節目

小学生のときは、日曜日の午後3時頃が憂鬱な時間帯だった。休日が終わりに近づいていることが、否応なしに感じる頃合だったから。
推理小説は、最初の1人が殺されてしまうまでが良い。「誰が犯人なのか?」よりも、「これから何が起こるのか?」の方がドキドキする。
野球は、小学生の頃が楽しさのピークだったな。実力のピークは高校生の時だったけど。今だって続けているけど、あの時みたいに純粋な気持ちでは向き合えない。歳をとったものだ。

てっぺんまで登ってしまえば、景色は良いし空気もうまいから、達成感はあると思う。
でも、あとは降るだけだ。
少しくらい疲れを残したまま進んでも、きっと無事に降れるし、それでもたぶん、上りよりも短い時間で到着できる。楽ができると考えたら、足も軽くなるかもしれない。
でも、そこに冒険はない。
周囲の環境にいかに適応できるか、自らの状態を把握することでいかに効率よく進むか。
先が見えてるからこそできることではあると思う。
しかしモチベーションは上がらないだろう。少なくとも自分はそういう人間だと思う。
であれば、他の山を、てっぺんがここからでは見えないような山を、新たに探した方が良いのだろうか。

最近、少し体力が落ちた。
小さい文字も読みにくくなってきた。
地元で雑貨屋を営む幼馴染は、子供が成人したら少し早いが店を閉めることを考えているという。
エンジニアとして働いているが、もうしばらく新しい案件を担当していない。若い時の経験や実績を切り売りして日々の時間を凌いでいる様だ。それでなくても、資産形成とかセカンドキャリアとかの研修ばかりだ。
控えめに言って、少々うんざりである。

明日の朝もまた、子供達に起こされ会社に行く。
チャレンジングな新規案件をする代わりに、昔に自分が作ったシステムのマイナーアップデートに勤しむ。
帰宅したら、子供達と妻の話を聞く。皆が眠くなるまで時間があったら、自分の話も“寿司のガリ”程度の存在感をだしつつ披露する。

明後日も、来週も、来月も、来年も…。

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