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何足りぬ 何かが足りぬ なぜ足りぬ

 これ、面白かったぁ。

 簡単に言うとご存じ西遊記の三蔵法師が、修行中のサンゾウから三蔵法師となるまでの物語である。
 この物語のテーマは、主人公の三蔵に師匠が言った「お前は何かが足りぬ」という言葉にある。
「 足りぬ何か」とは何か? それは、すぐに予想が付く。そして予想通りである。裏切らない。

 この物語のサンゾウは、真面目で一生懸命で、慈愛も正義感もある若者であるが、どうにも修行の成果が出ない。世渡りも当然下手である。
私も「何かが足りない」人間である。
 サンゾウのように、あることを学んでいたときに先生から「何か一つ足りない」と言われた。
 ある試験で1点どころか0.75点足りなくて、涙を呑んだことがある。自分の実力と言えばそれまでである。
 他にもいろいろと「何か足りない」現象が、自分に原因があるものも、自分ではどうしようもないことも、枚挙に暇がない。
 いちいち上げてると、愚痴臭くなるのでやめるが、まあ、よくもここまで……とギネス申請したくなるぐらいである。

 この映画の監督は、チャウ・シンチー。
 この人の映画って、基本がコメディアクションなのだけれど、痛々しさが半端なくある。残酷ですらある。みごとに醒めている。現実の無情を突きつけられているようだ。
 とりあえずハッピーエンドにはなるんだけど。
 この人がそういう人なのだと思う。ハッピーエンドを夢見ながら、同時に恐ろしく醒めていて、現実の無情と一体化したような人なのだ。私の勝手な憶測である。
 そして、私自身にも、そういう部分があると感じ、それを不快に思うのだ。不快に思うというところが、また物語の外にある現実を認識させて痛い。その不快さと痛さを中和したくて、やっぱりハッピーエンドを望んでしまう。
 そこで、はたとチャウ・シンチーのマジックに上手く絡められたことに気付く。
 やっぱり、上手いわ。痛いけど。

 それにしても、この人の映画を見る度に、どうしてこんなアイディアを思いつくのかと、毎度驚嘆する。
爪の垢を煎じて飲みたい。「痛い」部分は抜きで。

 普通は、映画やドラマ、小説などをネタにした場合は、あらすじを述べるんだろうけれど、私、あらすじ書くの下手なんだよね。ネタバレしちゃう。
ネタバレせずにあらすじ書く人って、ちょっとリスペクトする。

 とにかく、この映画について訴えたいのは、昭和の人なら最後まで見てくれってことだ。
 クライマックスで、孫悟空がス○○○○○○人化する!
そしてラストには、三蔵とお供たちが横一列に並んでG○○'75のテーマが流れる中を旅立っていくのだ!(正にトップ画像がイメージまんま。これ見た瞬間にG○○'75のテーマが頭の中に流れたよ……)
 何、この日本の昭和人に対するサービス。G○○'75を何で知ってんだよ。香港でも視れたんかい。

 ……って書いてからググったら、その訳がずらずらと出てきた。全然、ネタバレじゃなかったな。

あと、三蔵の師匠が私的にはとっても良い味だった。もっとこの人が見たいが、これっりみたい。続編でも出てなかったと思う(実は続編の方を先に視ている)。どれだけ続編が作られても、もう出てこんのやろな。残念。

 続編はね……孫悟空のキャラが……。
 アレはアレでいいんだけど、はじめ篇の胡散臭くて、チビ猿な悟空の方が好みかな。

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