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「詩」 私の志集

彼女を最初に見かけたのは、バブル景気後期の東京で働き始めた頃だった

週末の夜、新宿駅東口の地下へと降りる階段の入口に

彼女はいつも無表情で立っていた


赤いスカートに赤い帽子

雑誌の「オリーブ」から抜け出てきたようでもあった

彼女がいわゆる「オリーブ少女」と決定的に違うのは

「私の志集を買ってください」と手書きしたボードを

首から下げていることだった


足元には、その「志集」が何冊か置かれていた

コピー紙を束ねたような作りで一冊300円とあった


彼女の視線は、行きかう人々ではなく

遠くの一点に固定されてまったく動くことがなかった

駅へと急ぐ人の流れと

そのただ中で虚空を凝視したまま身じろぎもせずに立ち続ける若い女性

異様なコントラストに思わず立ち止まった


「買ってください」とアピールしながら

彼女の態度はまったく人との関わりを拒否しているようにみえた

少し離れた所から彼女を眺めながら

東京にはなんといろんな人がいるものかと、素直に感心しつつ通り過ぎた


僕はその頃、詩を書いていなかった

もう書くことはないだろうと思っていた


そのうちに彼女が週末の夜にはいつもそこにいることがわかった

新宿駅を通りかかる度に彼女の姿があるのだ

いつも同じ場所で 同じ赤のスカートと帽子を身に着けて

雨の日も、風の日も、夏も冬も。それは何年にもわたり続いた

その間、誰かが「志集」を買っている場面を僕は見たことはなかった

一体、彼女はいつから、いつまで、そして何のために

そこに立ち続けるつもりなのだろうと思うよりほかなかった


一度くらいなら買ってみようかと思ってはいたが

結局、彼女に声をかけることはしなかった

いつしか彼女の存在は奇異なものではなくなり

僕にとっては(たぶん他の人にとっても)町の景色の一部になって

気に留めることもなくなった


だから、いつのまにか彼女の姿が駅から消えたことにも

しばらくの間気づかなかった

気づいた時にもそれほどの感慨はなかった

けれど、彼女のいない新宿駅は少しだけ違った風にも感じられた


僕はもう書かないと思っていたはずの詩をまた書き始めていた

そればかりか、何年かをかけてそれらを一冊の詩集にまとめることまでした

そして、出来上がったものを読んで深く失望した


彼女の姿を見かけなくなって何年かが経った頃

普段は用のない新宿駅西口を歩いていた時に

柱を背にひっそりと立つ女性の姿がふと視界に入った

すぐに彼女だとわかった


もう赤いスカートも帽子も身につけておらず

地味な服装に変わっていたけれど

過ぎた時間の分だけ年を重ねた彼女が

「私の志集」のプレートを下げて立っていた


彼女はいなくなったのではなかった

なんらかの事情で西口へ移動しただけのようだった

東口での群衆と対峙するかのような姿とは違い

西口での彼女は、柱の陰に身を隠すように佇んでいた

けれど宙をするどく見つめる視線は変わっていなかった

僕は久方ぶりの友人に会ったかのような懐かしさを覚えた


詩集を作った後、僕はだんだんと詩を書かなくなっていった

そのかわり郷里の小さな雑誌社に仕事をみつけた

初めて書くことが仕事になった


以来、東京から離れたこともあり、彼女の姿を目にしたことはない

今も彼女は新宿駅の片隅に立ち続けているのだろうか?

たぶんそうなのだろうと、根拠もなく僕は思う


週末の夜、僕はいまも時々

柱を背にして宙に視線を向けたまま立つ彼女の姿を想像してみることがある

すると、自分でも理由はわからないけれど

少しだけ心のどこかが安らかな気持ちになるのだ


雑誌社では6年半ほどを過ごした

その間はほとんど詩について考えることはなかった

それでも会社を離れた後しばらくすると

やはりいつのまにか詩を書き出していた


いつか二冊目の詩集を作ろうと 思っている

また失望するのもいいと 思っている



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