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summer festivalの日。


2023.6.25

父は、大工道具を持って
ナニカヲツクル、が
得意なひと、だった。

設計図を描き、それに沿って
木材を切り、釘をまっすぐに打ち、

ナニカを作るのが好きだった。


といっても、

仕事がとても忙しかったので、
やりたい気持ちがあっても、出来ず、

定年ごろから、ようやく

わたしの娘たち、

つまり、孫へ、
いろいろ、つくってくれた。

おままごと用の椅子や
ぬいぐるみ用の荷車、
ドールハウスみたいなもの、

なかなかに、凝っていた。

(今も、そのいくつかは
わたしのアパートにある)


きょう、
納屋で、ふと見つけたのは

父が、古いアイロン台の脚を
再利用して作った
折りたたみ式のテーブルだった。


娘たちが、夏や冬の帰省時に

向かい合って
絵を描いたり、おやつを食べたり

していた、そのテーブルは

水しみ(ジュースをこぼしたりした)や、
クレヨンのかすかな色、なども

あの頃のまま、だった。


埃を拭い、
庭へと運んでみれば、

庭でのおままごと、を
やってみたくなった。

見回せば、

ヤマモモの実が、赤く
色づいている。


いくつか、摘みましょう。

柏葉紫陽花の花の穂先を
優しくちぎって、

妖精サラダをつくりましょうね。

アナベルの花は、綿菓子。

妖精さんたちの好物よ。

白い布も敷いてみた。
6月は白い月だから。



誰かに見られたら、

あのひとはどうかしたのかしら?

と、思われるかもしれない。


でも、こんなことを入り口にして

思い出の国、に、
ひととき、往って、

過ぎ去った時間の眩しさを
もう一度、味わう、のは

悪くない、そう、ワルクナイ。

娘ふたりをつれて
新幹線で帰省した夏休み。

この庭で、
過ごした《時間たち》を

遠く、絵画を見るように、眺める。



わたしはあと、
どれくらい生きるかしら。

でも、もう、
あの眩しさは、訪れない。


父も、この庭で、

亡くなった妻や

もう、あまり
庭に訪れたくなった
成人した孫娘たちを、

あのころの姿のままに
思い出したり、したのかしら。

庭とふたりで。



わたしは、昨年
summer festival
という、小さなオハナシを書いた。


それと、同じようなことを
きょう、またやっている。

わたしは、いつまでも、わたし。

カワレナイ。

でも、それも、ワルクナイ。


ジギタリスさんの白。




父が倒れた秋、の、すこしまえ
つまりは、2年前の夏の或る日暮れ、

父は、わたしがこしらえたつまみを
前に、たくさん酒を飲んでいた。


30年40年も前の、
昔のハナシばかりをするので、

すこしく、意地悪な気持ちで、

もう一度、戻れるとしたら、
どんな時間に往きたい?

と、聞いた。

父は、会社で働いていたころの

同僚や部下との、
おおきな仕事を終えた
そのあとの、飲み会だ、

と、迷いなく、答えた。

楽しかった、たのしかった、と
そのハナシを、一時間も、した。

そこには、母も、わたしも、妹も
孫娘たちも、いなかった。

会社にこそ、
父の充実があった、のだ、と

それは、よかった、とも思った。

度重なる父の転勤に
付いて行った、母とわたしたち。

父が、今も
会社が好き、で、よかったと思った。

(ヒトはカワレナイ、
でもそれはワルクナイ)

白い桔梗さんが、ぽん、と咲いた。


日暮れとなり、
わたしは、

アパートへ帰るため
庭しごとの道具を片付けた。

古いテーブルも、畳んで
納屋へと、戻した。



庭は、また独りになる。


夏が、過ぎていく。



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