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ぼくがいなければさ、


きもちが上がって沈んで、ひとはその繰り返しで生きてるんだって、たぶん知ってる。

でもときどき、上がるのを忘れちゃうくらいに、沈みたかったり、沈んでしまいたいときがある。

何よりもだいじなのは、他の誰でもない僕自身なんだって、きっと分かってる。

だけどそれでも、僕はだめでどうしようもないやつだって、考えてしまうときがある。

いなくなっちゃえばいいのにって、思ってしまうときがある。

いまは、そのときな気がする。


ぼくがいなかったらさ、ぼくがいなければさ、
どんなかんじだったんだろう。


僕がいただく食べ物は、他の誰かがもっとおいしくいただいてるかもしれない。

僕が着ている服たちは、他の誰かがもっとかっこよく着こなしてるかもしれない。

僕の住んでる家も部屋も、いまよりもっとおしゃれになってるかもしれない。


父さんと母さんが僕にかけてくれたお金はぜーんぶ浮いて、そのぶんを自分たちの使いたいことに使えてるかもしれない。

父さんと母さんが僕にかけてくれた苦労や労力はすべて消えて、その分のパワーを仕事や別のことに注げてるかもしれない。

父さんと母さんが僕にかけてくれたあたたかい無償の愛はまるごとぜんぶ、周りのだいじな人や、何より自分自身に届いてるかもしれない。


目の前の友だちは、こんな僕に気をつかわずに、他の仲の良い友達と少しでも笑ってる時間を増やせてるかもしれない。

自分は心からそのひとと遊びたいって思ってるけど、相手はそうじゃなかったら、そのときに生まれる負担や義務感みたいなものが消えるかもしれない。

僕が誰かと話してる間に奪ってる相手の時間も、誰かと話すことで生まれる他のひとの我慢や不満も、ぜんぶ解決するかもしれない。


僕が傷つけてしまったひとのぜんぶの傷は消えて、みんなそれを思い出すこともなく、気にすることもなく生きられるかもしれない。

僕を見たり僕がいたりすることで抱いてしまう、嫌で不快な気持ちは消えて、みんな気持ちよく生きられるかもしれない。

僕がかける迷惑も負担も、なにもかもぜーんぶなかったことになって、今よりもほんの少しだけでも、みんな生きやすくなるかもしれない。


ならみんなのしあわせは、もしかしたら、もしかしなくても、ぼくが消えていなくなることかもしれない。


ほんとにそうだったら、僕は消えてしまいたい。

僕がいるデメリットより、いないことのメリットを優先したい。

僕がいる苦しみより、いないことの快さを選択したい。

何より、みんなのしあわせも、目の前のひとのしあわせも、それをいちばん大事にしたい。



だけどそれだと。

必要だとか生きてていいとか、誰かがかけてくれるやさしい言葉を受けとりたいけど、無視しなきゃいけない。

まだもう少しだけみんながいるところにいたいけど、誰にも見つからないところに去かなきゃいけない。

せめてぼくがいるってことだけでも気づいてほしいけど、誰にも見つからないようにしなきゃいけない。

痛いのも苦しいのもいやだけど、いっぱい痛めつけて傷つけて、苦しくならなきゃいけない。

生きていたいし死ぬのはこわいけど、いっぱい耐えて死ななきゃいけない。

そして、この世界に生きていたんだってみんなに覚えていてほしいけど、何もかもぜんぶから、消えなきゃいけない。



消えてしまいたくない。

消えたくなんかない。



ぼくはここにいるって気づいてほしい。

ここでみんなとおんなじように、生きてるんだってわかってほしい。

ひねり出したことばなんてだいじょぶだから、ただそばにいてほしい。

いまだけでいいから、涙がもうどうしようもなくとまらないぼくをなぐさめてほしい。

そしてひとこと、「だいじょうぶだよ」って、言ってほしい。



ぼくもいつか、このやさしさとあたたかさを、何万倍にでも何億倍にでもして包むから。

どんなときも、どこにいても、心のなかの深い奥のとこにいても、ずっと守るから。



何回も使われてきた励ましの言葉も言わなくていいからさ。

この気持ちを無理くり否定したりしなくていいからさ。

ぼくがいなければさ、って思ってしまうこのぼくを、そのままそっと、だきしめてほしい。

ただそれだけでいい。

しずんでしまうと、せかいがまどろんでみえる。

きもちもなにもかもまどろんで、
ぜんぶぐちゃぐちゃになる。

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