニックスタジアム吹田の直線距離が同じく約20km。同じくらいの距離感だ。と考えたら、隣町同士のライバル関係でダービーマッチというのもすんなりイメージできると思う。

もう一つがバイエルンとのダービーマッチ、通称デア・クラシカー
こちらは地域的な意味でのダービーマッチではなく、その国の代表的な2チームの対戦、いわゆるナショナルダービーの意味合い。スペインでいうレアルとバルサによるエル・クラシコ、イタリアでいうインテルとユベントスによるイタリアダービーのような位置付け。近年も多くのシーズンでバイエルンが優勝、ドルトムントが2位という2強状態が何度もあった。それもあって、この組み合わせが現代のデア・クラシカーだ。
「現代の」という言い方をしたのは、ドルトムントとバイエルンが2強となり両者の対戦がデア・クラシカーと呼ばれるようになったのはここ10年ちょっとの話だからだ。バイエルンは基本的にずっと強さを維持しているが、そのライバルとなるクラブは時代によって変わってきた。だから、このカードが昔からずっとデア・クラシカーと呼ばれてたわけではないようだ。

さらには浅野拓磨が所属するボーフムとも、"もう一つのルールダービー"や"小さなルールダービー"という呼ばれ方をするダービーマッチの関係だ。実はドルトムントとシャルケより、ドルトムントとボーフムの方が本拠地間の距離は近い。

香川真司の加入

香川真司が移籍したのが2010年の夏。
直後からレギュラーを獲得し、そのシーズンの第4節シャルケとのルールダービーで2ゴールを決めて、一気にサポーターの心を掴んだ。

今でこそ真司は誰もが知るスター選手だけど、当時の彼はまだ無名。J2で3年弱、J1ではたった半年しか試合に出ていないので、それも無理はない。活躍できるのか?という懐疑的な声は日本でもかなりたくさんあったし、日本であったということはドイツでもあったんじゃないかと思う。

ルールダービーでのゴールは、そういった声を黙らせるには十分な一撃だった。
そしてサポーターの心を掴むのにも十分すぎるものだった。

当時の思い出として、本当にこのルールダービーを境に真司を取り巻く環境や周りの扱いが大きく変わったことを、画面越し・メディア越しではあるが感じることが出来たなと。
セレサポにとってもガンバとのダービーマッチ“大阪ダービー”はとても重要な試合だと思うが、ヨーロッパの人たちのダービーマッチに懸ける思いや情熱と言ったらその比じゃないというか。もう人生そのもの、生きるか死ぬかの戦いなんだなと。そこで結果を残して自チームを勝利に導いたのだから、そりゃ試合翌日から英雄扱いにもなるわなと、改めて感じた。

そんなルールダービーもあって早速チームに欠かせない存在となった香川真司。そして真司だけでなく、この年のドルトムントは全てがバチっと噛み合ったような、絶好調なシーズンを過ごし首位を快走する。この時期のドルトムントは特徴的な戦い方をしていて、それがハマった。

その戦い方こそが、いわゆるゲーゲンプレッシングやストーミングと言われるような類のもの。これは、前線からどんどんプレスを掛けていき、奪ったら一気にシュートまで持ち込むというようなスタイル。相手にボールを持つ隙を与えず、そしてボールを失ったら陣形を整える隙を与えず、素早くシュートまで持ち込んでしまう。

この戦い方でリーグを席巻した。

そして4231の2列目真ん中に入る香川真司が、この戦術にピッタリとフィットした。真司の献身性、素早い切替、アジリティ、絶妙なポジショニング、抜群のボールタッチはこのときのドルトムントに最も欠かせないものと言っても過言ではなかった。

前半戦で大活躍を見せた真司は、2011年1月に行われたアジアカップへ日本代表として参戦。日本は優勝を果たしたが、残念ながら真司は骨折をしてしまい、シーズン後半戦を棒に振ることになる。

