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「シン」の系譜2-5

流行語になった新

 欧米化を進める「文明開化」や「殖産興業」などが一段落すると、世の中のさまざまな革新に対して、より成熟した解釈がなされるようになった。とりわけ45年間続いた明治時代が終わって大正時代が始まると、明治時代の社会や世相などを総括しようとする文章が相次いで書かれた。人びとが「新」に振り回されてきたことを批判的に取り上げ、反省をうながした意見もかなり見受けられる。「新」なるものとは要するに「流行」であり、踊らされてはならないとする提言が目につく。
 日本の経済学を開拓した経済学者として知られる福田徳三は、大正デモクラシー期に吉野作造とともに黎明れいめい会を組織し、民本主義の啓蒙に努めた。その著『黎明録』(大正8年、1919刊)に収められた一文「新社会とは何ぞや」は、もともと知人が創刊した雑誌『新社会』に寄稿した文章だった。喜ばしい創刊とした上で、福田は近年の「新」に言及する。日本では「新の字」をつけることが「一種の流行」で、「新しい女(雑誌『青鞜』が主張した女性像)」だとか「新日本」「新教育」だとかいう。
 また福田によれば、日常語の「新社会」は不満の残る「旧社会」との対比で理解されてきた。しかし一時代前の「旧社会」もまた、それ以前の「旧社会」にくらべれば、かつては「最新の社会」だった。「社会は絶へず進化発展してまぬもの」だから、「新旧」を区別する基準がどこにあるのか疑わしいと評している。伝統的な「旧」と「新」の構図は、もはや崩れつつあった。
 「新」の行き過ぎは、否定的に受け止められることも多々あった。岩村透『美術と社会』(趣味叢書・第12編。大正4年、1915刊)には、「新華族、新平民、新縮緬、新ダイヤ、新の字のつくものに、碌なものなく、悉く、模倣の意味で用ゐらる」と出ている。自称「新」は、旧来のものの模倣や偽物に過ぎないと酷評している。本書に限らず、新語の「新平民」については批判的な声が多く寄せられていた。江戸時代までは「(穢多)非人」と称されていた人たちが、明治時代になっていわゆる「四民平等」の名のもとに、「新平民」の呼称が与えられ、皮相的と評されていた。
 教育者のわた章三郎の『国民道徳序論』(大正4年、1915刊)は、岩村の『美術と社会』と同じ年に刊行された。その一条(「新旧と善悪」)には昨今の「新」に関する詳細な考察があり、「古」との対比もくわしい。要所に原文を挟みながら、できるだけ忠実に再現してみる。
 いつの時代でも、どこの国にでも「新旧」の争いはあるが、近年とくに顕著になってきた。日本では、明治維新よりも前は「古」を理想として尊重する気風があった。「古道」「古学」「古義」「古意」「古風」「古流」「古礼」「古典」といったものである。「古い」という字をつけると、ある種の崇高な権威が漂い、不可侵の領域のようにも思われていた。「古の世、神代」などと言えば、理想的な社会のことを意味していた。単に「古人」といえば善良な人を意味し、「古老」や「老人」と言えば、尊敬すべき人と理解されていた。「老吏」「老舗」「老農」などは、信頼の厚いものと認識されてきた。「大老」「老中」「若年寄」など、官職名にも「老」の字が用いられてきた。
 ところが明治維新以後になると「西洋の新文明」が続々と輸入され、古いものは「旧弊」の名のもとに軽蔑され、「新しいもの」でなければ世に通用しないという「新風潮」ができた。「新発明」「新発見」「新思想」「新智識」「新文明」「新道徳」「新生命」「新生涯」「新時代」などと言えば、あたかも価値があるかのように思われた。「新著」「新版」「新案」「新形」「新意匠」「新式」「新流行」「新模様」「新機軸」などと広告しなければ、人びとの注目を引けなくなった。「ただの新」では物足りない心地がして、「斬新」「最新」「最革新」などと広告されるようになった。
