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ボーイがミーツするっていったらそれはもう。

 家に帰っても特にやることもないので、放課後は屋上で時間を潰すことが多い。というか最近はずっとそうだ。
 無為に過ごす時間を、共有する友人が出来たから。
「和音はさ、部活とか入んないの?」
 梅雨の晴れ間、心地好いとは言えない生温い風を受けながら、明空紫音はそう言った。
 スマホで動画を見ていた俺は、脈絡もない質問に顔を上げる。紫音はフェンス越しに校庭を眺めているようだった。野球部だかサッカー部だか、何らか運動部の活動を見ているのだろう。
「運動は好きだけど、部活に入るほどじゃないんだよなあ」
「文化系のは?」
「あんまり興味ない」
「そうなんだ」
 聞いてきた割りには興味があるのかないのか。振り向きもせずにぼんやりとしている。
「紫音は?」
 同じことを問い返すというのは、今の会話の流れとしてはなんら不自然ではない。だけど聞き返してから、これは失敗だったと後悔した。
「私は、……あー」
 どうだったかなあと首を傾げ、ふわりと宙に浮かぶ紫音。彼女は考え事をする時、こうしてふわふわと浮き上がることが多い。そしてそのままゆらゆら漂い、胡座をかく俺の隣に音もなく着地して、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
「やっぱり思い出せないや」
 目を細めて照れ臭そうに笑う。膝を抱えて、「明日は雨かなあ」と空を見上げる。
「雨だと困るなあ」
「なんで? 濡れるから?」
「ううん、和音に会えないから」
「…………雨が降ってても来るよ」
「ほんと?」
 紫音の瞳は夜空に光る星のように、きらきらとまぶしい輝きを湛えている。非常に愛らしい。俺が会いに来るだけでそんなに喜んでくれるというのは、どうにもくすぐったい気持ちになる。
 ──明空紫音は普通の女子ではない。
 まずもって、紫音は生者ではない。幽霊だ。
 過去の新聞やネットニュースの記事で調べたところ、十年前に教室の窓から飛び降りたことがわかった。その際に頭を強打して即死だったと書かれていた。何故幽霊となって屋上に住み憑いているかは本人にもわかっていない。
 次に、生前の記憶がほとんどない。自分の名前と、自殺したらしい、ということだけは覚えていたが、本当にそれだけだ。頭を打ったことが原因ではないかと推測しているが詳細は不明のまま。
 そんな紫音と俺の出会いは二ヶ月ほど前になる。気晴らしにと何気なく屋上に赴いた時に、空中で三点倒立をする紫音に出会った。
 誰もいないと思っていたところに人がいたこと、宙に浮いていること、三点倒立をしていること(今思えばあれは三点倒立というか逆さになって浮いていただけだ)。
 異様な光景、あまりにも過多な情報を前に、俺の脳は思考を放棄した。結果出て来た言葉は「見事な倒立だな」である。アホだ。対して「ありがとう」と控え目に微笑んだ紫音のことを、俺は素直ないい子だなあと思った。
 おかしな話かもしれないが、今になって思うと一目惚れだったのだろう。仲良くなっていろいろと話すようになってからも、日だまりのように穏やかで、浮世離れした雰囲気を持つ紫音にどんどん惹かれていった。けれど、この想いを俺が告げることはない。何故なら、紫音はもう死んでしまっているから。生者と死者。俺たちの間にはこれ以上ないほどの隔たりがある。
 目の前に、こんなに近くにいるのに、まるで雲の上の人かと錯覚してしまうほどに。届かないほどに遠く感じてしまうのだ。
「和音?」
 しばらく黙ったままだった俺を、紫音は不思議そうに覗き込んでいた。
「難しい顔してるけど、どうしたの?」
 吸い込まれるような大きな瞳に少したじろいで、ばつが悪くなり目を逸らす。
「いや、別になんでもない」
 口早に告げる俺を紫音は変わらずじっと見ている。ような気がする。逸らした視線は雲の流れを観測しているので紫音の様子を認識していない。
 お前に恋い焦がれていてその事について考えていたとはとても言えない。恥ずかしすぎる。
 ぽすん、と、背中に重みを感じた。わざわざ見なくともわかる、紫音が俺の背にもたれ掛かってきたのだ。じんわりと伝わる温かさ。幽霊でも体温はあるんだなあと、ひどく他人事のような感想を抱いた。
「……紫音?」
「んー?」
「どうしたの?」
「別に、なんでもないよ」
「ああそう……」
 こうも近いと暴れ狂っている心臓の音が紫音に聞こえやしないかと不安になるが、当人は機嫌良さそうに鼻唄をうたっている。
 これは完全に惚れた弱みなのだが、紫音が楽しそうならそれだけでよくて、他のことは割りとどうでもいいと思えてしまう。それこそ、先ほどまで惟みていたことすらも。
「私はさ」
 不意に背中のぬくもりが遠くなり、何とはなしに紫音が呟く。
「和音のこと、好きだよ」
 ばっと振り返れば、そこには悪戯っぽく微笑む紫音がいる。
 俺はそんなにわかりやすい顔をしていただろうか。あるいは、思考を覗かれたとでも言うのだろうか。
 「和音は私のこと好き?」と追い打ちをかけられ狼狽える俺を余所に、紫音はとても楽しそうに笑う。
 真っ赤な太陽が眩しい。この夕陽が頬の熱さを隠してくれたらいいのに、と俺は切に願うばかりだった。

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