電車のなかや出先では、
文庫本を読む。
夏はかならず、
水筒やペットボトルが
鞄に入っているから、
単行本を持ち歩くのは
かさばるし、重い。
家のなかでは、単行本。
移動先では、文庫本。
常に、2冊の本が必要だ。
いまは、出先では
村上春樹訳の
フラニーとゾーイを読んでいる。
フラニーが好きだ。
ここの箇所は、何度も読んでしまう。
《自分をまったくの無名にしてしまえる勇気》
を、わたしも持ちたい、と。
フラニーは、とても《綺麗な娘》で、
フラニーに久しぶりに再会した
ボーイフレンドであるレーンは、
同じような年頃の学生たちで
賑わうレストランで、
マティーニを飲みながら、
と、満足を感じている。
そんなレーンの心情を
フラニーは素早く目にとめて、
それを目ざとく
感知してしまったことに
罪の意識を覚えなくては、と
こころに決め、
それからの、
自分に課した
『純粋な聞き手としての役目を
全うするべし』という刑期は
既にしっかりつとめた筈だ
と、感じて、
『どうして?』
と、レーンに尋ねてからの
フラニーに起こったこと。
読みながら、わたしは
(ジブンが
フラニーになったかのように)
彼女が、化粧室へ向かうとき、
一緒にカラダが震えて、
ふらふらしてくる。
レーンは、正しい見かけの娘と
(彼女のカラダを包んでいた
毛足の短いラクーンのコートは
駅で彼を興奮させた)
時間を正しく
過ごすことが大切で
フラニーが読んでいる
巡礼の本のハナシなどは、
退屈だった。
(正しい娘は、そんなハナシはしない)
フラニー→正しい外見を持った娘。
では、正しくない外見を持った娘とは?
いま、読んでいる単行本
ジョン・アーヴィングの
《未亡人の一年 上》に、
エフィという娘が出てくる
エフィは、主人公ではなく、
かといって、重要な端役でもなく、
言ってみれば、
小説のなかを横切る、
ちいさな影のような人物だ。
が、わたしのこころには
とても、大きな存在として
入ってくる。
エフィについての記述を拾っていこう。
※テッドのまなざしからの描写が
ほとんどで、ある。
テッドについては、こちらの記事を
読んでくださるとありがたい⬇️
この、醜い友達こそ、エフィである。
テッドは、グローリーと、
グローリーの母親(マウンツィアー未亡人)を
同時に誘惑し、陥落させる。
その詳細は、本のなかには
書かれていない。
が、突如、こんなエピソードが
違う章に出てくる。
しかし、このエピソードに
エフィは、一文字も出てこない。
が、たった数十分で、
テッドを嫌いになり、
テッドを見抜いていたエフィが
この後、どれだけ傷ついたか、は
想像に難くない。
エフィ。
正しい外見を持たなかった娘。
彼女には、前途有望なレーンも
見向きしなかったろう。
さて、ダイエットである。
わたしは、このごろ、
正しく食べること、が
出来てきたように、思う。
生きる悲しみや、
井戸に放り込まれるような
自尊心の低下や
果てしない行き場の無さに、
食べることを
利用しなくなってきた。
食べる、は、
楽しみ、ではあるが
大半は、
生命を維持することために、
肉体に必要な栄養を摂ること
が、大切な役割である。
ダイエット開始して
2ヶ月近く、
わたしは、
カフカくんのような食事を
用意して食べるようになってきた。
そして、
こんな食事こそ美味しいと、
思うようになってきた。
運動も、カフカくんを倣って
カラダを整え、休ませるため、
また、自尊心の維持のため、
ゆるく続けている。
⬇️ 詳しくは、こちらの記事を
読んでいただけるとありがたい。
見た目に、体がすこしく、
柔らかく引き締まってきたので、
9月頭には、体重など
計ってみたい、と、思う。
わたしは、夢見る。
エフィが、内側そのままに
《正しい外見の娘》となり、
テッドの前に現れ、
彼に標的とされ、
彼を撃墜する、そんな世界を。