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ウラニワさん。(暑中見舞いが来た日)


わたしが、
ウラニワさんと会ったのは、

わたしの髪がつやつやと黒く
今より、肌もみずみずしく、
顎のかたちが、すう、と綺麗で

でも、それをちっとも
うれしい、と思えず、

眠たいような一重瞼が
二重になったら、
すこしはマシになるのに、

と、そんなことを、まだ、
思っていたような時期だった。

短大を卒業し、

OLさん、と呼ばれる
事務員として、数年、働き、

変化の無い、
まいにちに安堵しつつも
ときどき、痒いように苛立ち、

今から思えば、

まだ、十分若いくせに、
どこか、すべてを諦めているような

しかし、一方で、

すべてを真っ白にして
なんだって始められる、と

根拠無く、思っていた、
そんな時期だった。


彼は、

世が不安定だからこそ、
需要がある、

そんな、我が職場の
《繁忙期》を乗り切るための
半年契約の臨時社員として、

わたしのいる課に、入ってきた。

腰が低く、愛想の良い
30代半ばの、よく働きそうな彼は、

実際、即戦力となり、

連日の残業、休日出勤に
疲れ切っていたわたしたちは、

彼を大いに、頼りにした。

『ウラニワさん、悪いけれど、
ひとっ走り、これを先方に届けてきて。
先方のファックスの具合が悪いらしくて
でも、どうしても午前中にこの書類に
目を通したい、と、おっしゃるから』

オモテは、梅雨時期の陰鬱な、
蒸し暑い雨が降っていて

わたしたちの誰も、
書類数枚のために、

朝、綺麗にカールした前髪や
おろしたてのストッキングを
台無しにしたくなかった。

『いいですよ、すぐに行ってきます。
戻りは、お昼ごろになりますから、
昼食などお入り用の方は、買ってきますよ。
オモテ通りのベーカリーに寄りましょうか?』

ウラニワさんは、このように
気が利いて、かつ、恩着せがましくない

喩えるなら、薫風にそよぐ
《若葉》のようなひとだった。


ウラニワさんは、
毎朝、溌剌と出勤し、

(眠そうな顔でやってきた日は無かった)

淡々と朗らかに働き、

日暮れ、疲れた様子も無く、
退勤していった。

残業をする日は、
持参した、青い湯呑みに
たっぷりとお茶を入れ、

(彼は、緑茶が好きだった。
ジブンで、お茶っ葉を
小さなジャムの瓶に詰めて
持ってきていた)

それを、ぐうっ、と
熱いまま、飲み、

それから、
背広の上着を、

(それは、綺麗なBlueだった)

椅子の背に掛け、

ワイシャツの袖を
綺麗にまくって、

『さて、もうひとがんばり』

と、同じく残業のため、
チョコレートを齧って
英気を養っているわたしに

にこり、と、微笑むのだった。

そんなとき、ウラニワさんの
茫洋とした、なんの個性も無いような
さっぱりとした顔だちが、

ふいに、雨上がりの
若葉のように、きらきらと輝くのだった。


瞬く間に半年が経ち、

ウラニワさんは、
会社から、請われて
契約を更新した。

そのとき、総務から

正社員にならないか?

