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掌編小説『香奈枝と裏龍は合流せず』 1500文字


女流剣士・香奈枝(かなえ)は思わず、はっ!と声を上げる。

行く路地の先、、満月に照らされた竹岡裏龍(たけおか りりゅう/以後 裏龍)の影に気づく。

目をあげるとそこには、確かに彼がいる。

「この道を通ると思っていた」
「どうして、知っているんですか?」
様々な感情が一瞬のうちに湧き上がる。
しかし、そのすべての気持ちを悟られぬよう、無表情を決め込むと、無視するように歩き続けた。

そして、当たり前のような疑問が思いついたのは、その次だった。
(なぜ、彼は私の『仕事』の件を知っているのだ)
裏龍は後ろから、ついて歩いてくる。

「麻耶から聞いたんだ」
気持ちを見透かすように裏龍は言う。

「麻耶?あの小娘から」
「最近、お前の道場へ何度か行っているからな。あいつは恐ろしく耳が効くんだ」

「まさか」
はるか奥の座敷での師範との密談内容を、麻耶は聞いていたというのか?
今回の仕事内容である、幕府要人の暗殺の仕事を。
それは、下手したら生きて帰れぬ可能性も・・・、という事まで。

「通りを歩くだけで、建物の中の会話が聞こえるってさ。信じられないぜ」
「・・・」
裏龍は香奈枝の後ろで、けっして響きはしない静かな声で話す。
闇の中で、とつん、とつん、と心に落ちてくるような声だった。

「まあ、とにかく俺とお前は無事合流できた」

香奈枝の胸の奥に熱いものが湧き上がった。しかし、同時に悲しみも生み出す。
しかめるように目をつぶり首を左右に振ると、熱いものを心からかき消した。


香奈枝は、地面をつよく踏む。
歩みを止めて振り返る。
正面から向き合うと、彼女は満月を背にする。
感情のこもらない目を無理につくり出し、さらに冷たい言葉を裏龍になげる。

「誰が・・・あなたと、合流するっていいましたか?」

香奈枝と裏龍の所属する道場は、敵対関係にある。まして裏龍は道場の師範という立場だ。

(それでも私は・・・)
―――この男と共に戦ってみたい。
しかし、それは許されることではない。
視線を落とし、ただ地面に濃く描き出される二人の影をみる。

「そうか、意地を張るな。まあ、お前の腕だから大丈夫だろ。だが、今回ばかりは用心したほうが良いぞ」
裏龍のひとことが固く閉じたはずの胸に流れ込む、涙が溢れそうだった。


悔しい。
どうして、こんな時にかぎって、この男はまともなことを言うのだ。

「・・・わかっています、貴方から頂いた剣がありますから」

「そうだ、これも持って行けよ」
彼の護身用の小刀だった。不思議なものだ、人を斬る道具から今は暖かみを感じる。
ただ、その暖かみに包まれている時ではない。

「敵に斬られる前に、この短刀で自害せよ・・・とでも?」
香奈枝は悪戯っぽく微笑みかけ、言葉を返す。

「ひねくれたやつだな、素直に受け取れよ」
今度は裏龍が、わざとらしく拗ねるような素振りをしてみせた。

月の光に照らされる黒髪がわずかに風にそよぐと、刹那の沈黙が二人を包む。
香奈枝は、黒髪を肩の後ろで束ねるように掴み持ち、小刀で掻っ切った。
「どうか、この髪をもって、今日は帰ってください」

「おいおい!こういうのって、ほんの少しでいいんだ」
裏龍は、目前に差し出される黒髪を、たしかな手つきで受け取る。そして、彼女を愛おしむように、そして困ったように笑う。

「そ、そうなのですね・・・」
おもわず香奈枝は赤面し、斜め下へと視線を落とした。

「短髪も、お前らしくていいぜ」
裏龍に髪を撫でられ、香奈枝はさらに顔を熱くしてしまう。
その顔を見られるのは恥ずかしく、香奈枝は一礼し顔をかくす。
無言のままに振り向き、歩き出す。

しかし、わずかな時間立ち止まり、見つめているであろう裏龍に右手をあげて合図を送った。

貴方にまた会いたいから・・・。
必ず。
「生きて帰ってきますね」
裏龍には聞こえぬ声で、香奈枝はつぶやく。

二人を分かつ闇に、ヒュウ!という裏龍の口笛が鳴りひびいていた。


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