小麦粉 ~グルテンが織りなす魅惑の世界~
はじめに
ケーキやパンを作り始め、その楽しさにはまるほどに小麦粉の魅力のとりこになり、気づいたら大変な量の小麦粉を集めていた。
小麦粉を集めようと思うならば、小麦粉を知ることから始めなければならない。
小麦粉には種類がある。料理をする人はご存知だと思うが、薄力粉、中力粉、強力粉だ。私は最初に薄力粉、次に強力粉を集めることになった。薄力粉はケーキやクッキーに、強力粉はパンに使う。良質な粉を使えばもっと美味しくなると信じて、より良い粉を求めるのだが、粉そのものを味見することができない。小麦粉は、加熱処理が必要なのだ。粉を選ぶ際には、原産国、タンパク質量、灰分量などを見て、質や個性を判断し、実際に菓子でもパンでも作ってみる。そして、その出来具合で良し悪し、好き嫌いを決めることになる。
理想のシフォンケーキを目指して
私を小麦粉の世界にいざなったのは、シフォンケーキだ。ほのかなバニラの余韻を残して皿の上からも口のなかからも一瞬で消えてゆく、しっとりふわっふわっのシフォンケーキには抗いがたい魅力がある。ああ、もう、ホールで好きなだけ食べさせて! という欲求を満たしたくて、お菓子づくりに挑戦した。後から知ったが、シフォンケーキは製菓のなかでも難易度が高い。何度も失敗しながら、それなりに焼けるようになった頃には、すっかり粉まみれになっていた。
私が目指したのは、しゅわっとしっとり、ふわっと軽く、はかなく消える幻夢のようでいて生地としての味わいがある、そんなシフォンケーキだ。
シフォンケーキには薄力粉を使うレシピが多い。手作り第一号のシフォンケーキにはいわゆる万能小麦粉を使った。ひっそりと台所の隅にあって、いつ買ったかもわからない、フライでも天ぷらでもお菓子でもいけますという、あれだ。パッケージには大きな文字で「薄力粉」と書かれている。これが私の練習台になった。その後、製菓用小麦粉なるものがあるらしいことを知り、ザ・薄力粉を卒業した。
製菓用小麦粉は、粒子が細かくタンパク質量が少ないというのが特徴で、おゃれな名前(銘柄)の個性的な粉がたくさんある。
「スーパーバイオレット」は、万能小麦粉「バイオレット」よりさらに粒子が細かく均一で、タンパク質量が少ない上質な粉と書かれている。なるほど、卵液に粉を混ぜる際にダマにならず扱いやすさを実感した。仕上がった生地もキメが細かくふわっと軽い。「特宝笠」は、パティシエも愛用しているそうで、この粉が指定されているレシピもあった。粒子が細かくさらさらで、仕上がった生地はまさにふわっふわっしっとり。大満足だった。その一方で、国産の小麦粉が気になりはじめた。日本では、小麦の9割を外国から輸入している。スーパーバイオレットはアメリカ他、特宝笠はアメリカが原産国だ。せっかくなら日本産の小麦でシフォンケーキを焼きたかった。「ドルチェ」は北海道産の小麦が原料で、和洋菓子に幅広く使われている。この頃には、シフォンケーキに限らず、クッキーにロールケーキ、タルトにチーズケーキと手当たり次第に作るようになっていたのでドルチェを重宝し、どれも申し分ないできだった。
「ファリーヌ」は北海道産の小麦「きたほなみ」を主体として1級品のみで作られた最高級製菓用小麦粉で、特にシフォンケーキに向いているらしい。シフォンケーキ専門店でもわざわざファリーヌ使用と書いていたあった。これは使ってみるしかない。全くダマにならなくて扱いやすい、しっかり膨らんだ生地は吸い付くようにしっとりしつつ軽やかで繊細。口のなかでたちまち消えながらも生地の味わいを感じた。これが最高級かとしみじみ納得である。国産の小麦粉をメインにしよう。でも、小麦粉といえば、フランス、フランス産の粉も使ってみたい。「エクリチュール」はフランス産の薄力粉で、タンパク質量、灰分量が多い。美しくしっかりと立ち、味わい深いシフォンケーキになった。
焼き菓子の甘い香りが充満した我が家で、夫は不満を隠さなかった。小麦粉ばかり増やしてどうする、ひとつがなくなったら次を買いなさいという。夫のいうとおりだ。だが、しかし、ちがうのだ。
棚に並んだ小麦粉の銘柄を眺める充実感。シフォンケーキを焼くならファリーヌか特宝笠だな。いや、ドルチェでマドレーヌも悪くない。いやいや、エクリチュールでサクサクのクッキーも捨てがたいと夢想する至福。なんなら、なにも作らなくても、日がな一日過ごせてしまう幸せ。裏腹に、ひとつでも欠けるとなにかが作れなくなるかもしれないという根拠なき不安。これが、私を「小麦粉コレクション薄力粉編」に駆り立てたのだった。
おいしいパンを焼きたい
お菓子作りですっかり気をよくして、次は、おうちで焼き立てパンを食べたくなった。限りないもの、それは欲望・・・まさにだ。
ひとつ困ったことが生じた。製パンには強力粉が必要なのだ。山のように小麦粉があるのにさらに別の粉が必要になるとは、これいかにだ。
初めてのパンは、カメリヤという強力粉でバターロールを作ることにした。原産国はアメリカ、カナダ主体、特徴としてはパン、ピザ、餃子など色々な料理に使えると書かれている。薄力粉のときと同じで、最初はスタンダードな粉が無難だ。初バターロールは、カチカチのぼそぼそだった。これまた、後で知るのだがバターロールの成形は難易度が高いのだ。ハイジの白パンは簡単そうだと挑戦した。ところが、今度は生地の扱いがとんでもなく難しかった。どうにもこうにもまとめることができず、1時間を超える格闘の末、泣く泣くベトベトの物体を捨てた。パンは難しい。