という打診があったようだが、

彼は、断ったらしかった。


理由として、

《戻らねばならない場所がある》

と、ウラニワさんは
曖昧ながら、きっぱりと言い、

総務課長は、彼にはどうやら
複雑な事情があるらしい

と、察し、それ以上は
聞かなかった、と言う。



その後も、
ウラニワさんは、

決して《慣れる》ことをせず、

文字通り陰日向なく、
惜しまず、働いた。


誠実で、誰にも感じよく
細やか、なので、

取引先の居丈高な部長や
出入りのコピー機の修理屋さんにも

ニックネームをつけられるほど、
好かれていた。


そんなウラニワさんが
職場を去ることになった。

契約更新を、
彼自身がしなかったのだ。


『もう少しいたらいいのに』

『寂しくなるなあ』

他の課のひとまで、
ウラニワさんに言いに来たが、

結局、彼の意志は翻ることなく、

3月の終わりに《退職》
ということになった。




毎年のことだが、
事務室における
年度末の忙しさは格別だ。


皆で、がんばったつもりだったが、
案の定、急ぎの業務が出て

それを、3月最後の日曜日に
片付けねばならなくなり、

わたしたちは、また、

『どうしよう、デートなのに!』

『友人の結婚式に招ばれているのよ』

『両親と温泉旅行の予定なの』

と、さまざまに、予定を言いたてて
そもそも今、変更なんて…、と嘆いた。

室長も、その上司である課長も
休むのに、と、恨み節も出た。


それを聞き、ウラニワさんが

『わたしが出ますから、
皆さんはご心配なさらず』

と、朗らかに申し出た。


『日曜は、来客も無いし
電話も鳴りませんから
気楽なものですよ』

と、微笑んだ。


さて、その日曜日は、
朝から、きらきらと晴れて

まるで、4月の半ばのような
陽気となった。


わたしは、
アパートの洗面所で、
歯を磨きながら

さて、今日は
映画でも観に行こうか?

と、思っていたのに、

時計が、9時を回り、

いまごろ
ウラニワさんが出勤して、

さて、と、腕まくりをし、
帳簿や書類を出し、

作業を始めようとしている

と気づくと、ふい、と気が変わった。


ごはんを炊くことにした。


わたしは、地方出身の
OLの例に漏れず、
質素な暮らしをしているが、

世話焼きの兄嫁が、
農家である実家から、
毎月、送ってくれる米は、

米どころの一級品だ。

それを土鍋で炊いて、
熱々をきゅっ、と、塩で結んで

にぎりめしにして、

ウラニワさんの昼食に、
届けよう、と、

茹でたまごもつくり、

胡瓜を塩昆布で揉んで
即席の漬けものもつくり、

ジブンのと、ふたりぶん、
タッパーに詰め、アパートを出た。

若葉が、町のそこここで輝いていた。

青空が、甘くて、
地下鉄の階段を降りるまえには、
二度、深呼吸した。


事務室は、

本部と呼ばれる経理と社長室と
会議室を兼ねた大部屋を、通り過ぎ、

営業部の男のひとたちのデスクが並ぶ
縦長の部屋を抜けて、

紙のように軽いドアを開けたところにある。

トイレが近く、
給湯室の横で便利だが、

北に向いていて、どんな季節にも
どんな時間にも、青白い蛍光灯を
ちかちかと点けるような部屋だ。

とんとん、とノックをして、
返事を待たず、ドアノブを回した。

あっ、と声をあげた。

そこは、庭、だった。

古いが、誰かが
長年、手をかけて
お世話をしている、庭、だった。

薔薇のアーチに、
煉瓦で作られた花壇、
黒いアイアンのベンチに
麻の白布をかけられた小テーブル。

テーブルのそばには、
大きな椿の木があり、
一重の赤い花が咲いていた。

花壇のチューリップの蕾が膨らんでいる。
白、きいろ、ピンク、それに紫。


ベンチの近くには、
菫がたくさん、咲き、

庭の奥の木陰には、
クリスマスローズの俯いた花たちが
貴婦人の舞踏会、みたいに咲いている。

東には、ちいさな
ポタジェガーデンがあり、
そこには、春の菜っ葉たちが
軽やかにフリルを寄せている。

そのまんなかで、

ウラニワさんが
いつもの青い背広の上着を脱いで、

白ワイシャツの袖を綺麗に畳んで

インクがつかないようにしながら
書類の山を片付けていた。


『あれ? ニラヤマさん?
どうして、ここへ?』

『ウラニワさん、わたし、
事務室に来た筈なのに…』

ぽかんと口をあけ、
だだ突っ立っているわたしに

ウラニワさんは、はにかみながら、
秘密を打ち明けてくれた。

ウラニワさんは、実は、

或る老婦人が長らく愛している
家の裏にある《庭》で、

老婦人は夫を亡くしてからも、
気丈に、暮らしていたが、

昨年、転んで、大腿部を骨折し、
長らく入院をしたせいもあり、
だんだんと経済的に困窮し、

ウラニワさんは、
長年の恩返しに、
庭、であるのに
働きに出ることにした、

と、言うのだ。


『一年働いたので
だいぶん、楽になりましたよ。
アカリさんもすっかり元気になって
もう一度、書道教室をひらきますから、
なんとか、やっていけそうです】

アカリさんとは、
老婦人の名らしかった。

わたしは、事情を聞いても
尚、驚いていたが、

(そんなことが
ほんとうにある、なんて!)

