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自己紹介

こんばんは。
はじめましてという方がほとんどだと思いますので、今日は正直に自分を紹介したいと思います。
 僕は臆病でひっこみじあんなところがあります。人に対しては少し冷めた目で見ていて、ほめられるのが苦手です。特段、すぐれている何かがあるわけではなく、ただ、一生懸命やるだけが取り柄の男です。好きなことは気に入った小石を探すことと文章を書くことです。
 小さい頃は母親と父親が毎日のようにケンカをしていて仲裁するのに一生懸命でした。4人兄弟の長男だった僕は、親戚や周りの人から「偉いね。」とか「優しいね。」とか声をかけてもらっていました。わがままなことや思いきったことをできない遠慮するタイプの人間でした。
 大方の人には好意をもってもらいながらも、中学校では登校札が別のところにイタズラされたり、こすって傷つけられたり、レーズンパンを靴箱にいれられたり、執拗な嫌がらせを受けました。下を向いて歩いていることも多くありました。高校に入って、少しずつ自分の友達や仲間のような雰囲気になじんでいきました。大学では教員免許をとるために随分苦労しました。卒業後、毎年教員採用試験を受けましたが、6年間不採用で、地元を諦め、7年目に神奈川県で正式採用になりました。僕が任されたクラスは学級崩壊していました。1年間で何とか立て直したつもりでいましたが、最も信頼していた子どもから罵声を浴びるようになりました。その原因は当時の隣のクラスの担任の先生がクラス替えの時に自分のクラスにだけ優秀な子どもを集めた結果、子どもの仲の良いグループが離ればなれになったせいでした。子どもAさんから頼まれる前にクラスのグループわけは決めていたので、きちんと仲の良いクラスになるように決めていましたが、隣のクラスのN担任が配慮をせずにクラスわけを決めてしまいました。その後、友達と離れたAさんは憎悪に満ちて、毎日罵声を浴びせてくるようになり、Aさんの心は回復する兆しがありませんでした。それで、憎悪に対してとれる行動は悪意で報いたのではないことを理解してもらうための愛情表現しかありませんでした。僕は一通の手紙をしたためました。Aさんの信頼をとりもどすこと、守ることは、教師の自分にしかできない唯一の方法でした。それでも教師から子どもに言葉を送るという行為はゆるされるものではなく、教師の免許の返納処分と町に出入り禁止となり、職を失いました。故郷には戻れましたが、精神障害者となってしまいました。無気力と倦怠感と失望の中で病院に通う日々が続きました。苦しい毎日でした。病院の中のデイケアのスタッフに励まされ、少しずつ回復していきました。座って5分我慢できなかったのが、今は落ち着きをとりもどし、8時間のアルバイトができるまでに回復しました。人間なにもできなくなる時に助けてくれる存在が必要です。諦めずに介抱してくれた家族に感謝しています。
 こんな僕ですが、夢があります。物語に絵をつけてくれた人と一緒に絵本『忘れんぼうのサンタ』を世に送り出すことです。見えないものこそが人を幸せにしてくれる。だからサンタは目に見えない。僕はこの言葉の力を信じています。貧しくて苦しくて、今日4000円が全財産であっても、鳥のように蓄えがないもののように生きることを大切にしたいと思っています。
 ここまで読んでくださってありがとうございます。あなたにとって、よい1日が訪れますように。
#自己紹介 #アルバイト
 

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