牟禰へ

#牟禰へ  いつか書くことができるか?
物語を書いてみたいと思い、ツィッターで書いてみた。しかし思い立てば書けるものではないと思い知らされた。書くことの膨大な訓練、多くの調査抜きにできることではない。経験のない私に書くために必要な訓練と蓄積が残された少ない時間でできるだろうか? 以下本文である

#牟禰へ  1
茂った濃い緑の常緑樹のトンネルを抜けると淡く光る桜の里が開けていた。振り返ると小さな家の瓦屋根だけが丸く切り取られた絵画のように見えた。いつか必ず行こうと牟禰と約束していた彼女の生まれた里へついに来た。 一人で来ることはないはずだったが・・・
 
#牟禰へ  2
君の生まれた里に桜が寂しく咲いている。朽ちかけた古い屋根がいくつか見えるだけで人の住む気配はない。君が教えてくれた山裾まで続く麦畑はどこにあったのだろう。幼い君が毎日お参りしたというお地蔵さんはどこにあるのだろう。この里は見捨てられてしまったのだろうか?
 
#牟禰へ  3
『お地蔵さんをなでるとお地蔵さんのあたたかさが手のひらから伝わってくるの。お地蔵さんから色々なことを教えてもらったわ。草笛もそう。どの草ならいい音が出るか、どう吹けばいいのか教わったの。』そう言って君は近くにあった固めのカシの葉を取って草笛を吹いた。
 
#牟禰へ  4
君の草笛はとても澄んだ音がしていた。初めて聞いた曲だったがとても懐かしく響いた。『風がやさしくそよいでいる麦畑でお地蔵さんが踊りながら歌っていたの。』と君は言った。君のその言葉が僕をここへ連れてきた。君のお地蔵さんをみつけて、その声を聴くことができるだろうか。
 
#牟禰へ  5
閉館がうわさされていた古い県立図書館の3階の床で、君は地図を拡げていた。僕は誰とも知らない人なのに、あまりにも長い時間じっと地図を見ている君に声を掛けてしまった。
『どこを探しているのですか?』
『わからない。何を探しているのかわからないの。』と君は答えた。
 
#牟禰へ  6
『地図を見れば何を探しているか地図が教えてくれると思ったの。でも地図は何も言ってくれないの。』
『その地図でいいのですか?』と僕。
『これで分からなければ、そう地図が教えてくれるはずなんだけど』僕は言っていることが理解できないまま、君が探しているものを知りたいと思った。
 
#牟禰へ  7
結局、地図とにらめっこする君に閉館時間まで付き合ってしまった。その日から君は当然のように母と私が住む家に転がり込んだ。びっくりしたことに君は家事ということを全く知らなかった。母は君と料理を一緒にしたり、買い物に行ったりするのを喜んでしていた。
 
#牟禰へ  8
君は部分的に記憶喪失の状態だった。子供の頃のことは覚えていたが、大学入学してから後のことを思い出せないでいた。役所にいったりして、君が昔住んでいた場所がどういうところか、君の両親をはじめとする家族がすでに他界していることがわかった。天涯孤独だった。
 
#牟禰へ  9
君はいつの間にか『お金を稼がないと』と言いながら、榧やヒバの木材を使ってペンダントなどのアクセサリーを作り始めた。手先の器用な母もいつの間にか君に巻き込まれていた。近所では君を僕の妻と勘違いしていたが、君も母も否定しないで笑っていた。
 
#牟禰へ  10
しばらくして僕と君は正式に夫婦となり、子供もできた。君の大学生以降の記憶は相変わらず戻ってこなかったが、子供の頃のことを少しずつ僕に話してくれた。僕にというより赤ん坊に物語を聞かせあげたという方が正しかったが、君の話をどうとっていいか僕にはわからなかった。
 
#牟禰へ  11
『あなたとおなじくらい小さいとき海に近いところで暮らしていたの。お魚を獲ったり、畑を耕したりして食べるものはたくさんあったわ。秋になると浜辺に出てみんなで大きな焚火を囲んで踊りながら、食べ物があることと幸せに暮らせることに感謝したの。火は空高く昇っていったわ。』
 