お菓子は、見栄えが悪くても美味しかった。シフォンケーキでは、底上げや腰折れなど何度も失敗したが、家族で食べる分には問題なかった。ところが、パンは小麦粉の特性やパン作りのメカニズムについて最低限のことを知らなければ、完成までたどり着くことさえ困難だった。
強力粉は、そのタンパク質量によって準強力粉、強力粉、最強力粉に分類されるのだった。少ないのが準強力粉、多いのが最強力粉だ。そして、それぞれの種類にたくさんの銘柄の粉が連なる。まともに焼けるようになるまで、色々な粉を使って基本の丸パンを何度も作ったが、それがのちに特訓として活かされた。
「キタノカオリ」は、とても気に入りよく使う粉になった。北海道産の強力粉で、ほんのりクリーム色。リッチで芳醇なパンになる。キタノカオリ限定のレシピも多い。大好きな「ブラフベーカリー」の食パンもキタノカオリが使われている。レシピ本を見ながら、焼いたブラフブレッドは感動の味わいだった。「春よ恋」も北海道産の強力粉だ。食パンにすると真っ白でもっちりしっとり甘みを感じる。ベーグルにするとむぎゅむぎゅ系だ。ベーグルが人気の「わがままデメテール」の食パンは春よ恋が使われている。
「リスドォル」は、フランス産の準強力粉だ。タンパク質量が強力粉より少なく、フランスパン用の粉だが、ベーグル、塩パン、山形イギリス食パンにすると表面がパリッと軽く仕上がる。噛むといい音がする。シンプルな材料で作り、食べるときにはたっぷりのバター、チーズやハムが合うそんなパンだ。「ラ・トラディション・フランセーズ」もフランス産の準強力粉で、フランスパン用小麦粉だ。バケットで有名な「ベーカリーヴィロン」の粉だ。リスドォル同様、リーン(シンプル)なパンに向き、いい香りがした。
「スーパーキング」は私が知るなかで一番、タンパク質量が多い最強力粉だ。「生食パン」にはこの粉を使った。生食パンは、酵母と塩のほかに卵、バター、牛乳、生クリーム、砂糖、はちみつ、ときには練乳などで味付けされたパンなのだ。副材料が多くなるとパンは膨らみづらくなるが、最強力粉はそれでもしっかり膨らむので、超リッチなパンには欠かせない。
小麦粉コレクション強力粉編である。
グルテン摩訶不思議
小麦粉を使ってお菓子やパンを作るときには、グルテンを意識することが大事だ。強いグルテンが欲しいのか、あまりグルテンが形成されない方がいいのか、それによって、どの粉を使うのか、よくこねるか、さっくり混ぜるかが変わってくる。お菓子作りでは、サックサクのクッキーやふっわふわのロールケーキを目指し、もっちもちの歯ごたえは求めない。
グルテンは、小麦粉に含まれるタンパク質グルテニンとグリアジンに水分が加わることで作られる網目構造のタンパク質だそうで、これがもっちもちを作る。だからお菓子にはタンパク質量が少ない薄力粉を、パンはタンパク質量が多い強力粉を使う。製パンの工程で、小麦粉に水分を加えてこねたり、たたいたりするのは、強いグルテンを形成するためにほかならない。
春よ恋でミルクハースを作るとする。副材料は、牛乳、バター、生クリーム、砂糖、塩、イーストだとして、まあまあまとまりづらいだろうなと想像がつく、どうすればいいグルテンが作れるかなと考えつつ、ごしごし伸ばし、コロコロ転がし、バシバシたたいたりするのはとても楽しい。いい生地の表面はつややかに張りがあり、触るとほんのり暖かく、ほわほわ。赤ちゃんのほっぺかおしりみたい、なんともいやされる。
生地ができたら一次発酵に入る。酵母が発酵してできたガスが、グルテンの繊細な網目構造のなかで膨張し、パン生地を膨らませるという工程で、パン生地は1.5倍から2倍に膨らむのが理想だ。発酵には30分から1時間弱程度かかり、その間に寝落ちしないことが大事だ。寝ている間に発酵が進み過ぎ、膨張し過ぎた生地は弾力を失い、ダルダルのブヨブヨになる。こうなるとパンはできない。ただ、ダルダルの生地が網目文様になっているのを見て、グルテンの構造を知る貴重な機会にはなった。
作りたいパンには、どういうグルテンが必要かで小麦粉を選ぶのだから、パン作りにおける強力粉コレクションは、実はグルテンコレクションかもしれない。
おわりに
近年、米粉パンも人気だけれど、私は小麦粉のパンが好きで、つまりは小麦が好きだ。小麦には、タンパク質が含まれている分、デンプン質主体の米粉にはない旨味がある。また、小麦に含まれているデンプン質が加わることで独特の味わいを生み出している。
日本では古くから小麦が栽培され、日本食にも浸透している。天ぷらの衣を米粉にするとサクサクにはなるが、味気なくなる。醤油の旨味と香りを作り出しているのも小麦だ。麩、蕎麦、うどんどれも小麦が大事な役割を果たしている。お菓子やパンを作るようになって小麦粉について知り、その良さを再発見した。製菓や製パンが趣味という人は多く、私などは初心者のなかでもほんの入口の部類だ。小麦粉コレクションも知識も自慢できるようなものではない。それでも、時間さえあれば、小麦粉を計り生地を作っていた時期のことをまとめて記す機会ができて良かったと思っている。
見知らぬ方々に少しでも関心を持ってもらえたりしたらとてもうれしい。
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