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ヤマトタケシvs金昌澤 後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.1 1991年7月30日

東京在住時代(1990~2006年)、足繫く通った後楽園ホール。最安値の立ち見チケット(当時3000円)を買い、ベランダに陣取る。そんな日々の中、目撃した90年代から00年代初期の名勝負の数々や、ボクシングにまつわるあれこれの思い出を、記憶が残っているうちに語っておきたいと思います。

まずは、最初にホールに足を踏み入れた日のことから…。


飯田トレーナーからもらったチケット

この日のチケットは、ワタナベジムのトレーナー、飯田裕さんから頂いた。その数日前に僕はワタナベジムに入会していて、「行くんなら、チケット一枚あげるよ」と声をかけてもらっていたのだ。3000円の立ち見チケットだった。

後に何となく気づくのだが、当時、飯田さんはどうやら報酬の一部をチケットでもらっていたようだ。つまり、自分で売って現金化しない限り、実質的な報酬にはならない。事情に疎い新入会員に売りつけてもいい所を、飯田さんは自分の取り分を削って「やるよ」と言ってくれたのだ。そのことは、30年以上たった今でも忘れない。

さて、この日のメインは、ワタナベジムの看板選手のひとり、ヤマトタケシ。元日本ミドル級チャンピオンで、当時のランクはジュニア・ミドル級5位。対戦相手の金の戦績は、ここまでわずか6戦3勝2敗1分。3勝すべてがKOという強打者だが、元日本王者の相手として役不足感は否めない。「かませ犬」という言葉が頭をよぎった。

もらったのは立ち見チケットだったが、場内はがらがら。半分も入っていない感じなので、空いていた席に適当に座って観戦することにした。

公式発表は入場者数1550名。しかし…。

手元の「ボクシングマガジン」91年9月号の試合レポートコーナー「熱戦譜」を参照すると、この日の入場者数は1550名となっている。ウィキペディアによれば、後楽園ホールの座席数は約1400人、最大収容人数は約2000人となっている。30年前のあやふやな記憶とはいえ、1500人の観客があの日のホールを埋めていたとはとても思えない。いいとこその半分。いや、もっと少ないかも…。という感じだ。

この日に限らず、90年代のこの種の発表はかなりいい加減で、最大収容人数が約2000人とあるにも関わらず、2500人、3000人以上という数字も目にしたことが何度もある。もし、それが本当ならば、堂々たる消防法違反になるはずだが…。

前座は7試合。その中には…

さて、当日の試合だが、これもボクシングマガジンを参照すると、メインの10回戦の他に、6回戦1試合、4回戦6試合が組まれている。4回戦の中には、後に山口圭司塩濱崇の持つ日本ライトフライ級王座に挑戦する座嘉比勝則や、実の兄である江口九州男と日本タイトルを争い話題になった江口勝昭の名前も見える。二人ともこの日は勝利を収めている。特に座嘉比は1RKO勝利だ。

4回戦の最後に、ワタナベジムの選手が登場した。新人王戦にエントリーしていた雑賀俊光。入会した日に、彼のジムワークを目にして、シャドーボクシングのスピードの速さに「これがプロボクサーのスピードというものか」と驚かされた。パンチの残像が消えないうちに、次のパンチが繰り出されるような感じで、腕が何本もあるようにみえた。そのハンドスピードは、ジム内でも群を抜いているように思われた。

これほどのスピードを持った選手なら、あっという間に試合を終わらせてしまうのではと思ったが、試合は一進一退の内容で、雑賀選手がなんとか判定勝ちを収めた。僕の目には意外な苦戦と映ったが、ジム内での実力を100%発揮することがいかに難しいことかは、少し後になって理解した。

メインイベント:ヤマトタケシvs金 昌澤

さて、ついに迎えたメインイベント。なぜか僕はこの試合だけ、最後方の立見席に移動して観戦した。理由は自分でもよくわからない。最後くらいルールを守ろうと思ったのか、それとも、初めての生観戦でボクサー達の放つ熱気に当てられてしまったか。その両方かもしれない。

試合が始まり、両者が向かい合うと、かなりの身長差が見てとれた。ヤマトのスピードに乗った長いジャブ、ワンツーが、効果的に思える。「この調子なら早い回でのKOもあるかな」と思い始めた矢先、金が思い切りよく振った左フックがヒット。ヤマトの動きが止まった。

一瞬ヒヤリとするも、2回以降は、ヤマトがワンツーを軸に、試合を優位に進めていった。金は時折、ヤマトを脅かした左フックを振るが、ジャストミートするには至らない。距離をとって戦っている分には、フック主体の金に対してリーチのあるヤマトの優位は揺らがないように思えた。

しかし、5回を過ぎる頃になると、ヤマトのスピードが落ち始め、安全な距離を保つのが徐々に難しくなり始めた。距離が合いだして、ヒヤリとするシーンが少しずつ増えてくる。それでもヤマトがまだ試合のコントロールを失うまでには至らない。見方によっては互いに決め手に欠ける、同じような展開が続く若干ダルな状況が続いた。

迎えた7回、状況が一変する。打ち合いの中でチャンスを感じたのか、それともこのままではジリ貧になると思ったのか、ラウンドの終盤にヤマトが足を留めての打ち合いに応じたのだ。僕の目からは、何の前触れもなくいきなり火が付いたような打撃戦が始まったように感じられた。

互いに大振りのパンチがいくつか交錯する中、「バン!」という凶悪な打撃音が、ホール最後方にいる僕にまで届いた。と思う間もなく、決めに行っていたはずのヤマトタケシの体がごろりと横に倒れるのが見えた。

どうやら、金の左フックがカウンターのタイミングで入ったらしい。ヤマトは立ち上がろうともがくが果たせずにカウントアウト。7回3分2秒。金の逆転KO勝ちである。苦しみつつも、ヤマトが判定勝ちするのでは思いながら観ていたので、唐突なKO決着に面思わず茫然とした。

いまも耳に残る打撃音

のちにスコアカードを確認すると、やはり6回までは1~3ポイント差でヤマトがリード。あの一発さえ食わなければ、ヤマトが判定勝利を収めていたのではと思われた。

かませ犬に逆に噛まれた、当時はそんな風に思っていた。しかし、金昌澤はその後、2度にわたってOPBFスーパー・ウェルター級王座を獲得する実力者だったことを思えば、必ずしも番狂わせとはいえない。

ともかく、僕の最初のボクシング生観戦は、所属ジムの選手のKO負けという結果に終わった。それでも、後楽園ホールを後にしながら、深い満足感に包まれていた。映画、ライブ、野球やサッカーなどのスポーツ観戦、そのどれとも違う種類の満足感が、そこにはあった。

あの時、ヤマトのテンプルを叩く「バン!」という音は、30年以上経ったいまも耳に残っている。

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