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Blue植物化❻フラニーとエフィ、正しい外見の娘と醜い太った友達、レーンとテッドの巻



電車のなかや出先では、
文庫本を読む。

夏はかならず、
水筒やペットボトルが
鞄に入っているから、

単行本を持ち歩くのは
かさばるし、重い。

家のなかでは、単行本。
移動先では、文庫本。

常に、2冊の本が必要だ。

いまは、出先では

村上春樹訳の
フラニーとゾーイを読んでいる。

フラニーが好きだ。

『私はただ、溢れまくっているエゴにうんざりしているだけ。私自身のエゴに、みんなのエゴに。どこかに到達したい、何か立派なことを成し遂げたい。興味深い人間になりたい、そんなことを考えてい人々に、私は辟易しているの。そういうのって私にはもう我慢できない。実に、実に。誰がなんと言おうと、そんなのどうでもいいのよ』

フラニーとゾーイ
J.D.サリンジャー
村上春樹訳
新潮文庫 p51


『自分をまったくの無名にしてしまえる勇気を持ちあわせていないことに、うんざりしてしまうのよ。なにかしら人目を惹くことをしたいと望んでいる。私自身や、あるいは他のみんなに、とにかくうんざりしてしまうの』

フラニーとゾーイ
J.D.サリンジャー
村上春樹訳
新潮文庫 p52



ここの箇所は、何度も読んでしまう。

《自分をまったくの無名にしてしまえる勇気》

を、わたしも持ちたい、と。

いちにちだけの夏休み。
コーヒーフロートとレモンスカッシュ。



フラニーは、とても《綺麗な娘》で、

フラニーに久しぶりに再会した
ボーイフレンドであるレーンは、

同じような年頃の学生たちで
賑わうレストランで、

マティーニを飲みながら、

自分は今一点の曇りもなく見事な外見を持った娘と一緒に、正しい場所にいる(誰にも文句のつけようがあるまい、と彼は確信していたに違いない)。彼女はとび抜けて綺麗なだけではなくーなんといってもこれが重要なのだがーお決まり定番の、カシミヤのセーターにフラノのスカートと言う格好をしてはいない。

フラニーとゾーイ
J.D.サリンジャー
村上春樹訳
新潮文庫 p24

と、満足を感じている。

そんなレーンの心情を
フラニーは素早く目にとめて、

それを目ざとく
感知してしまったことに

罪の意識を覚えなくては、と

こころに決め、

そして、その結果、それに続くレーンの長話を熱心に傾聴する(ふりをする)と言う罰を、自らに宣告した。レーンは、かれこれ十五分かそこら会話を独占し続け、それでようやく調子が出てきて、自分の口にすることにもはや誤謬はないと決めた男の喋り方になっていた。

フラニーとゾーイ
J.D.サリンジャー
村上春樹訳
新潮文庫 p24

それからの、

自分に課した
『純粋な聞き手としての役目を
全うするべし』という刑期は
既にしっかりつとめた筈だ

と、感じて、

『どうして?』
と、レーンに尋ねてからの

フラニーに起こったこと。



読みながら、わたしは

(ジブンが
フラニーになったかのように)

彼女が、化粧室へ向かうとき、

一緒にカラダが震えて、
ふらふらしてくる。

レーンは一人テーブルに残され、そこに座ったまま煙草を吸い、フラニーが戻ってきたときに、グラスが空になっていないように、ちびちびとマティーニをすすった。つい半時間前に彼が感じていた、自分は最高にうまくやっていると言う感覚ー自分は、正しい場所に、正しい娘と、あるいは正しい見かけをした娘と一緒にいるという感覚ーがそっくり消えてしまったことは明らかだった。

フラニーとゾーイ
J.D.サリンジャー
村上春樹訳
新潮文庫 p38


レーンは、正しい見かけの娘と

(彼女のカラダを包んでいた
毛足の短いラクーンのコートは
駅で彼を興奮させた)

時間を正しく
過ごすことが大切で

フラニーが読んでいる
巡礼の本のハナシなどは、

退屈だった。

(正しい娘は、そんなハナシはしない)


フラニー→正しい外見を持った娘。

では、正しくない外見を持った娘とは?



