全体講評を聞いて大切したい学ぶ姿勢

京都芸術大学秋学期3年次編入年の冬学期(つまりは入学して2学期目)は芸術史を6科目受講。
課題は全部、論述レポート。

全体講評の動画を見終えて、改めて学ぶ姿勢で大切だと思ったことについて書き留めます。


強い意図と決意

受講した先生のうち何人かは全体講評のお話の中で、
「点数の結果だけを見るんじゃないよ」と一言添えてくださる。

レポート課題の点数は、授業の理解度を図るものであって、
「課題に取り組んだ学生は、点数以外に既に多くの成果を手にしている」と。

新たな芸術作品との出会い、興味を持ったポイントから、レポートという表現以外で自分の表現を行っていくきっかけにもなると。

レポートでは、課題に沿ったことを書かないといけないので、
感じたことを自由に表現したかった学生にとって、先生からのこのような言葉は、少し自分たちの気持ちに寄り添ってくれてるように感じる。

大学のSNSの先輩の投稿を見ていると、
「点数を落としてでも自分が深堀りしたいことを表現することにした」
と書く人もチラホラ見かける。
それで実際に評価がSやAじゃなかった場合もあるし、それでも「Sをもらってびっくりした」とおっしゃっている人もいる。
どんな結果でも、結構そういう人からは清々しいエネルギーが感じられる。

一方、文句や言い訳を言いながらやっている人からは、もやもやしてる重いエネルギーを感じる。
しかし、そうやって悩みながら自分の核と本当に表現したいことに向き合う過程だとしたら悪いことではない。
(私もどちらかといえばこっちwすぐ言い訳探しそうになる。)

「ただ文字数を埋めるのに必死だった」と告白された先輩は、卒業できたけど後悔していると、おっしゃていました。
それは避けたいな。

自分がその科目にどう向き合いたいか、初めに明確な意図をもって取り組むことが、後悔しないコツのようだ。

私は半年で既に10科目の芸術史の単位を取得済みで、残りは3科目ほどの予定だが、芸術史では、

・芸術の基礎を学ぶ
・論理的思考を鍛える
・知らなかったことを知って視野を広げる

この3点を意図することにした。
「もっと自由に好きなことを書きたい」ってこの科目で足掻くと、ストレスが溜まるだけではなく、大学で学ぶ意味が薄れると気づいた。

他の科目で独創的に出てみようと思う。

次の学期が始まるまでの約2週間の過ごし方

今学期の学びが終わった時期から次の学期が始まる前に、もう次の学期の勉強を始めている方も多い。

そういう方から良い刺激をもらいつつも、心身健康に卒業までたどり着くには、マイペースさも大切だと思っている。

私はこの時期は、
論理モードを解除して身体でアートを堪能する時期にしている。

私は女性性が強いタイプなので、論理モードがすごいストレスで疲れる。
理路整然な表現から離れたくなる。
柔らかい言葉で脳と体を緩ませたくなる。

前学期に引き続き、ホテルに宿泊して夫にお疲れ様会をしてもらった。
ほんと、こうやって私を励まし支えてくれる夫に感謝。

ゆるゆる(だらだら)しながら、あと数日で来る成績結果を待つ。

他者を説得することと自分だけの真実を大切にすること

論述とは、根拠を示して、それに基づいて考察した報告書。
客観的な言葉で他者を説得しなければならない。

でも、誰に理解されなくても大切にしたい私にとっての真実がある。

そういうレポートでは表現しきれなかった自分が感じたことや、自分独自の視点の芽や感性を潰さないよう、いつか別の場所で表現できるように大切にしていこう。


ちなみに・・・

私はMBTIという性格診断では、INFP仲介者です。
仲介者は自分を偽ると、不安を感じる。自分らしさを大切にし、さらにクリエイティブに自己表現をする機会を切望する人。
https://www.16personalities.com/ja/%E6%80%A7%E6%A0%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?