見出し画像

メロンパンか自由か

パン屋さん『サムブレッド』でメロンパンを買った。

『サムブレッド』のメロンパンはとても美味しい。しかも今日は焼きたてだ。
「いつもありがとうございます」とレジをうった男性がレシートを渡しながら言う。見るからに職人気質で、人づきあいは苦手そうだ。ぎこちないながらも、できる限りの笑顔で精いっぱい愛想を振りまいている。その態度が、微笑ましい。

『サムブレッド』は、パンの出来上がりをインスタグラムで知らせてくれる。メロンパンだけではない。菓子パンから惣菜パンまで、今日この先、店に並ぶパンの焼き上がり時刻を、日に何回かインスタで写真と共にアナウンスしてくれるのだ。ときには調理中の写真なんかもアップしてくれたりして、商売とはいえなかなかマメなことである。
たいした立地ではないので、行列ができるほど混雑していることはまずない。ただ、いつ行ってもそれなりには客がいる。
思い返せば、客が自分一人だったことも、記憶にはない。

しかし、今日はめずらしく、客は自分一人だった。

1人でパンを選ぶにしては広い店内で、メロンパンだけ買うのはなんだか後ろめたい気持ちになってしまい、クロワッサンと5枚切りの食パンも買ってしまった。
明日の朝と昼はトーストだな、と思いながらレジを済ませたところである。

「メロンパン、お好きなんですか?」

店内にはレジを打つ無愛想だが憎めない職人男性と、自分しかいない。職人男性が自分に声をかけているのは間違いないものの、反応するのに少し時間がかかった。

「はい、好きです。いつも頂いてます」

我ながらコミュ障といわれても仕方のないような反応しかできない。続けて気の効いた返しをしたいが、できない。

「いつも購入いただいているので、好きなんだろうなあと思ってました。インスタ、見ていただいてるんですか?」

なかなか喋るじゃないか。職人気質のくせに。
この店内では携帯を見ていないはずである。ひょっとして、こいついつもメロンパンに合わせてきているな、くらいには思われているのかもしれない。

「はい、メロンパン、好きなので」

イマイチ会話の噛み合いが悪い。原因は自分の瞬発力のなさにある。

「粉と砂糖にはこだわってるんですよ。分かっていただけて嬉しいです」

メロンパンは、そこ以外に拘りどころごあるというのか?
と思ったが、当然口にはしない。

「いつもありがとうございます。また、よろしくお願いします」

職人気質な見た目とはうらはらに、たいへん心地よいコミュニケーションを提供できる人だった。新たな発見。そして改めて自分のコミュ力のなさに愕然とする。

近くの小さい公園のベンチに座り、メロンパンとクロワッサンを食べた。
公園には誰もいない。
いつものように部屋に戻って食べるつもりだった。しかし、いつものような行動は、なんとなく取りたくない気分だった。

メロンパンは相変わらずの美味しかった。クロワッサンは、焼きたてではなかったが、くどすぎないバターの香りが濃厚で、こちらも美味だった。次も買ってしまうかもしれないな、と思う。

今日は、朝起きてサムブレッドのインスタを見て、11時30分ころにメロンパンが焼き上がるという情報を得た。それを見て、昼食はサムブレッドのパンにしようと決めていた。
午前中、何回かインスタを見て、メロンパンの焼き上がり時刻が予定通りであることを確認した。と同時に、クロワッサンも店頭に並んでいることも確認していた。
サムブレッドでパンを買う時は、たいてい今日のような行動パターンである。
朝に今日の予定を確認して、随時予定通りであることを抑えて、焼き上がりに合わせて買いに行く。

インスタグラム導入前はどうだったろうか?
たしか、ふと思い立って買いに出て、メロンパンが置いてあればラッキー、それが焼きたてであれば大当たり、といったモチベーションであったと思う。
メロンパンがなかったら、その場で代わりのパンを探して買っていた。

SNSにはあまり興味がなく、インスタグラムについては、今のところ、サムブレッドのメロンパンを買うためだけのツールとなっている。確かに、インスタグラムで確認を始めてからは、メロンパン以外のパンはほとんど買っていない。今日のクロワッサンは珍しい方だ。
そしてそんな行動パターンを見事に読まれて、パン屋のオーナーに話しかけられてしまった。

別に嫌なわけではないが、少し不自由だな、とは思う。焼きたてのメロンパンを食べることができるようになった代わりに、「いつでも行きたいときに行きつけのパン屋さんに行く」という自由を失ったわけだ。いや、自ら放棄した、と言った方が正しいのか。その自由、取り戻そうと思えば取り戻せそうだが、果たして。

自分と入れ替わりにサムブレッドに入っていった女性は、やはりメロンパン目当てだろうか。
サムブレッドにパンに買を買いに来る人の何割くらいが、インスタグラムに縛られているのだろうか。

何かしらのツール、仕組みを導入すると言うことは、そのツールに縛られる、ということだ。そして、それら社会の仕組みを導入することは、何かしらの『自由』を失うことと同義である。その結果得られるものの一つが、社会を同質化しようという指向であろう。

インスタやTwitterを使いこなしている人は凄いな、と思う。同時に、そういった同質化への指向に逆らうべく、インスタ使うのやめようかな、とも思う。

メロンパンとクロワッサンの包装紙を屑籠に入れ、食パンの袋をもって立ち上がる。
部屋に戻る前に、駅前の文房具屋でステプラーを買って帰ろうか、と思い立った。この種のひらめきは、大事に扱う方である。いつか買わねばと思いながら、ずっと買ってなかった。
帰路とは逆方向に歩き始める。文房具屋でステプラーをかうなんて、小学生以来かもしれないなと思うと、若干の胸の高鳴りを覚えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?