真司不在の中でもチームは勢いそのままブンデスリーガを制覇。これがドルトムントにとって9年ぶりのリーグ制覇だった。個人的に、この年のドルトムントにいた選手は本当に魅力的で、今も大好きな選手ばかりだ。ロマン・ヴァイデンフェラー、ネヴェン・スボティッチ、ケヴィン・グロスクロイツ、ヤクブ・ブワシチコフスキなど…全員の名前を挙げたいくらい。

翌2011-12シーズン、前年ボランチのレギュラーであったヌリ・シャヒンがレアルマドリーへ引き抜かれると、この穴埋めに苦戦したこともあってチームは低調なスタート。内容的にも苦しい試合が続いていく。
しかし冬を迎える前には調子を取り戻す。シャヒンの穴は、新加入のイルカイ・ギュンドアンが埋めた。このギュンドアンという選手、後にマンチェスターシティやバルセロナにも在籍することになるが、真司の大親友の一人だ。
復調を果たしたドルトムントはこのシーズンもリーグ制覇し連覇を達成。それだけでなく、ドイツ国内カップ戦であるDFBポカールをも制覇し、クラブ史上初の2冠達成となった。

香川真司はこのシーズン限りでドルトムントを退団し、イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドへ移籍を果たす。今はどっぷり暗黒期に浸かっているユナイテッドだが、当時のユナイテッドは紛れもなく世界最強クラブの一角だった。つまりこの移籍はステップアップ。大出世だった。

ドルトムントへの復帰

ユナイテッドで2年を過ごしたあと、残念ながら構想外の扱いを受けてしまった真司は古巣ドルトムントへの復帰を選択。2014年8月31日、移籍市場締切当日での移籍だった。

しかしこのシーズンのクロップ・ドルトムントは絶不調。エースであるロベルト・レヴァンドフスキが移籍した穴を埋めきれない、また主力選手に故障者が相次ぐ、更にはクロップによるゲーゲンプレッシング戦術が次第に通用しなくなるなど、複数の要因が絡んでチームはなんと最下位で前半戦を折り返した。
後半戦は何とか盛り返しEL圏内フィニッシュ。時代の終わりを感じたのか、真司の恩師であるクロップはこのシーズン限りで監督を退任した。

翌2015-16シーズンはチームも真司個人も復活。トーマス・トゥヘル新監督の下で戦術面に磨きを掛けると、攻撃陣が爆発。この年の前線に並んだアタッカー4人(ピエール・オーバメヤン、マルコ・ロイス、ヘンリク・ムヒタリアン、香川真司)はファンタスティック・フォーと呼ばれ、リーグを席巻。リーグ制覇こそならなかったが2位で終え、復活を印象付けた。

しかし翌2016-17シーズンにはまたしても変化が。主力が複数退団したことや、トゥヘルと一部選手の関係が悪化したことなどからチーム状態はなかなか上向かず、リーグ戦は3位に終わる。DFBポカールこそ制覇したものの、この時には既にトゥヘルの退任は既定路線で、試合の様子を見ていても監督の求心力がなさそうな感じが伝わってきて、なんとも微妙なシーズンだった。

このトゥヘル退任が、ドルトムントというチームにとって、その後の歩みを語るうえで一つの(決して良い意味ではない方向で)分岐点だったと思うし、香川真司とドルトムントとの関係性を考えたときにも、このトゥヘル退任によって双方の関係が終わりに近づいたのかなと思っている。あくまでも個人的に、ではあるが。16-17シーズンは負傷もあって絶対的なレギュラーではなかったものの、それでもトゥヘルの真司に対する起用法は外から見ている限りだと信頼を感じさせるものだったと考えているからだ。内から見たらどうなのかは、分からないが…。

2017-18シーズンは新監督にピーター・ボスを招聘。しかしボス政権下でチームは低迷し、途中解任。後任にはペーター・シュテーガーが招聘される。(この両名、海外サッカーをあまり見ない方にとってはピンとこないかもしれないが、特にブンデスファンからすればお馴染みの名前だ)。シュテーガー監督の下で何とか建て直したものの、なんとかCL圏に滑り込む4位に終わり、シュテーガーは退任。真司はどちらかというとシュテーガー体制の方が出番を得ていた印象だ。