 明治維新以降も、時には保守的な反動が生じて「新」と「旧」の争いが起こり、両者は一進一退の関係にあるが、大勢では「新」を尊ぶ方向に傾いている。明治末期ないし大正初期の頃から、さらに「新」を標榜する人たちが増えた。しばらく時間が経過したものは、ただ単に「古い」という理由で葬り去ろうとする風潮がある。とかく「古」を罵倒して「新」を掲げ、「現状打破」などと公言しておけば世間受けが良い。現代人の心は、「新」という字にとらわれやすい傾向があるから、改めて「新」の意義を問いただしてみたい、とある。
 亘理の考察は、さらに続く。要するに「新旧」が「善悪」の基準ではない。明治維新以後、「新旧文明の混乱」が大きかったときには「新」を理想とする傾向が強かったが、不健全なものや有害なものもあった。だからといって「古い」ものが良かったというわけでもなく、頑迷で偏狭なものもあった。総じて「新旧」どちらにも欠点があり、どちらにも長所があり、それらがあいって明治時代の「文明」が形成された。
 「新」も「旧」も、悪いものは悪い。良い方に目を向けた場合の「新」は、「改善」や「進歩」を意味する。「旧」は「確実」や「信用」を意味する。老人は「旧」を慕って若者は「新」を喜び、信心に篤い人は「旧」に安んじて理性的な人は「新」に乗り換える。また「閥閲ばつえつ(格式の高い家筋)」の人は「旧」を守ろうとし、それ以外の人たちは「新」を欲する。皆が皆そうだというわけではないけれども、その傾向がある。
 これらの相反する傾向を持つ人たちが実社会に雑然と同居し、双方の力関係から種々の社会現象が引き起こされている。時には混乱が生じ、保守的な状態が持続したり急激な改革が生じたりする。あるいは両者が程よく折り合って、「秩序ある進歩」がもたらされることもある。世の中はこのように変転しながら、時代のカラーを打ち出していく。「世俗の人多く古を尊んで今を賤む」時代もあれば、「人情フルきを去つて新しきに就く」時代もある。
 しかし「理想の眼」から見ると、その是非を識別できない。私たちは「新旧」の区別にこだわってはならない。両者の中から良いものを選ぶだけである。どちらか片方を尊び、もう一方を蔑む必要はない。ときには「新にして旧」なことも、「旧にして新」なケースもありうる。たとえば「明治維新」や「王政復古」の場合、「復古」は「維新」を意味した。とりわけ実社会では「旧」や「新」の名で通っているものの実態が、必ずしもその通りとは限らない、という。
 以上の議論をふまえた上で、亘理は最後に「新」と「真」の関係性に触れる。「真理は老いず」とか「真理は死せず」といった言葉があるように、「真理には新旧の区別はない」。「真理は古今を一貫して永久に不朽なものである」。だから「真理は最も古い」のと同時に「最も新しい」ものでもあり、「新旧」の区別ができるものは「真理」ではないともいえる。よって、ひとつの学説を発表するときは「新」と称するのも「旧」と称するのも任意に決めればよい。「新を好む時代」の風潮を利用して、自説に「新」の字を冠するのも一手である。あるいは「新を喜ぶ」人たちの機先を制して、あなたが「新」だと思っているものはすでに「陳腐」だとか、「真の新」はここにあるといった主張をするのも一手である。
 しかし、みだりに「新」を標榜して「新」だからこそ「真」なのだと見せかけようとするのは、卑劣な人のすることだ。いわゆる「新しい説」を聞く人も、その「新しい」にとらわれずに「真なるか否か」を吟味しなければならない。時には「新」という仮面の下に陳腐な「旧思想」が潜んでいることもある。要するに「新旧」ではなく「真理」についての議論が求められる。今日は競い合って「新」の名のもとにさまざまな事柄が発表されているから、注意しなければならない、と結んでいる。
 以上、亘理の文章を抜粋しながら引用してきた。当時の「新」や「新しい」の用法を細かく分析した上で、最終的には「新」だからこそ良いのではなく、その「新」なるものの良し悪しを判定する一段高い視点が必要としている。その一段高い視点になるのが「真」だと指摘されていた。現在の「シン」が形成される100年以上前に、このような議論も展開されていた。

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