しかし、なんやかやと
ややこしい質問をして、
時間を費やすより

この庭で、

ウラニワさんと
にぎりめしを食べるほうが
断然、たのしい、と気づき、

そうすることにした。

ウラニワさんは
とても、喜んで食べた。

熱い緑茶を淹れてくれ、
ふたりで、ふうふう、と
湯気を散らしながら、飲んだ。

ウラニワさんの青い背広は、

ウラニワさんの
《庭》らしからぬ決心を聞いた
アカリさんが、

捨てきれなかった
夫の若い時の背広を、
箪笥の奥から出して、

袖やズボンの丈を伸ばしたり、
サイズを詰めてくれたのだ、と聞き、

なぜか、それに触れたくなり、
ウラニワさんに許してもらって、

椅子の背にかけてあった上着を
肩にはおって、みた。

わたしは背が低いから、
ウラニワさんの背広が
青いワンピースみたいになった。


そのまま
くるくると、回ってみた。

『踊りましょう』

と、ウラニワさんが手を差し出した。

『いいわ、踊ったことないけれど
いまは、踊れる気がする』

『ええ、踊れます。
庭では、誰もが踊るのです』

と、ウラニワさんが言った。

わたしたちは、踊った。

鳥の囀りが、事務室の庭に
ふくらんで響いて、

そのあいだに、薔薇のアーチに
淡い桃いろの薔薇がみっつ、咲いた。


あの、三月のにちようびのことは、
二十年経った今も、誰にも話していない。

あれから、わたしは
あの事務室で、数年働き、

一度結婚して、
2年足らずで離婚し、

兄嫁から、帰ってきなさい、と
言ってもらい、

故郷の地方で、兄夫婦と暮らした。

わたしの両親は
早くに他界していたので、

兄夫婦が、親代わりとなって
働き口を世話してくれ、

町の公民館で、受付をしたり、
事務のようなことをしている。


恋をすることは、なかった。

どんなひとと出会っても、
ウラニワさんと踊ったあの日のような
自由に解き放たれたココロにはなれず、

一度の結婚で悟った、

嫁、とか、妻、とか、
の器に容れられる、と

真水に入れられた金魚みたいに
水底に沈んで、上がってこられなくなる

ジブンの弱さ(それは傲慢さでもある)に
心底、嫌気が差していたから、だ。


公民館は、夏が忙しい。

盆踊りなど、こども向けの
行事を、手伝ったり、

夏休みの宿題のための
ワークショップをひらいたり、

図書室に、課題図書を並べたり
と、やることはたくさんある。

そんな忙しさに、弾む心地になり、
青田を吹く風に、自転車を漕ぎ
帰ってきた明るい日暮れに、
それを見つけた。


ウラニワさんからの暑中見舞いだった。

懐かしい文字で、

『ニラヤマさん、お元気ですか?』

と、書いてあった。


葉書に書いてあったことを
兄嫁に話すと、とても驚いた。

『一度も会ったことのない方が
ユキちゃんに、家を譲りたいと遺言を?』

『そうなんです、94才で
この春に亡くなられたそうです』

『その方が、ユキちゃんに一軒家を譲る、と?
庭の手入れをすることを条件に?』

『そうらしい、です』

どうも合点がいかない、といった
厳しい表情の、兄嫁に

わたしは、あの日曜日のことを

臨時社員としてやってきた
ウラニワさんのことを

包み隠さず、打ち明けた。

兄嫁は、信じられない、と
言って、しばらく黙っていたが、

堪えきれなくなったのか、

くくくくっ、と
鳥が囀るように、朗らかに笑い、

『ユキちゃん、行きたいのね
ウラニワさんと暮らしたいのね』

と、わたしが握りしめている
ウラニワさんからの暑中見舞いを
もう一度見せて、と言った。

【あなたとなら、わたしは
しあわせな庭として
たくさんの生命を、これからも
育み、見送り、いける気がします。】


そこには、そう書いてあった。


兄嫁は、わたしに
青いいろのワンピースを縫ってくれた。

そして、『いきなさい』と言った。


それは、生きなさい、と聞こえた。


わたしはいま、夏の庭にいる。

ウラニワさんは、
たくさんの生命を
朗らかに抱えて、

(植物はもちろん、蝉もバッタも
蜜蜂も、みみずも)