#牟禰へ  12
『とても静かに暮らしていたけど、遠くで戦争があって私たちの所にたくさんの人が逃げてきたの。でも私たちの所も戦争に巻き込まれてたくさんの人が亡くなって、残っているみんなで遠くへ逃げることにしたの。たくさん歩いて遠くへ行ったわ。山の奥の川のそばまで逃げたの。』
 
#牟禰へ  13
『みんなで力を合わせて畑や田んぼを造ったり、外からわからないように森を作って道を見えなくしたりしたの。そこに何年もいたの。何百年かしら。大人たちが罠を仕掛けて鹿や猪を捕まえた時は、みんな集まってお酒を飲んだりして盛大に楽しんだわ。歌ったり、踊ったりね。』
 
#牟禰へ  14
『私たちの作った里は豊かで争いがなかったの。私は草花でかんむりを作ったり、ウサギやリスを追いかけたり、蛍狩りなどをしたの。大好きな里よ。でもいつか世の中が大きく変わって、私たちも隠れていることができなくなったの。大人たちが新しい世の中を作ると言って戦争に行ったの。』
 
#牟禰へ  15
『そして私たちはバラバラになったの。新しくできた世の中は珍しいものでいっぱいだったけど、私は何もほしくはなかった。あの里で何もなくても、みんなと助け合って暮らせればよかった。でも2度とそんな日は来なかった。そのうち私は父や母と満州というよその土地に行ったの。』
 
#牟禰へ  16
『そこでは知らない言葉が話されていて、父の仕事を手伝ってくれた人の子供たちと遊んで少し話せるようになったわ。そのうちもっと知らない言葉を話す人たちが来て、町が壊されて父も母も殺されてしまったの。私はどうやってこの国へもどったかおぼえていないの。』
 
#牟禰へ  17
私たちのというか牟禰の子供の名は夏椰という。牟禰はお腹をさすりながら『この子が教えてくれたの。名前は夏椰というの。』牟禰という名はいうまでもなく、夏椰という名も聞いたことがなかったが、その名に私は反対しなかった。夏椰は母も含めた私たちの笑いの中心だった。
 
#牟禰へ  18
牟禰は木材や布を材料にして、いろいろなものを作って夏椰に与えた。おもちゃを買うということは全くなかった。服は自分のものを含めて、母に助けてもらいながら自分で縫った。裁縫の上達は早かった。牟禰は買い物をしても必要最小限のものしか買わなかった。
 
#牟禰へ  19
夏椰は牟禰の作った木のおもちゃや、布で作った人形で遊びながら、牟禰が夏椰に話しかけるように人形とお話をしていた。近所の子供たちが良く遊びに来て、夏椰と同じように人形を友達にしてお話をしていた。人形と色々なお話をすると彼らは言っていた。
 
#牟禰へ  20
夏椰が12歳の誕生日を迎えた日に突然牟禰がいなくなった。私は八方手を尽くして探したが全く見つからなかった。どこへ行ったか手がかりさえ見つけることはできなかった。シャボン玉が消えたように消えた。 しかし、母と夏椰は何故か全く驚かなかった。
 
#牟禰へ  21
『ここには物がありすぎるわ。人は次から次に新しいものを欲しがってきりがない。いきものが押しつぶされそうになって悲鳴をあげている。草や木も鳥も獣も昔はもっとやさしかったわ。静かに時間が流れる場所を探さないと。』牟禰は良くそう言っていた。探しにいったのだろうか?
 
#牟禰へ  22
牟禰はいつまでも帰ってこなかった。帰ってくることはあるのだろうかと不安が募っても、夏椰は牟禰がいつもそばにいるので寂しくはないという。 なぜか牟禰が夏椰になったのではないかという思いが浮かんできた。夏椰は日を追うごとに牟禰に似てきて言葉もそっくりになった。
 
#牟禰へ  23
君の記憶は君だけのものではなく、君は多くの人の記憶を継いできたように今は思える。夏椰に君が継いできたたくさんの物語を話して聞かせ、たくさんの言葉を教えた。君がいるだけで僕は、ぼくだけでなく僕の周りは静かで笑い声が絶えなかった。
 
#牟禰へ  24
いつか行こうと君の言っていた里に行けば君に会えると思ってここに来た。ここがその場所かどうかはわからない。まだお地蔵さんはみつからない。君の話していた里は大昔の里だったからないものを探しているのかもしれない。君も僕と同じようにきっと探しているはずだ。
 




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?