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Blue植物化❷ 死後の世界を具体的に想像してみる。

いずれにせよ、僕はもう一度「走る生活」を取り戻している。けっこう「まじめに」走り始め、今となってはかなり「真剣に」走っている。それが五十代後半を迎えた僕に何を意味することになるのか、まだよくわからない。おそらく何かを意味しているはずだ。

走ることについて語るときに、僕の語ること 
村上春樹 文春文庫p 40より



今回、Blue植物化を
目指すにあたって、

読み返したい本の《いちばん》は
これ、だった。

走る小説家、としても知られる
ハルキ・ムラカミが
50代後半に、綴ったもの。

僕は、今、五十代の後半にいる。二十一世紀などというものが実際にやってきて、自分が冗談抜きで五十代を迎えることになるなんて、若いときにはまず考えられなかった。もちろん理論的にはいつか二十一世紀は来るし、(なにごともなければ)、そのときに僕が五十代を迎えているというのは自明の理なのだが、若い時の僕にとって五十代の自分の姿を思い浮かべるのは、「死後の世界を具体的に想像してみろ」と言われたのと同じくらい困難なことだった。

村上春樹
走ることについて語るときに、僕の語ること
文春文庫 p35より




この本をはじめて読んだとき、
わたしは、30代後半だった。

ハルキ・ムラカミが書いたように
その頃のわたしも、

『あと、20年経ったら』

と思っても、

それは
数色のインクを落とした、温い水を
上から観るように、

ぼんやりとした
イメージしか、湧かなかった。


まさに、死後の世界を
想うような心地だった。


しかし、記憶の層に
潜ってみて、思い返すと、

わたしはすでに21才の頃、

40才を過ぎた、ある男性から、

『あなたが40才となったら
どのように生きますか?
まだまだ、わたしはおんなだ、と
恋をしたりしますか?』

と、質問され、

『そのころには、
植物みたいになっていたいな。
もはや、別の生命体として、
淡々と飄々と、生きていたい。
40才を過ぎたら、それができそう』

などと、

つまりは、《死後の世界》を
どうやって生きるか、

ヘンテコではあるが、
具体的に考えよう

と、したことがあった、のである。


その男性は、
わたしの言葉を聞くと

『大変、おもしろい』

と、クラシックギターを弾く
きれいな指で、眼鏡の金具を押し上げた。


『実は、ぼくの奥さんは、
40才になるのが辛い、と
泣くのです。10代の頃から
馴染んで、大好きだったジブンが
すこしずつ、遠ざかっていくようだ、と
悲しむのです』

そのひとの奥さんは、

華奢なカラダ付きの
バンビのような顔立ちの、
量の少ない、まっすぐな髪を
肩に垂らして、片方を耳にかけた

美しいひと、だった。


前歯が少しだけ、出ていて
それが、とても、
コケティッシュだった、

と、思われる口元で、

薄化粧だったから、
いつも、鼻から頬にある
そばかすが、見えた。

痩せているせいか、
顔の皮膚も、薄く、

とびきりの笑顔をすると
鼻に、ぎゅっ、と細かな皺が寄った。

でも、それも美しかった。

『彼女は、37才で
思いがけず、妊娠して
こどもを産んだから、
いろいろ急に変わって、
それも、辛いのかもしれない』

と、そのひとは
独り言のように言い、

『変な質問に答えてくれて
ありがとう』と、頭を下げ、

太りぎみの、丸いお腹を撫でた。

そのひとは、この数年で、
10Kg程、太ってしまった、らしかった。

『中年っていうのは、
姿が変わっていくんだな。
頭髪も、すっかり薄くなって
肌艶も悪くなって、顎は垂れて、
だんだん、薄汚くなってきたよ。
ぼく自身は、変わったつもりは無いのにね』


その夜、わたしは、
そのひとに、大判焼きを奢ってもらい、

アルバイト先のカウンターの隅で
もぐもぐ食べた。


しかし、まず、
40才まで、どう生きたらいいか?
が、わたしにはワカラカイ

と、ふいに発見し、大判焼きが、
胸に詰まるよう、だった。



あの夜は、昨日のように思える。


が、もう30年以上、経ってしまった。


クラッシックギターを弾くひとと
そのひとの奥さんとは、

大学を卒業して、
アルバイトを辞めてから

一度も会うことはなかった。


よちよち歩いて、可愛かった娘さんが
もう、大人の女性になっている筈である。


なんとなんと、
わたしも、年を取ったわけだ。


体調も順調に落ち、顔つきも少しスッキリしてきた。自分の身体がこうして変化していくのを感じとれるのは、良いことだ。ただし若いときよりは変化に時間がかかるようになった。一ヵ月半でできたことが、三ヶ月かかるようになる。運動量と達成されたものごととの効率も、目に見えて悪くなってくる。しかしそれは仕方ない、あきらめて、手に入るものだけでやっていくしかない。それが人生の原則だし、それに効率の善し悪しだけが我々の生き方の価値を決する基準ではないのだ。

村上春樹
走ることについて語るときに、僕の語ること
文春文庫 p78より




さて、ダイエット、である。

わたしの年齢、身長、体重で
いちにちの基礎代謝量を調べてみると、

おおよそ、1200キロカロリーで
あることがわかった。

なので、食事はいちにち、
それを少し越える範囲で、
なるべく収めることにする。

糖質制限などは、特にしない。
プロテインなども、今は摂取しない。

なぜなら、普通の食事をしながら、
痩せると言うのが、長いスパンで考えると、
実はいちばん楽だからだ。

参考書としては、
こちらの本を、パラパラとめくって。

糖尿病の方のためのメニューブックは
主菜、副菜の組み合わせの栄養バランスがよく
一食のカロリーも400キロカロリーから
600キロカロリーで、参考にしやすい。
調味料の使い方も控えめで、良い。




運動は、毎日やることにする。

しかし、突然ジムに入会したりはしない。

*朝晩のストレッチ
*自分の体の重さで負荷をかけて、の
部位別の、筋トレ
*食後のウォーキング

などを、こつこつと継続する。

これまでの三ヶ月は「とにかく距離を積み上げていこう」ということで、むずかしいことは考えず、徐々にペースを上げながら、日々ひたすらに走ってきた。総合的な体力の土台作りをしてきたわけだ。スタミナをつけ、各部の筋力をアップし、肉体的にも心理的にもはずみをつけ、志気を高めていく。そこでの重要なタスクは、「これくらい走るのが当たり前のことなんだよ」と身体に申し渡すことだ。「申し渡す」というのはもちろん比喩的表現であって、いくら言葉で言いつけたところで、身体は簡単に言うことを聞いてくれない。身体というのはきわめて実務的なシステムなのだ。時間をかけて、断続的に、具体的に苦痛を与えることによって、身体は初めて、そのメッセージを認識し、理解する。その結果、与えられた運動量を進んで(とは言えないかもしれないが)受容するようになる。そのあとで、我々は、運動量の上限を少しずつ上げていく。少しずつ、少しずつ。身体がパンクしない程度に


村上春樹
走ることについて語るときに僕の語ること
文春文庫 p79



この引用は、ハルキ氏が
ニューヨーク・シティー・マラソンに
出場するため、調整しているときの
文章だから、

わたしの行うささやかなダイエットのための
運動量などは、比べものにもならないのだが、

それでも、とても共感する。

わたしも、54歳の、初老の身体に
いろいろ、『申し渡し』ながら、

7月8月と、過ごし過ごす、予定だ。



ちなみに、わたしが
なりたい植物化のイメージは、

ジギタリスさん。

ちいさな白いジギタリスさん。




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