庭しごとをするわたしへ

熱いお茶を、今日も
淹れてくれる。


fin


*********************


掌編集 ウィンターガーデンのこと


誰もいなくなった庭で、ときどき
植物たちと、こころで会話します。

それはとても、しづかな時間で、

町のアパートに住む、わたしは
こどものころに流れていた
密やかでたっぷりとあった、
時間を思い出します。


庭は、思いがけず
詩のような、掌編のようなものを
わたしに書かせてくれます。

それはとても、うれしいこと、です。


sio


*****************

noteを始めたのは、

父が倒れて、手入れをするひとが
いなくなった、

もともと荒れ果てていた庭を、

遠距離恋愛ならぬ、
遠距離園芸をしながら、

なんとか再生できたら、と

その過程を、再生できないにしても、

どこかに文字で、心のままに
自由に綴りたい、と思ったからです。

昨今のSNSは、だんだんと
文字の量が少なくなり、

写真、動画といったもので
表現する、ことが主流になってきた、

と、感じていて、

(Twitterはワンツイート
140文字の制限があり、

Instagramは、
写真がないと投稿できず、

庭で生まれる小さなハナシや
庭仕事の記録をするには、
少しく不自由でした)

長い文章を置ける場所として、
noteを選ぶことにしました。

マガジン、といって
文字通り、雑誌のように
記事をまとめられるのも、
わたしには、うれしかったです。

*************

いままで、庭で生まれたオハナシは
思いつくままに、気儘に、
ゆっくりと書いていましたが、

今回は、noteでご縁をいただいた
虎吉さんの、この企画に参加したく、


テーマに《暑中見舞い》を選び、

これでなにか書けたら、と、

ゆっくり
こころを動かしていたら、

ふっと、浮かんできて
書いてみたもの、です。


わたし自身、
庭しごとをするうちに、

庭を、ひとつの
穏やかな《生命体》のように感じ、

お世話をする一方で

わたしこそ、
包まれ、認めてもらっている

と、感じることがあり、

庭へ行かない日が続くと
元気が無くなるように
思う日が、ありました。


パートを終えて、
疲れた、帰り道、

恋人を思うように
庭の写真を見て、

バスに揺られながら、

性別も年齢からも
解き放たれた、

あの自由な場所に
飛んで行きたいなあ、

と、思う日暮れもあり、

そんな思いが、知らず
このオハナシに入り込んできた、ようです。


庭のぽんぽん百日草。
三月に種を蒔いて、いま、咲いてくれている。



🕯️オハナシを書くのは
意外に、時間がかかります。

働いたり、家事をしたり、

税金を払うため、
家計をやりくりしたり、

年金で暮らせるかしら?
などと、政局ばかりの政治に
未来を、思い煩っていると、

その時間がたっぷり取れなくて、

オハナシの種が芽を出すことなく
心のなかで消えていく、

そんなことも多々あります。

が、今回は、

虎吉さんの企画に参加する、
と言う、心弾む目的があり、

書き上げることができました。


虎吉さん、ありがとうございます。

****************


最後に独り言を、すこし。

リアルワールドでは

ウラニワさんに会ったり、

こんな暑中見舞いが
届いたり、は、

決して無い、と

わたしは、実は
思っていなくて、

大真面目に

在る、と、思って書いています。


特に、昨今の、

《お金効率生産性成長》
などというコトバが吠え合う

リアルワールドにこそ、

それらは、生まれ

それらを孤独に発見し、
それらと孤独に生きることを

朗らかに選択して
生きていきたい、と、思っています。


🕯️今回も、フォトギャラリーから、イラストをお借りしました。素敵なBlueが散っていて、こころがあたたかく涼しくなります。

ありがとうございます。 sio









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