変わりたくて死にたい

めっちゃ死にたい。
死にたいと思うときは停滞しているときだ。
思えば一番鬱の感情から遠かったのは大学最後の春休みだったと思う。4月から就職、課題もなければバイトもない。何もしなくても、数週間後には環境が大きく変化することが決定していたし、何もしない日があっても「これから忙しくなるし」という理由づけがあった。つまり、どんな行動に理由が伴い精神が安定しやすかったのだ。

社会人になると、5/7同じ場所に通う必要があり、異動がない限り同じ部署であり、毎日見る顔ぶれも同じ人である。日々割り振られる仕事や話す人は違えど、記憶の中を掘り返せばどれも同じ種類の記憶になるだろう。オンラインだから人の顔もカメラなしのアイコンである。誰と話したのか覚えてない。
学校は3年か4年で強制的に卒業、つまり環境が変化することが決定しているが、会社には終わりがない。法人とはそういうものだから当然だ。
ふと、死にたくなる。
目の前にある仕事が終わらない。手をつけているはずなのに、終わったら修正がはいる。終わっても次の仕事がある。まだ慣れていないだけかもしれない、数をこなせば時間をかけずできるようになるかもしれない。だけれど、いつ慣れるのかがわからない。いつできるようになるのかわからない。
慣れてくるとおもしろくなるとよくいうが、おもしろくなるまでどれくらいかかるかわからない。
停滞をしているときは、停滞がどれだけ続くのかわからないことが恐ろしい。
数年後、振り返ってみればいい思い出として、あのとき頑張っていてよかったと思えるのかもしれないが、もしかしたら数年経っても全く同じ状況が続いているのかもしれない。日々の連続では、同じ時間に出勤して帰ってまた明日がくるだけなので、数年後に違う自分になっているというビジョンがもてない。
制度からしてそんなことはありえず、続けていればより難しい業務やより楽しい業務がもらえるかもしれない。というか少しずつ増えてはきている。
ただ、あまりにも同じ時間に起きすぎてしまっている。5時半に起きる次の日に10時に起き、その次に8時に起きて7時に起きるにはどうしたらいいのだろうか。
おそらく確実に前に進んではいる。できていないことはできるようになっているし、できないことを聞いても許してもらえている。半年前に比べれば慣れたものだ。今返せていなくてやりたくなくて、確実に私の死にたさを助長しているものも、明日相談してやり方通りにひたすら手を動かしていれば終わる物だ。
死にたさは所属している場所ではなく、完全に私の精神性の問題である。

私は大学1年生の時、定年後に怯えていた。完全にやるべきことから解放され、あとは自分の意志でやることを探すとなったときに、全く同じ日常になることが怖かった。圧力も強制力もないなかで、好きなことだけをやれる毎日というものが恐ろしくて恐ろしくてしょうがなかった。生活に飽きもせず自分というものを保つ自信がなかった。
毎日同じ日が続くことが恐怖でならなかった。
だが、今すでに同じことが起きている。
社会人は、基本的に何をするにも自由だ。仕事を辞めてもいいし、ステップアップをしてもいいし、今の仕事をずっと続けてもいい。何をしてもいいという自由のなかで、とりあえず仕事に行けば毎月お金がもらえるという安定の中を生きている。
これは停滞ではないか?と考えると死にたくなる。これでいいのかがわからない。とりあえず前に進まなければいけないのか?と自分の中で強制力を生み出して、強制的に昨日と違う日を作ろうとしている。資格試験の勉強をして、講座をとってみる。
だけど、そのような日々が自分を変えているのかわからない。今やっていることが無駄かもしれない。地道な努力は必要な時間が長すぎる。何も変えないかもしれない。じゃあこれが終ったらどうするの?と考えると、考えを一生放棄したくて死にたくなる。

シチュエーションとして、いきなり異世界から召喚され見知らぬ場所で暮らすとか、血相を変えたバイクに乗った見知らぬお姉さんに実験施設に連れていかれるとか、明日世界が終わることになったとかの物語を見ると、羨ましくなる。
外部的要因で自分の環境が180度変わるからだ。自分で努力をしなくても、新しいものに触れて新しい知識を吸収することで自分の生活に意味が生まれる。召喚された先では、停滞とは最も遠い世界が広がっていることだろう。

自分が努力をしなければならないのはわかっている。だけど、あまりにもそれは人為的すぎる。変化が微々すぎる。
ミリ単位でしか変わっていかない、変わっているのかもわからない自分のことを考えると人生に飽きそうになる。
だから死にたいと思う。
明日異世界にいないのなら、死ぬことは自分の現状をひっくり返すために一番効果的だからだ。
毎日どうすればいいのかわからず、何が正解なのかわからない日の中で、死にさえすれば変わることができるのは確かだ。

これでいいのかと考えながら、精神が不安定になりながら、今を打破したくて、このどうにもならない状況が一瞬でどうにかなってほしくて、死にたいと思い続けている。


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