2018-19シーズンはリュシアン・ファブレ新監督が就任。このファブレによって真司は完全に構想外の扱いとなってしまい、ほとんど試合に出ないまま冬の移籍市場でトルコのベシクタシュへレンタル移籍。半年後にドルトムントへ復帰するもそこに居場所はなく、スペイン2部のレアル・サラゴサへと完全移籍し、真司とドルトムントの旅は終わりを迎えた。

若手発掘に長けたクラブ

元はと言えば香川真司もそうだったように、ボルシア・ドルトムントは「若手を発掘し、育てて売る」のが得意なクラブだ。だが一方で決して育成さえすれば結果は求めない、というようなことはなく、国内での成功はもちろんヨーロッパの舞台でも成功を求められるクラブだ。そう考えるとセレッソが今目指しているクラブの姿に、少し似ているかもしれない。

ドルトムントが育ててプレミアやラ・リーガなどのメガクラブへと羽ばたいた選手は挙げるとキリがない。

獲得年 → 選手名 → 移籍先の順
2011年 イルカイ・ギュンドアン  (後にマンC、バルサ)
2013年 ヘンリク・ムヒタリアン  (後にマンU、アーセナル、インテル)
2013年 ピエール・オーバメヤン  (後にアーセナル、チェルシー)
2016年 クリスティアン・プリシッチ(後にチェルシー、ミラン)
2016年 ウスマン・デンベレ    (後にバルサ、PSG)
2018年 アクラフ・ハキミ(レンタル)(後にレアル、インテル、PSG)
2018年 ジェイドン・サンチョ   (後にマンU)
2018年 アブドゥ・ディアロ    (後にPSG)
2018年 マヌエル・アカンジ    (後にマンC)
2019年 アーリング・ハーランド  (後にマンC)
2020年 ジュード・ベリンガム   (後にレアル)

面白いのが、一概に「育てて売る」と言っても色んなパターンがあることだ。
香川真司のように正真正銘の無名選手を発掘したかと思うと、ハキミはレアルからのレンタル移籍だったし、サンチョはマンCユースから引き抜きで、ハーランドはザルツブルグ時代に既に次世代の怪物との呼び声が高かった選手。絶対的なレギュラーだった選手もいれば、ドルトムント内では必ずしもレギュラーでなかった選手もいる。そういう色んな選手が、次のステップアップ先としてドルトムントを選ぶし、またメガクラブたちがドルトムントの選手を買っていく。この好循環はなかなか作れるものではない。

若手選手が次々に成長していく様子は見ていて本当に面白いが、同時に苦しい部分もある。こういう方針を持っている以上、選手の入れ替えはどうしても激しくなって、安定して戦力を保持するようなチーム作りは難しくなるからだ。

最近だとハーランドやベリンガムは、一目見た瞬間からそれとわかる怪物だったが、それはすなわち「2~3年したらいなくなる」ことが確定するのと同じで、嬉しさ半分・悲しさ半分といった感じだ。

でも、若手が育ち旅立って行く過程を見るのもドルトムントを追いかける楽しみ、ひいてはブンデスリーガを追いかける楽しみであることも事実。

ブンデスリーガでは、バイエルンを除いて多くのクラブが「育てて売る」側のクラブ。逆にプレミアリーグなんかは、たとえ下位クラブであっても他リーグに比べたら財政的なアドバンテージを持っているので、平気で他所から即戦力を引き抜いてくる。

これがブンデスリーガの難しいところでもあり、魅力的なところ。また、日本国内で人気がそれほど上がらない理由でもあるだろう。外から海外サッカーを見る我々としては、やはりスターが集うプレミアの方が見たいと思うのは当然かもしれない。

でも先述したようにそんなこと憂いても仕方ないので、これを機にもし需要があれば、さらに掘り下げてブンデスリーガとはどんなリーグなのかについて、ザックリと書いていきたいと思う。

あとドルトムントの選手についても、こんな選手がいますよっていうのを書いていきたい。

なかなかブンデスリーガの露出が少ないから、自分に影響力なんてないのは分かっているがそれでもこの機会に色々書きたいw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?