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駅伝の歴史

箱根駅伝が開催されるまで
ちょうど1カ月前となりました。

日本最初の駅伝大会が
行われたのは、1917年
(大正6年)に開催された
「東海道駅伝徒歩競争」。

京都の三条大橋を出発し、
東京の上野不忍池までの
23区間、510キロあまりを
3日間かけて走り抜くもので、
この競走のスタートと
ゴール地点となった
三条大橋と上野不忍池の
近くには「駅伝発祥の地」の
記念碑が
それぞれ建てられています。
 

発祥の地の記念碑 トリップアドバイザーより


駅伝という言葉は、
日本書紀にも
記載されているほど
古いもので、
都と地方の間の道路網に30里
(7世紀頃の一里は
530mくらいで、
現代に換算すると凡そ16キロ)
毎に置かれた中継所のことを
「駅」と呼び、ここに
宿泊施設が置かれました。

朝廷の使者が駅に
到着すると、
次の駅まで乗り継ぐための
馬も用意されていて、
この制度を「駅伝制」
あるいは「伝馬制」と
呼んだことに由来します。
 
さて、新年の行事として
すっかり定着した
「箱根駅伝」ですが、
誕生の背景となったのは、
「アメリカ大陸横断駅伝」
という壮大なレース。


「箱根駅伝」のルーツ「アメリカ大陸横断駅伝」 東京新聞より

これはオリンピックで
戦える日本の
長距離ランナーを
数多く育てるために
計画されたもので、
箱根駅伝はその大会に
出場する選手の
選考大会として
始まったものです。
 
その
「アメリカ大陸横断駅伝」は、
サンフランシスコを出発し、
アリゾナの砂漠を走破。

ロッキー山脈を越え、
最終的にニューヨークへ
ゴールするというもので、
過酷な自然の中を走ることを
考慮して、
険しい箱根の山登りが
ある東京、箱根間の
ルートに決まったそうです。

そして第一回の箱根駅伝が
実施されたのは
1920年(大正9)、
当時10人の長距離ランナーを
揃えられる学校は少なく、
このとき参加した学校は
早稲田大学、慶応大学、
明治大学、東京高等師範学校
(現在の筑波大学)の
わずか4校。

その大会終了後、
アメリカ横断のための
選抜メンバーのうち
2名が渡米したのですが、
残念なことに選手の一人が
サンフランシスコで事件に
巻き込まれため、
駅伝自体を断念せざるを
得なかったのでした。
 
大陸横断は
実現しなかったものの
世界的ランナーを
育てるという意味で
始まった箱根駅伝てすが
当初は開催日も
固定されてなく、
また「学生の本分は勉強」。
という理由で、
午前中に授業をした後、
午後からスタートすることも
あったそうです。

このため5区の選手は
大抵レース途中で日没となり、
暗闇の中を走るため、
地元の青年団の団員が
松明を持って伴走したという
エピソードが残っています。

 

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