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東京都世田谷区で生まれ育った私が今、鹿児島県霧島市に住んでいるワケ

静岡県の磐田郡と森町で育った両親のもと、1957年に東京都世田谷区で生まれ育ちました。現在は66歳の高齢者です。青年時代の世田谷区はすでに高級住宅地のイメージがありしたが、その中での我が家の貧乏生活は並大抵ではありませんでした。両親は、静岡のお茶、いろいろな乾物等を売る小さな商店を営んでいましたが、私が小学校2年の時に父が父の友人の連帯保証人になったばっかりに、その友人が夜逃げして債務が発生してしまいました。店は倒産し、毎夜のように債権者が家に押しかけ、母の泣きながらの対応を私は見ていました。そのうちに税務署が現れ、ほとんどの家財に赤紙が張られて、どん底の生活になっていきました。小遣いなんて貰えるわけもなく、私は中学2年からアルバイトをして、家を支えていましたが、何とか都立高校に入学できました。一般的なまともな生活などなかったのですが、体力だけは自信があったので、中学から続けているバスケットは続けていました。しかしアルバイトとの両立で、とても勉強できる環境にはありませんでした。ただ、大学に入りたいとの気持ちが大きく、なんとか一浪して大学に合格できました。入学後は、アルバイトの方が忙しくなり、学校へもあまり行かなくなりましたが、1年留年してやっと卒業できることになりました。

いろいろな紆余曲折がありましたが、一応会社員として働きだしました。

会社員としての生活に変化があったのは42歳の時です。
思ってもみなかった転勤族になり、42歳から会社を辞める62歳までの約20年間で引っ越し回数は11回を数えます。

一番住みたいなと思ったのは通算で約7年暮らした福岡でした。また、愛知県の一宮も穏やかな街で、東京の八王子も緑が多くのんびりできそうだなと思いました。
そんな私が鹿児島を定住地にしたのは・・・

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