【第1.5回】 報徳神社にてごゆるりと
実はこのあとまた京都に点数稼ぎに出向いてるんですが先に閑話休題。
それでもいいよって思える日は来るんだろうか?
ということを考えながら、
別に参拝したからって何かが変わるわけじゃない単なる願掛けのようなもので最終的にどうにかするのは自分の力でしかない。
そんな事分かっているのにどうしようもない。
なんとかしてくれるなんて思っちゃいないのだ、ただどうしても宝くじ当たらないかな馬券当たらないかなみたいに取り留めのない日常として赴いてしまうだけで。
何かに期待することが罪だと思う。
1.おさいせーんチャリーン、向こうにしてみれば毎度あり
何の変哲もない顔をしているだろ??
そうこの私古傷を痛めるあの野郎どもへの復讐心でいっぱいなのである。
いいえそんな事はありません、無垢な心でお祈り致しましたともホホホホホ👏
貴様にも幸あれ、そう心から思うことが出来たなら良いのでしょうけど。
2.実は裏口から入った私と、境内のあれやこれ。
自分の庭だと思いたい、単に日陰を歩いてたら裏口だっただけなのである。
3.ボロを出さなければ、喋らなければ、木陰にて珈琲を濁す微少女
4. 〜総 情と咒い 括〜
なんとなく、今時のポリコレなんていうものが自分や他人に対する憐憫の情からくるものなんじゃないかと思えた。
可哀想なことに耐えられない自分や、他人を自分の庇護下に置くことで安心するような、依頼心なんじゃないかと思えた。
私は私が経験しうる全てのことに未だに納得しきれてるわけじゃない許せないものは許せないし伝わらなかった優しさに世間に失望することもある。そうやって傷付いたような自分を見て見ぬ振りするような生き方しか出来なかったり、
〚三島由紀夫の女性軽視も、そうやって自分の理想像を傷付けて誰かの望む男性像に殺されたからそうなり得たんじゃないかと思う。
私がまた、私の理想像を殺そうとしたものを心做しか憎んでいるように、批判せずにはいられないように、人は自分がなれない自分の姿を拒絶せずにはいられないのだから。〛
それでも誰かの物語に生きるキャラクターも私も人知れずして傷付いてきたから今の私があるんじゃないのか?
それが苦渋に満ちたものでも誰かの得られなかった経験を持ちうる私だから今の私があるのではないのか?
未だ納得こそしきれなくてもそれだけは確かなんだと思わざるを得なかった
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