いま、読んでいる単行本

ジョン・アーヴィングの
《未亡人の一年 上》に、

エフィという娘が出てくる


エフィは、主人公ではなく、
かといって、重要な端役でもなく、

言ってみれば、
小説のなかを横切る、
ちいさな影のような人物だ。


が、わたしのこころには
とても、大きな存在として
入ってくる。


エフィについての記述を拾っていこう。


※テッドのまなざしからの描写が
ほとんどで、ある。
テッドについては、こちらの記事を
読んでくださるとありがたい⬇️



ほとんど女になりかけのきれいな少女は、思いがけず、テッドに声をかけられたので、驚いて黙りこんでしまった。そしてみるみる赤くなった。血と消防車のあいだぐらいの赤だった。彼女の友達がーはるかに不細工で、わざとばかっぽく見せているー鼻を鳴らしてくすくす笑いはじめた。きれいな少女の側に醜い友達がいたことに、それまでテッドは気づいていなかった。おっ、いいなというルックスの、いかにも簡単にものにできそうな若い女性のそばには、つねに間抜けで魅力のない奴がいて、まずはそいつと闘わなくちゃならない。そういうものでは無いだろうか?

未亡人の一年 上
ジョン・アーヴィング
新潮社p191より


この、醜い友達こそ、エフィである。



「こんにちは」きれいな少女は何とかやっと挨拶を返した。洋ナシのような体型の醜い友達はがまんできず、きれいな少女がいやがるのもかまわずに言った。「この子、一年のとき、英文学の学期末レポート、あなたについて書いたんですよ!」「黙ってて、エフィ!」きれいな少女は言った。ってことは大学生か、テッド・コールは思った。

未亡人の一年 上
ジョン・アーヴィング
新潮社p191より


本屋からファーストネック通りにあるグローリーの家まで、歩いてもそれほど遠くなかった。だが、大学生の少女をそれとなく、口説きつづけたテッドは、洋ナシのような体型をした、グローリーの哀れな友人の無礼な質問によって何度も妨害された。(中略) この悲惨なほど魅力のない少女は、テッド・コールの作品における恐怖の原始的象徴について、学期末レポートを書いてはいなかった。彼女は非常に醜かったが、エフィのほうがグローリーよりはるかにまともだった。エフィはまた、テッドよりもはるかにまともだった。実際、この太った少女には、洞察力があった。エフィは賢明にも、少しいっしょに歩いただけで、この有名作家が嫌いになりかけていた。グローリーを口説こうとしているテッドの努力も、エフィははっきり見抜いていた。

未亡人の一年 上
ジョン・アーヴィング
新潮社p201より



テッドは、グローリーと、
グローリーの母親(マウンツィアー未亡人)を
同時に誘惑し、陥落させる。

その詳細は、本のなかには
書かれていない。


が、突如、こんなエピソードが
違う章に出てくる。

だが、いまだこの家に漂う悲劇を追い払うには、壁紙を換え椅子を張り替えるだけでは足りなかった。マウンツィアーという名の未亡人がこの敷地内で自殺したのは、それほど前のことではなかった。この地所は彼女のたった一人の子どもーまだ大学に通っていた娘によって即座に売りに出された。母親が死んだとき、この親子は不仲だったと言う話だった。

未亡人の一年 上
ジョン・アーヴィング
新潮社p279より


しかし、このエピソードに
エフィは、一文字も出てこない。


が、たった数十分で、

テッドを嫌いになり、
テッドを見抜いていたエフィが

この後、どれだけ傷ついたか、は
想像に難くない。


エフィ。
正しい外見を持たなかった娘。


彼女には、前途有望なレーンも
見向きしなかったろう。


日暮れのおやつ時間。
アップルティーとクレープ



さて、ダイエットである。


わたしは、このごろ、
正しく食べること、が
出来てきたように、思う。

生きる悲しみや、

井戸に放り込まれるような
自尊心の低下や

果てしない行き場の無さに、

食べることを
利用しなくなってきた。

食べる、は、
楽しみ、ではあるが

大半は、

生命を維持することために、
肉体に必要な栄養を摂ること

が、大切な役割である。


ダイエット開始して
2ヶ月近く、

わたしは、
カフカくんのような食事を
用意して食べるようになってきた。

そして、
こんな食事こそ美味しいと、
思うようになってきた。


運動も、カフカくんを倣って

カラダを整え、休ませるため、
また、自尊心の維持のため、
ゆるく続けている。


⬇️ 詳しくは、こちらの記事を
読んでいただけるとありがたい。




見た目に、体がすこしく、
柔らかく引き締まってきたので、

9月頭には、体重など
計ってみたい、と、思う。


カフカくんも気に入りそうな定食屋さん。
栄養士さんが献立を作っている。



わたしは、夢見る。


エフィが、内側そのままに
《正しい外見の娘》となり、

テッドの前に現れ、
彼に標的とされ、

彼を撃墜する、そんな世界を。


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