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田舎の祖母

田舎の朝は早い。
私は、祖母の家に泊まると、いつもより2時間は早起きする。
祖母の家で朝起きるたびに、ああ普段もこれくらいに起きて活動してればなあ、と思う。
それでも、私が起きるころには、祖母はもうすでに、割烹着を着て炊事をしている。祖母は毎朝、前日分の洗濯をしてから、その日の朝ごはんを作っているようだ。しかも朝ごはんは和食で、ご飯は釜で炊いているし、毎朝おかずも味噌汁も作っている。私よりどれくらい早く起きているのだろう。私は、生まれてこの方、寝起きの祖母を見たことがない。
「はよう起きたかったら起きたらええだけやろ。そんなようわからんことを言っとらんで、はよう着替えて顔洗いぃ」

田舎の水は冷たい。
びっくりするくらい冷たい。
祖母の家の洗面は、台所の勝手口から外に出たところにある。とたん屋根はあるので雨は防げるが、壁はないので風は防げない。どうして朝からこんなところで顔を洗わなければいけないんだ、と思わなくもない。
洗面所の水道の蛇口はひとつしかない。ひねると、真夏であってもとびきり冷たい水が出てくる。私の家の蛇口を冷水のほうにひねっても、ここまで冷たい水はでない。この水を桶に溜めて顔を洗う。夏も冬も同じくらい冷たい。これくらい冷たい水で顔を洗うと、夏だからとか冬なのでとか関係なくいつの季節でも、顔面への強烈な刺激が得られる。水を顔面に持っていく直前は最高に憂鬱だ。
ただ、この水で顔を洗うと、一気に目が覚めるし、顔面の肌も張りがでるのではないだろうか。
そういえば祖母の顔面は、年相応に弛んでいるし皺も多いが、張りはすごくある。祖母はたいていノーメイクだけど、それに耐えうるメンタルを持っているのは、肌が若いからだろうか。
毎朝この水で顔を洗っていれば、私も祖母くらいの年齢になっても、あれくらいの肌艶を保っていられるのだろうか。
「井戸水やさけ、冷たいんはしゃあないわ。まあシャキッとできてええやろ。あんたぁ、昼間にだらだらしてんからいかんのう。調子ようしたいんやったら、もっと顔洗ってシャキッとしときい。そんで晩はさっさと寝やないかんよ」

田舎の1日は長い。
朝早く起きるからかもしれない。
テレビを見ないからかもしれない。
祖母の家にはテレビがない。テレビがなくてどうやって世の中で起こっていることを把握するのだろうか。私には想像がつかない。
ただ新聞は、毎日決まった時間に結構時間をかけて読んでいるようだ。
朝起きて炊事と洗濯を済ませてから新聞をひととおり読んでも、まだ正午まで時間が余っている。祖母は、収穫の時期は、新聞を読み終えてから畑にでかける。それ以外の時期は、近所を散歩して友だちと世間話に花を咲かせているようだ。
「別にテレビのうても、要る話は聞こえてくるもんだ。テレビ見てたって、なんもおもろくねぇべ」

私は祖母が好きで、祖母のような暮らしに憧れている。でもたぶん、祖母は、私のことを好きかもしれないけど、私のような暮らしには憧れていなかったように思う。
それは、
「なんで早う起きんの?」
「なんで冷たい水で外で顔洗うのいやなん?」
「テレビ見てて、なんかおもろいことある?」
と聞かれたとき、祖母のように闊達とした答えを言えないからではないだろうか。これは、祖母と膝を突き合わせてもっと話してもよかった。そんな時間はもうないのが、とても残念だ。

私は今でも、朝起きるのは遅い。休みの日となればなおさらだ。
冬は温水で顔を洗っている。当然、空調が効いた空間で。
休みの日はテレビとネットで不毛な時間を過ごすことも多い。ネットでの付き合いは、顔も知らない人と愚痴を言い合っているだけだ。

祖母と会えなくなって、ずいぶん長い時間が経った。私も、その分歳をとった。
そんな今でもたまに、祖母と会話したあれこれを、とても詳細に思い出すことがある。
今となっては、それが本当に祖母と交わした会話なのか、私が勝手に脳内で作り上げたバーチャルな会話なのか、判断できないこともある。
それでも、祖母との会話を思い出したときは、とても嬉しい。
とても幸せな気持ちになる。
今も、祖母が発するそれらの言葉は、生きていて迷ったり悩んだりしたとき、私が進みたい方向を私に教えてくれる、道標だ。
そのせいかわからないが、私は歳をとるごとに闊達になっていってるような気がしている。

それくらい、祖母との会話は今の私をかたち作っているのだ。

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