見出し画像

二次元に「死」を感じると僕は優しくなれる 「大正野球娘」と「ブラック・ブレット」

僕は小学生の時。
クラスメイトにインドネシア人の子がいて。
彼は突然に帰国することになり。みんなでお別れ会を行いました。
その直後に「スマトラ島沖地震」がテレビで放送され、かなり驚きました。そこにはO君がいるはず。もう少し時期がズレていたら助かったかもしれないのに。
何よりも不思議だったのは、先生もクラスメイトもO君のことは特に話題にも上げたりしない。気を使っていたのかもしれない。
そんなんだから、彼がどうなったのかは不明……。
ついこの間まで、普通にクラスの中にいた一人が死んでしまった可能性があるというのは、中々不気味。
幼かった僕は、「O君が可哀想」というよりも、ただ、ただ、怖かった……。
そして、彼は、気にかけてさえもらえない……。


ある程度大人になった時に、大正野球娘を見ていて疑問に思ったのが。
「この子たちは戦死してしまったのでは?」ということ。
検索してみると同じようなことを考えている人も多く、その後のことは分からないから余計にモヤモヤする……。

アニメ自体はほのぼのとしており、暴力的なものとは無縁と言っていい。
だけど、将来的にはその平和な日常が「震災」や「戦争」というものでぐちゃぐちゃになっていくのが確定している。
内容が明るければ明るいほど、その先に訪れる「死」という暗いコントラストを感じる。
彼女達は死亡する可能性があるのに、そのことは一切知らない。ただ、野球を頑張る毎日を過ごしている。
視聴者の僕だけが彼女達のそう遠くない未来を知っているから、愛おしさと優越感が入り混じった複雑な感情を抱いてしまう……。

ブラックブレットが放映されていた時は毎週本当に楽しみで。
幼いヒロインの寿命が残り半年というのが良い……。
限りある時間だからこそ、「死」を感じ、「愛おしい」という気持ちが芽生えてくる。

大正野球娘とブラックブレットの両者に共通するのは、本人達は自分の寿命を知らないこと……。
「死を覚悟している人間」ならここまで入れ込むことは無かったと思う。「無知なまま『今』を生きている」から、より尊く感じる……。

僕自身が他者と対等な関係を築けない、か弱い存在だから、「死」という絶対的なマイナス要素を持っている人間に優しい感情を持てる。

「アニメのヒロイン」という人工的に作られた「純粋な存在」が消え去ろうとしているという、儚さを楽しむことがなによりも楽しい。

そして、現実の世界の人間にはこんな想いは決して抱くことが出来ないんだろうなぁ……とも思う。
僕はO君の死を、今でも心の中では美化することが出来なかったからです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?